月報「コイノニア」
2011年7月号 No.335


《聖書を飛び出したイエス様・その32》
   聞き漏らさない。

チャットモンチー『YOU MORE』から

司祭 ミカエル 藤原健久

 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」
              (マタイ22・36-38)

三人組の女性のバンドです。以前、テレビで見かけて気になっており、その後、気に入った深夜アニメ番組の主題歌をこのバンドが歌うようになって、CDを聞き始めました。
 ある宣伝文句に、「普通の女の子が普通に音楽を作って鳴らしている。ただそれだけのことに宿る魔法」とありました。たしかに、そのように感じます。思春期の頃からバンドを始め、学生の間も共に音楽活動を続け、卒業後プロへの道を歩んできた彼女たちです。歌詞で描かれる世界は、ごく普通の女性の世界です。恋愛にときめき、友情に涙し、未来に期待と不安を覚える、そんな等身大の生活を、時には斜めから、時には真っ正面に向かい合って、可愛らしいけれども迫力のある声で歌ってゆきます。聞いている側はそんな姿に興味を感じ、入り込み、共感してゆきます。面白い歌です。
 このバンドの特徴の一つは、演奏の形態にあります。それは、「トリオ」と言われる編成です。エレキギター、エレキベース、それにドラムス、ロックバンドでは最低限の3つの楽器のみで演奏しています。三人が一つずつ楽器を受け持ち、楽器を演奏しながら同時に歌います。この「トリオ」が、彼女たちのこだわりなのだそうです。子どもの頃に見た、トリオのバンドの迫力が心に染み渡り、それ以来、ずっと、トリオ・バンドの格好良さを追求しているのだそうです。
 私も学生の頃にバンドをしていましたので、その辺りの感覚は少し分かるような気がします。トランペットやサックスなどのホーンズや、ヴァイオリンなどのストリングス、それにピアノ、オルガン、シンセサイザーなどを加えた大きな編成の演奏は、様々な音色を造り出すことができ、それぞれの楽器のバランスを考慮した、繊細な演奏をすることができます。それに対してトリオの編成は、最低限の数の楽器で演奏するため、全体の音色が薄くならないように、各自がそれぞれ迫力のある音を出す必要があります。音色を歪ませたりボリュームを上げるだけでなく、音数を増やしたり、メロディーを複雑にしたりします。その結果、全体として野太い、個性的な演奏になります。
 それともう一つ、最低限の楽器だと、一つ一つの演奏を、耳でたどることができます。大きな編成だと、全体として音が混ざり、各自の楽器の演奏を追いかけてゆくのは困難です。私は彼女たちの演奏を聴いていると、すべての音を耳で拾いたくなります。ギターやベースのフレーズ、ドラムのリズム、そして歌詞を、一つ残らず聞き取りたくなります。最低限の編成であるが故に、「決して聞き漏らさないぞ」という気持ちになります。
 最低限だからこそ、すべて把握したくなる、単純だからこそ、しっかり理解したくなる、それは、イエス様のお説教にも通じる事のように思います。「先祖伝来の教え」で複雑になった律法を、ごく短い聖書の言葉で説明してくださったイエス様。分厚い聖書には敬遠してしまう民衆も、この短い言葉なら、いつも心に留めておくことができたでしょう。「幸いなるかな貧しい人、神の国はあなたのもの」に代表されるイエス様の教えは、どれも短く、最低限の言葉数で構成されています。それだけにストレートに人々の心に響いたたでしょう。聞こうと思えば、すべての単語を聞き取れるほどの短さと単純素朴さで語られたイエス様の説教を、人々は「決して聞き漏らすまい」と、しっかりと耳と心を傾けたことでしょう。


東北地方被災地ボランティアにマリアからも!2

投稿
「東日本大震災/約1週間・1,798.2km の日々」 

モーセ 末松よしみつ

 「被災地の幼稚園などで、親と子ども達のための演奏会をしませんか?」そんな内容で、藤原司祭からお電話をいただいたのが6月2日。お断りする理由があろうはずもない。音楽以外に出来ることがない私は、楽器四台と機材…そして思い着く楽譜を積み込み、16日木曜日夜半には高速を走らせていた。
 「京阪神聖公会・日立ボランティアセンター」のある「日立アンデレ教会」到着は、17日早朝。最初に目に映ったのは、教会併設「二葉幼稚園」園庭のブルーシート。それは、すべり台、ジャングルジム、砂場などが使用出来ないよう被せられたもので、その下に走るのは地震による地割れだった。改めて被災地に来たことに緊張する。
 18日の福島県いわき市小名浜地区「聖テモテ教会」の「親子のための野外コンサート」で始まった音楽支援は、最終日21日のお世話になった日立アンデレ教会付属「二葉幼稚園」での、園児たちと保護者、そして先生方のためのコンサートまで続いた。その間の様子は、ブログ「京阪神聖公会 日立ボランティアセンター」に詳しく写真もあるのでぜひご一読いただきたい。
 六泊七日という時間は、一〜二泊滞在では感じられないものは確かにあるが、そこに住む人の気持ちや現実を知るには短か過ぎる期間。ただ演奏を離れ、個人的にクルマで福島市内や周辺道路、海岸線を走り、被害状況を見て地元の方と話す機会を持ったのは、とても意味あるものだった。また、オフ・ステージで子ども達と遊んだ時間から感じるものは、とてつもなく大きかった。それらの体験で大きく感じたこと…、いや学んだこと…、いやいや思い出させてもらえたことがある。それは「今を生きる」ということ。これこそ「生命(いのち)あるもの」総てにとり「根幹のエネルギー源」ということだ。
 よく現地に赴いた人が帰って、「元気を届ける思いで行きましたが、逆に被災地の方々に励まされました」と聴く機会が多い。私は会話を交わす被災地の方々が時折見せる屈託のない笑顔に、「今を生きる」というエネルギーの満ち溢れた輝きを感じた。それは子ども達の笑顔と同じだと思う。子どもはみな、幼ければ幼いほど「今」を生きている。彼らの問題は常に今…悲しい・嬉しい・苦痛・興味がある…しかない。だから純粋に笑い、泣き、真剣な眼差しを送る。それらはみな美しく、生命力に溢れていると感じる。
 被災地の子どもからは、もう一つ感じるものがあった。彼らを見ていると、最近の子ども達が失いつつある「頼もしさ」の中にある「懐かしさ」だ。その懐かしさ…が何か、被災地を離れる時に気がついた。それは昭和二〇年代の終わりから昭和30年代の子どもの匂いがする気がしたのだ。それがどういうことか…は、今後の僕の創作活動の大きなテーマの一つになるものであると同時に、演奏会や舞台で「話し言葉」として伝えたいものなのてここに記すことは出来ない。これを読んでいただいている皆さんには、機会があればぜひその話を聴きに演奏会やライヴに来ていただきたいと願っている。
 いずれにしろ機会があれば出来る限りの方に、ボランティアでも観光でもよいので現地に行っていただきたい。現地ボランティア活動(ことに瓦礫撤去などを)する人の多くが高齢者が多いという現実がある。確かに働き盛りの年齢層の方が、職場や家族から離れる機会を得るのは難しいが、身体が頑丈で判断力の働く方の力がとても不足しているのは事実。また私のような自由業(個人事業者)も、動ける時はよいがその間の収入を断たれるというリスクへの覚悟が必要だ。下手すると生活に大きな影響もある。そこで有給休暇が取れる立場の方の大きな協力を心からお願いしたい。多くの方々の力を現地で発揮して欲しいと願って止まない。
 さて最後に、紙面をお借りし(共に過ごした聖公会信徒の皆さんはもちろんだが)特に二人の方に感謝を捧げます。一人目は、この機会を与えてくださった藤原司祭。現地で見るその活動ぶりには、ただただ頭の下がる思いでした。もう一人は二葉幼稚園のコンサートに友情出演として、埼玉県宮代町のスタジオから駆けつけてくださったシンガーソングライターで、ユニバーサルレコード・プロデューサーの田代ともや氏です。彼の歌はもちろんのこと、ご自身の震災被災地支援活動レポートとアジアの子ども達の話に、子ども達・保護者の方々・職員の皆さんが心から感動されていました。同時に素晴らしい舞台パートナーとして舞台を盛り上げてくださいました。ありがとうございました。

茨城県日立市聖アンデレ教会
「二葉幼稚園」コンサートを終えて
子ども達・保護者・園長先生・職員と共に
田代ともや・末松よしみつ


藤原司祭も自ら被災地に
長期出張し、最前線指揮!

司祭 ミカエル 藤原健久

 私は現在、京阪神聖公会・日立ボランティアセンターの担当者として、日立聖アンデレ教会牧師館に設けられたセンターに駐在しています。センターは、主に、福島県いわき市小名浜地域で活動を行う為に、4月19日から活動を始めました。全国から常時数名から十数名のボランティアを受け入れ、主にいわき市のボランティアセンターを通し、ガレキや土砂の撤去、被災家屋内部や支援物資の整理などを行っています。また、避難所での足湯などの独自の活動も行っています。ボランティアそのものは、時にはきついこともある肉体労働ですが、礼拝堂での朝の祈りから始まる共同生活は、互いの交わりと、各自の信仰を深めるものとなっています。日立のセンターは6月末に、一旦日立での働きを終え、場所を変えて、第二期の活動を始める予定です。
 現場に行って痛感するのは、被害の規模の大きさと、範囲の広さです。三ヶ月経った今も、手付かずと思えるような地域もたくさんあります。復興までには、まだまだ時間がかかるでしょうし、これからも息の長い支援活動が必要です。


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