月報「コイノニア」
2011年6月号 No.334


《聖書を飛び出したイエス様・その31》
   日常が一番。 

NHKテレビ番組『サラリーマンNEO』から

司祭 ミカエル 藤原健久

 野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。           (マタイ6・28-29)

 多分、日本人が全般的に夜更かしになっているのだと思います。午後11時に放映している番組は、以前なら「深夜番組」と呼ばれていたのですが、今ではニュースやバラエティなど、普通の番組が放映されています。その中でもさすがNHK、この番組は、いわゆる「お笑い」でありながら、用意周到に、丁寧に作られており、他局の番組に比べ、センスが光っています。毎週一回、数ヶ月間続く番組が、数ヶ月の間隔を経て再開され、現在は「シーズン六」が放映されています。これだけ長期間続いている所に、人気の程が伺えます。
 名前の通り、サラリーマンの日常を、おもしろおかしく表現するコントが中心になった番組です。無意味に長引き、みんなが苛立っている会議の光景を、野生動物の観察のように実況と解説するコーナー。同僚の異性のちょっとした言動に、妄想を限りなく暴走させる、気の弱い社員のコント。職場のトラブルを、派手なメイクと体をくねらせる踊り、それに色っぽい流し目とささやき声で解消してゆく「セクシー(正確には『セクスィー』)部長」。「最新のサラリーマン工学を取り入れた」とうそぶく、NHK長寿短時間番組をまねして、スーツのサラリーマン達が軽々とした身のこなしを披露する「テレビ・サラリーマン体操」等々。私たちが過去に経験したことのあるような、また私たちの周りに居そうな、けれども多分あり得ない、そんな笑いが満載されています。
 「サラリーマン」と言いながら、この番組が笑いにしたいのは、私たちの住む日本の社会の日常なのでしょう。多くの人が生真面目に、時間を守り、職務を忠実にこなして、がんばっています。けれどもそんな日常の中に、すごく面白いことが隠されている、と言うことを私たちに教えてくれているように思います。
 やはり、きっと日常が一番面白いのです。実は私たちの日常生活の中に、最も素晴らしいものが存在しているのです。様々な分野で活躍する人は、日常の中の素晴らしさを、表現しているのでしょう。音楽家は日常の中に素晴らしい調べを聞き取ります。芸術家は日常の美しさを描き出します。教師は日常の中にある知恵と知識を伝えます。建築家は、人々がつつがなく日常を送ることのできる空間を作ります。職人さん達は、人々の日常生活を支える物品を作ってゆきます。そして宗教者は、日常の中に、神様の御業を見つけだし、神様を賛美してゆくのです。
 イエス様も日常の素晴らしさを、誰よりも分かっておられたのでしょう。日常目にする野の花の中に、素晴らしい神様の恵みを見ました。病気などで、日常生活から切り離されてしまった人々には、日常を回復されました。それが「癒し」です。復活なさった時には、驚く弟子たちを食事に招き、いつもと同じように朝の食事を摂られました。
 私たちが思う以上に、日常は素晴らしいものであり、私たちは日常によって養われ、力付けられ、癒されているのでしょう。
 このたびの震災で、多くの人々が日常生活から切り離されてしまいました。日常を失ってしまう苦しみは、大変なものだろうと思います。被災された方々の日常が回復するには、長い時間が掛かるかも知れません。一日も早く日常生活を取り戻して頂くために、また避難生活などの「非日常」の中で、少しでも日常の穏やかさをもって生活して頂くために、何か少しでもご奉仕できればと思います。


東北地方被災地ボランティアにマリアからも!

 3月11日に東日本大震災が発生しました。震災で、大切な人の命を奪われた人、また仕事や生活の場を失った人々がたくさんおられます。多くの人が、困っている人のために何かしたい、と考えておられることでしょう。
 聖マリア教会の交わりの中から、被災地に駆けつけ、奉仕する人々が出たのは有り難いことです。
 ボーイスカウト京都第24団のローバースカウトたちは、被災地にある病院で、主にご高齢の方々への奉仕を行ってきたそうです。奉仕を通しスカウトたちは、心に大きなものを受けてきたようです。
 岩本翔太さんは、長期間にわたり、仙台で活動しています。彼は、教区震災対策室現地担当者として、京都教区から派遣されています。3月、地震が起きてほどない頃、私の元に彼から電話がありました。ボランティアをやりたいです!ライフセイバーの勉強をしてきた彼には、今回の惨状を素通りにはできなかったのでしょう。私は彼の熱意に押され、主教様と相談し、東北教区と協議の上で、仙台に行ってもらいました。仙台では、東北教区、また管区の担当司祭、またボランティアと共に、地道に築き上げた地域との信頼関係を元に、積極的に活動しています。毎日送ってくれる報告は、教区対策室ブログにアップされています。      (藤原健久)

被災地出発前、藤原司祭と
打ち合せをする岩本くん


藤原司祭も自ら被災地に
長期出張し、最前線指揮!

司祭 ミカエル 藤原健久

 私は現在、京阪神聖公会・日立ボランティアセンターの担当者として、日立聖アンデレ教会牧師館に設けられたセンターに駐在しています。センターは、主に、福島県いわき市小名浜地域で活動を行う為に、4月19日から活動を始めました。全国から常時数名から十数名のボランティアを受け入れ、主にいわき市のボランティアセンターを通し、ガレキや土砂の撤去、被災家屋内部や支援物資の整理などを行っています。また、避難所での足湯などの独自の活動も行っています。ボランティアそのものは、時にはきついこともある肉体労働ですが、礼拝堂での朝の祈りから始まる共同生活は、互いの交わりと、各自の信仰を深めるものとなっています。日立のセンターは6月末に、一旦日立での働きを終え、場所を変えて、第二期の活動を始める予定です。
 現場に行って痛感するのは、被害の規模の大きさと、範囲の広さです。三ヶ月経った今も、手付かずと思えるような地域もたくさんあります。復興までには、まだまだ時間がかかるでしょうし、これからも息の長い支援活動が必要です。


ボーイスカウト京都第24団ローバー隊は
福島・ひらた中央病院でボランティア活動参加!

ローバー隊員 堀江卓矢

 我々ローバー隊はこれまでの経験を活かして、他隊のリーダーとして後輩スカウトの育成に携わってきましたが、広く一般社会に貢献できるような奉仕活動からは遠ざかっておりました。そこでこの度の震災に伴いまして、福島県にある「ひらた中央病院」に附属する老人保健施設において被災者の支援を行なってまいりました。
 ひらた中央病院は福島第一原発から約45キロの所にあり、多くの被災者を受け入れています。壁や地面がひび割れているところが幾つかありましたが、津波の被害を受けていないため、テレビで報道されているほど悲惨な状況ではありませんでした。しかし、被害が少なかったがために大勢の被災者を受け入れなければならず、普段は食堂に利用しているフロアにまでベッドを並べて対応するような状況が続いていました。明らかに人手が足りていませんでした。また、青野菜や食事介助用のエプロンなどの物資も不足していました。そこで我々は、こうした物資を提供することはもちろんのこと、現地スタッフの負担を軽減するために、病院食の調理と施設利用者の食事介助のお手伝いをやらせていただきました。
 毎回二百人分近くの食事を用意しなければならないため、食材の切り分けだけでも数時間を要しました。利用者の体質に合わせて、消化しやすいメニューやカロリーが調整されたメニューが用意されており、それらを素早く正確に配膳する作業に苦労しました。こうした負担があるにも関わらず、利用者の人数が増えたからといってメニューを簡略化するような妥協をせずにやってこられていることにとても感心しました。
 食事介助では、スタッフ一人に対して要介助者が4〜5人という状況だったので、全員同時に召し上がっていただけるような状況ではなく、常にクレームの対応にも追われるような現場でした。周辺地域から移って来られた方が多く、慣れない環境によるストレスからか食の進まない方も見受けられました。栄養状態を保つためにもなるべく完食していただく必要があるのですが、認知症の方の食欲を把握することが難しく苦労しました。しかしながら、利用者のみなさんと触れ合うことで心和むこともあり、非常に貴重な経験ができたと思っています。
 本プロジェクトを行う上で、多くの皆様から資金や物資を支援していただきました。その結果、これまで無休で働いてこられたスタッフが一日ずつお休みをとることができたそうです。みなさまのお気持ちを少しでも現地に届けることができていれば幸いに思います。貴重な経験をさせていただけたことをローバー隊一同感謝しております。ありがとうございました。


岩本翔太さんは、今春卒業した大学で学んだ専門
分野を生かし、先日合格した救急救命士としての
経験を最大限に発揮できる最前線に長期滞在!

ヨシュア 岩本翔太

<3月11日>
 私は大学で千葉に住んでおり3月20日に国家試験を控え、大学の図書館で勉強していると大きな揺れを感じました。最初は『最近地震が多いな』くらいの軽い気持ちでしたが、なかなか地震が止まらず次第に強くなってきて校舎がすごい勢いで揺れ、窓ガラスが割れ、壁のタイルが剥がれるほどでした。家に帰りテレビをつけると、映画のワンシーンかのように恐ろしい映像が流れており何度も夢じゃないかと自分に問いかけていました。同時に今すぐ被災地に行かなきゃという使命感にかられました。
<3月末>
 このような体験のもと、国家試験が終わり卒業し、京都に戻ってきて普通の生活を取り戻した私ですが、どこか心の中で被災地に行き自分が勉強してきたことを活かしたいと思っていたところ、藤原司祭に仙台にて奉仕活動のお話を頂戴し、二つ返事で行かせて頂くことを決めました。
 このような経緯で仙台へ来させていただくことになりました。
<4月15日>
 仙台駅に着くと京都と変わらないような都会で自分が来る必要があったかなと思うくらい「普通」の街でした。しかし、そこから車で30分も走るとテレビで見た光景がそのまま自分の目に入ってきました。テレビでは感じることのできない「匂い」、「空気」がことの大きさを物語っていました。そこで、県外から来させていただいている私は救援、支援などの言葉に含まれているなんとなく『してあげている』というニュアンスでの活動は向いていないと心の底から感じました。被災した方と話すともっとこのことを強く感じます。

 私たちが今日まで過ごしてきた日にそれぞれストーリーがあるように、被災した方々にもストーリーがあります。その主張に行政がそれぞれ答えていくことは無理な訳で、私たちができる限りの要望を少ない人かもしれませんがちょっとずつ答え、被災地の方々と本当の意味での復興というところまで一緒に歩かせていただけたらと思います。このような活動を長いスパンでしていくことが大切だとこの二ヶ月で感じました。


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