月報「コイノニア」
2006年4月号 No.272


キリストの体を食べる、とは

〜「生きてこそ」一九九三年、アメリカ映画〜

司祭 ミカエル 藤原健久

「私は、山で神に出会った。」

「食べたら、二度と元には戻れない。」
「聖体拝領と同じさ。死から甦るんだ。」

「脱出したくないのか。…食うか?、食ってくれ!」

 実話に基づいた映画です。1972年10月、南米ウルグアイのラグビーチームの若者達を乗せた旅客機が、アンデス山脈に墜落しました。乗客四五名の内、約四分の一は墜落の際に死亡しましたが、残りは生存していました。彼らは雪に覆われた山腹の極限状況を、何と72日間も耐え抜き、16名が生還したのです。彼らは何の装備もなく軽装で、食料もわずかなチョコレートとワインしかありません。何とか寒さには耐えても、飢えはどうしようもありません。食料はすぐに底を尽きました。最後に残された方法は、一つしかありません。それは、先に死んだ仲間の肉を食べる、でした。彼らの生還後、世界で大きな衝撃が走りました。「人間の肉を食べるのは赦されるのか」。遭難した彼らも、実行する前に、真剣に議論をしました。彼らもクリスチャンですので、その議論は高度な神学論争のようです。最初に仲間の肉を裂き、最初に口にした者の葛藤と苦悩とは、画面を通して十分に伝わってきます。後に彼らはこう語っています。初めて口にしたとき彼らは、「これは私の体である」と言われたキリストを心で感じ、「これはキリストの体なんだ」と思いながら、食べたのだそうです。彼らの中には、やはり食べないものもいます。ある男性は、同乗していた妻を失った悲しみで、生きる気力をなくし、どんどん衰弱してきました。そんな彼を仲間が怒鳴りつけます。「奥さんのことは忘れろ、残された子どもはどうなる。食ってくれ。」「食べる」か否かが即生死につながる状況の中で、何とか仲間を生かしたいと、彼は必死になって食べさせようとするのです。私はこの場面を見て、聖餐について思い巡らしました。もしかしたら、私たちの魂の状況は、自分が思っているよりも厳しい、せっぱ詰まったものなのかもしれません。キリストの体を食べなければ、私たちの魂はすぐに堕落し、滅びてしまうのかもしれません。キリストは私たちに、「私の体を食ってくれ。そして、生きるんだ。」と必死になって叫んでおられるのかもしれません。私はそれだけの真剣さで、聖餐を頂いていたであろうかと、思い巡らします。
 もう一つ、私にとって興味深かったのは、このような「非常事態」においても、人々はいつも通りの行動をするということです。怠ける者は怠け、冗談を言う者は冗談を飛ばし、リーダーシップを取る者はみんなを指導し、それに陰口を言う者は言う。正に「地獄」のような状況の中でも、その人の日常生きてきた生き方がそのまま出ていました。これを見て私は、聖書が語る「終末」についてい思いました。終末は聖書のとても大切な概念です。けれども、「終末の時に、私たちはどうなるのか」については、聖書は余り多くを語りません。ただ、「終末を覚えて、日常の信仰生活を整えよ」と勧めるだけです。本当にそうなのだなぁ、と思います。世の終わりが来ても、急に私たちの内面が変わるわけではありません。最後の審判の時に問われるのは、日常の、今、この時の私たちの生き方なのでしょう。「終末」を覚えて「今」をしっかり生きる、と言えるでしょう。

(この映画のDVDを貸し出します。希望者は、書類に必要事項を記入の上、牧師まで。貸出期間は最大一週間です。)


祝 ご復活!

4月16日の復活日大礼拝では、聖歌隊とハンドベルクワイアのご奉仕のもと、荘厳かつ活気に満ちた礼拝が捧げられました。それに先立つ聖週は大斎節のしめくくり。主イエスがエルサレムに入城され、苦難を受け、十字架上でご自身を献げ、死んで葬られ、陰府に降り、三日目に復活されるまでの激動の日々を記念する一週間として聖マリア教会では特に大切にし、様々な礼拝が行われました。

4月9日、復活前主日(しゅろの主日)
  しゅろの行列と聖餐式

 礼拝の最初に、礼拝堂前室に集合し、聖歌を歌いながら、しゅろの枝を手に聖堂内を行列しました。これは、主のエルサレム入場を記念するためです。福音書は主の受難物語が朗読され、登場人物ごとに役割分担をしました。この日は説教はなく、司祭の黙想講話の後、「十字架を前にして、自分はどこにいるか」を思いながら、黙想しました。

13日、聖木曜日

午前7時、朝の礼拝。
 大斎節中、毎朝聖餐式を行ってきましたが、聖なる三日間のみ、朝の礼拝を行いました。
午後7時、洗足式・聖餐制定記念聖餐式・聖木曜日の黙想
 洗足式では、二名の方が足を洗われました。聖餐式の中で、ご聖体を保存し、式後、フロンタル等、祭壇の飾りを全てはずし、十字架も布で覆いました。この日の黙想は、主がゲッセマネの園で祈っておられたとき、弟子達に「眠らずに私と共に祈りなさい」と言われたことを思い起こして行うものです。

14日、聖金曜日(受苦日)

午前7時、朝の礼拝(保存聖体拝領)
 この日は一年で唯一、聖餐式を執行することができない日です。前日に保存しておいたご聖体を頂きます。
正午、京都伝道区受苦日礼拝(於・主教座聖堂〔聖アグネス教会〕)
 例年通り、伝道区合同礼拝が行われました。今年は藤原司祭が説教でした。
午後7時、夕の礼拝(十字架の主に対する崇敬と賛美)
 今年は、司祭手作りの木の十字架(ほぼ等身大)を聖卓前に設置し、礼拝しました。ヨハネ福音書の一八〜一九章のとても長い受難物語が朗読されました。代祷では、世界中の様々な課題を、日頃より丁寧に取り上げしました。

15日、聖土曜日

午前7時、朝の礼拝・嘆願
 朝の礼拝の最後で嘆願(祈祷書98-105ページ)を用いました。嘆願は、主日礼拝で用いることは殆どありませんが、聖公会の大切な伝統的祈祷です。今年の大斎節中は、毎日夕の祈りの後に嘆願を用いました。
午後7時、黙想と祈りの集い
 毎月第二土曜の夜に行う黙想と祈りの集いですが、四月はこの日に行いました。テゼの歌などを歌いながら、静かな時を持ちました。
午後11時、イースター・ヴィジル(復活徹夜祭)
 黙想の後、聖堂を真っ暗にし、復活のろうそく(パスカル・キャンドル)を祝福し、点火しました。その火を用いて会衆のろうそくにも点火し、キャンドルサービスを行いました。その後、復活日の最初の聖餐式を祝いました。久しぶりに歌う「大栄光の歌」に、心が震え上がりました。この日、洗礼の約束の更新も行いました。古代の教会ではこの日しか洗礼が行われませんでした。そのことを覚え、洗礼の時の誓いを思い起こし、信仰を新たにしました。礼拝後、大斎節中の節制が解かれ、早速おやつをほおばる姿も見られました。

16日、復活日

残念ながら午前4時半から予定していましたジュニア・チャーチ大文字山早天礼拝は前日からの雨のため、中止になりました。
午前7時、早朝聖餐式
午前8時、英語聖餐式
 やはり復活日だけあって、外国人のお客様が約10名来訪され、普段になく賑やかな礼拝になりました。いつも事務室で行う朝食会も、急遽ホールで行いました。
午前10時四五分、主要聖餐式
 約130名の会衆と共に、盛大にご復活の喜びが祝われました。二名の可愛い赤ちゃんの洗礼式も行われました。教会委員、礼拝音楽委員の任命式も行われました。陪餐は約110名でした。恒例になった聖歌隊、ハンドベル・クワイヤーの奉仕もあり、素晴らしい音楽が、神様への賛美をいっそう盛り上げていました。

復活後一週間(オクターブ)

 午前7時より聖餐式。一週間かけて各福音書の復活の場面が朗読され、ご復活の喜びを日々新たにしました。


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