月報「コイノニア」
2011年5月号 No.333


《聖書を飛び出したイエス様・その30》
   今度こそ! 

アニメ作品『魔法少女まどか☆マギカ』から

司祭 ミカエル 藤原健久

 マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を治めた場所を見つめていた。  (マルコ15・47)

 最近のアニメは、スゴイことになっています。深夜の時間帯にたくさん放映されているのです。これだけ多くの作品が作られてゆけば、制作者の腕も上がるのでしょう、絵柄や動きなどが、一昔前の作品とは比べものにならないくらいに向上しています。また深夜なので、見る人も限られてきます。結果として、大変個性的な、そして質の高い作品が作られ続けています。スゴイものです。
 この作品も、そのようなものの一つです。題名からして、可愛らしい「少女モノ」かと思ってましたら、そうではありませんでした。現代社会の片隅で起こる不可解な事故や事件、それらは、人々に呪いを振りまく「魔女」が起こしていたものだった。ぬいぐるみのような可愛らしい生物に選ばれた数名の少女達は、「魔法少女」となって、魔女を退治するため、激しい戦いに身を投じてゆく。
 思春期の女の子達の繊細さと愛情、そして残酷さが混じり合った重苦しさに、きらびやかな絵と、激しいアクションが絡まり合って、独特な世界を造り上げています。
 アニメならではの破天荒な設定も、女の子達の心の動きを表現するものとなっています。魔法少女には、それぞれの「魔力」が備わっていますが、ある少女は(彼女が物語の要になるのですが)時間を遡る能力を持っています。彼女は、親友である主人公と共に闘っていましたが、主人公は魔女との戦いに敗れて死んでしまいます。彼女は主人公を助けたくて、時間を遡り、主人公との日々を再開します。けれども、何度やっても主人公を助けることができないのです。彼女は「今度こそ」と望みを掛けて、何度も何度も時間を遡り、同じような日々を繰り返すのです。
 私たちは、時間を遡ることはできませんが、失敗を乗り越えようと努力しています。同じ失敗を繰り返さないように、がんばります。けれども上手くいかないときもあります。それでも「今度こそ」と思って、諦めずに歩いているのです。魔法少女の物語は、私たちの「今度こそ」という努力を表現しているように思います。
 このたびの震災は、今年度の大斎節が始まってすぐに発生しました。大斎節はイエス様の十字架を思う時期です。人類の苦難の象徴である十字架を、具体的に思い浮かべてみるとき、被災された方々は、今、十字架を背負っておられると思うのです。イエス様が十字架に架かられたとき、弟子たちは自分の身の安全を思って、みんな逃げ出してしまいました。弟子たちは十字架を前にして、無力だったのです。その意味で十字架は、人類の罪を明らかにしたものでした。けれども、それだけでは終わらなかったと思うのです。弟子たちは、逃げ出したことを心から悔やみ、「今度こそは」と思ったと思うのです。今度、十字架を前にしたら、決して逃げない、何とかして助け出すぞ、と決心したと思うのです。弟子たちは何度も失敗したかも知れません。けれども決して諦めなかったと思うのです。結果として、人類は罪深いのかもしれません。けれども「自分は無力な罪人だ」で終わってしまいたくはありません。何度失敗しても、「今度こそ」と、諦めずに再び立ち上がりたいのです。


マリア教会婦人会主催コンサートに出席して

 4月17日に婦人会主催で青野浩美さんのトーク&コンサートが催されました。青野さんは音楽大学声楽科在学中に筋疾患を発症され、その後気管切開を余儀なくされましたが、ご本人の努力で今も器具を装着しながらも音楽活動を続けておられます。一同その歌声にで聞き惚れました。
 立石昭三先生が専門医としての立場から一筆書いてくださいました。

ヨシュア 立石昭三

 4月17日のコンサートは婦人会主催にも関わらず、男性の参加も多く、いろいろお世話になりました。コンサートが終わってお茶の時間に声楽家、青野さんが特に訴えられた「医療ケア」について、マネージャーの篠原文浩氏を交えて話し合いました。
 青野さんは無呼吸発作への対応として、レスピレーター装着と喀痰吸引のために気管に穴を開ける処置を受けておられますが、そこから喀痰を吸引することは医師や看護師また訓練を受けた家族でなければ出来ない。それ以外の方があえて行うのは医師法違反であるという。青野さんは「そのような場合に遭遇すれば、医師法違反であっても私はそれにこだわらない」と何度も繰り返したのは現実的で、勇気ある発言だと思いました。
 あのような気管切開(Tracheostomy)孔を長期間、自然に塞がないように切開孔にボタンを入れて持続させるのを気管開窓術(Fenestration)と申します。胸部外科医である私は喀痰吸引に関して以下のような意見を持っております。
 喀痰吸引は宇多野病院のような筋神経疾患でレスピレーターを多用する病院ならずとも、多くの老健施設ではとても重要な問題です。喀痰を喀出できないために窒息死をするご老人もあります。現場の医師、看護師は鼻腔からの吸引が口中のみならず、気道の下の部分、気管内にも入りやすく、一寸の訓練で可能になるので万人にそれを周知させたい、と思っています。この方法は口からの吸引に比べて救命率も高いのです。最近の吸引方法に関する厚労省配布の介護司教育の為のDVDでは、口からの吸引は認められるが、鼻からの吸引は介護士が行うと医師法違反であると強調しています。これは現場を離れた上層部の方々の意見か、と残念に思っています。
 日本以外では看護師が医師の分野の仕事にも積極的に進出しまして、人工心肺も病院によっては看護師が進んで行っています。日本の大学病院では静脈注射も医師の仕事になっておりますし、動脈血の採取も同様です。看護協会の姿勢は救急の方針と反対の方向を主張し、責任逃れをしようとしているように見えるのは残念な事です。これには指示を出しても責任を取らない医師があった事が反対に連なったと考えられます。
 全ての救急車に医師が乗り込むのは困難ですから、救命救急の一刻を争う場合、救命救急士が気管内挿菅をする事が可能になったのはつい最近のことですが、この遅延には医師会の反対の圧力があったと言われています。このような既得権益の独占を図る反対は患者中心の医療とは言えません。介護士による鼻からの喀痰吸引が認められる事が法律違反ではなく認められるようになる事を望みます。


主日実習の神学生の紹介

 4月から、毎日曜日にウイリアムス神学館より杉野神学生(神戸教区)が当教会で実習に来られてれています。昨年実習されていた池澤神学生と同じ神戸聖ミカエル教会出身の若い神学生です。みなさんよろしくお願いいたします。

ミカエル
杉野達也神学生

 1987年3月3日神戸生まれ、満24歳。幼児洗礼を受け、高校一年の時に堅信式を母教会で受けられました。
 兵庫県立伊川谷高校、関西学院大学神学部を卒業後、一年間キリスト教をしっかり勉強してからウィリアムス神学館に入学されたという勉強家で聖書研究等にもいろいろと活躍いただけそうです。
 一方、小・中学校ではサッカー、高校ではハンドボール、大学ではフットサルをプレーするスポーツマンでもあり、体を動かすことが大好き!ということで、キャンプや野外活動もある当教会での活躍はとても期待できそうです。
 一年間どうぞ宜しくお願いします。近い号にご本人からの自己紹介を掲載予定です。


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