月報「コイノニア」
2011年10月号 No.338


《聖書を飛び出したイエス様・その35》
   自ら傷つく偶像

キャンディーズ『キャンディーズ・ゴールデン・ベスト』から

司祭 ミカエル 藤原健久

 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。
             (出エジプト記20・4-5)

 キャンディーズ。ある人はその名前を聞いて懐かしい思いが胸に広がり、ある人は心に残る歌を口ずさむことでしょう。「伝説」のアイドルグループと言って良いと思います。今春に、スーちゃんこと田中良子さんが亡くなられ、しばらくキャンディーズを見つめ直す時期があったように思います。
 彼女たちが大活動していた時期に、私はまだ小さな子どもでした。けれども、その歌が社会にどれほど大きな影響を与えていたかを覚えています。ヒットした曲は、老若男女、誰もが知っていたように思います。曲の題名をもじったような言葉が冗談で用いられたり、フランス語の数字の読み方を初めて知ったりしました。キャンディーズは、社会の多くの人々が共有できる出来事であったように思います。多様化、個別化が極度に進んだ現在ではこのような現象は起こりません。昨今の「昭和」ブームは、このような「一体感」を幻想的に求めているものなのかも知れません。
 久し振りに歌を聴いてみますと、懐かしさと共に、すっと耳に入ってくる心地よさを感じました。歌詞の一文字が、曲の一音に対応しており、歌詞カードを見なくても歌の内容が分かります。歌い回しや「コブシ」の付け方も、歌謡曲様の耳慣れたものです。そして三人の歌唱力が、とてもレベルが高く、驚きました。ハーモニーも、なめらかに移行する裏声も、大変美しいものです。
 彼女たちは、ファンの人々だけでなく、社会の多くの人々を喜ばせ、期待に応えようとしていたんだろうなと感じます。それだけに心と体に重圧を感じていたであろう事は、解散を告げるときに語られた「普通の女の子に戻りたい」という言葉にもうかがえます。
 「アイドル」という言葉は、日本語で「偶像」と言います。そして聖書は偶像崇拝を、非常に厳しく禁止しています。けれども、それをキャンディーズに当てはめると、少し違和感を感じます。彼女たちは、自分を追いつめ傷つけてまでも人々を喜ばせようとしていました。聖書が禁じる「偶像」は、それとは逆のものだと思います。人々を喜ばせているように見えて、実は、自分は一切傷つかず、人々を傷つけるもの、それが「偶像」なのだと思います。「貪欲は偶像礼拝にほかならない」(コロサイ三・四)。周囲から奪い尽くそうとする欲望が、具体的な姿をとったものが偶像です。偶像は時には目に見える姿になりますし、時には「価値観」や「暴力」のような目に見えない姿になることもあります。いずれにしても、私たちがなかなか「偶像」だと気づかないものが、真の偶像です。偶像を見抜く力と、それに従わない心を養い育てなければなりません。
 私たちは偶像を求めてはならないと同時に、自分が偶像になったり、誰かを偶像に仕立て上げようとする誘惑にも打ち勝たなくてはなりません。「偶像化」を防止するものは、「正直さ」でしょうか。昨今のアイドルには、随分とこの「正直さ」が増えたような気がするのですが、如何でしょうか。


投稿
京都聖マリア教会で実習をして

ウィリアムス神学館
  ミカエル 杉野達也

 京都聖マリア教会に実習に来させていただき、早くも七ヶ月が経とうとしています。マリア教会での実習では、多くの気づきを与えられています。
まずは、英語礼拝においてです。私はマリア教会に来るまで、英語で聖餐式を受けたことがありませんでした。当然、日課を英語で読むということもしたことがありませんでした。ですので、最初はとまどい、英語の式文と流れに全くついていくことができませんでした。最近になってやっと式文の流れにはついていけるようになってきています。英語で聖餐式に与るのと日本語で聖餐式に与るのとでは礼拝の質は変わらないのですが、日本語で礼拝をするのとはまた違った感謝と讃美があるということに気がつかされました。また、英語で日課を読むことによって、日本語の聖書との訳の違いから、聖書の理解をさらに深めることができています。
 次に日曜学校においてです。私自身日曜学校の経験がなく、日曜学校の教師も経験がほぼないので、マリア教会で日曜学校の司式と話をさせていただき、子どもたち、特に年齢の低い子こどもたちに聖書の話をわかりやすく伝えるということの難しさを改めて感じさせていただき、幼稚園の先生などの子どもたちへの対応、子どもたちとの距離の取り方なども、勉強させていただいています。
 先日の奨励においては、奨励後皆様からたくさん声を聞かせていただき、大変嬉しく、また今回私にできなかったことを次の機会には活かせるように、さらなる勉学に励まなければと思っている最中です。
また、マリア教会はキャンプやボーイスカウト、コンサートなど行事が多いこともあり、人の出入りが激しい教会であると思います。人の出入りが激しいということは多くの方々と出会う機会があるということだと思います。私は実は人と会話をすることが好きです。それは、お話をさせていただく中で、色々なことを学ばせていただくと同時に、自分の足りない所に気がつくことができるからです。人見知りで、自分からはあまり積極的に話をするタイプではないのですが、これからも、マリア教会の皆さんとお話しができたらと思っています。実習期間が残り半分を過ぎてしましたが、これからもよろしくお願いいたします。


野外礼拝のご案内!

主の御名を讃えます。
いい季節になりました。今年の野外礼拝は京都・大阪教区間交流の流れを汲み、他教区の礼拝に出席し、ともに聖餐にあずかろうということになりました。
朝から貸切バスで川口へ向かい、ちょうどその日、教区間交流で派遣される藤原司祭のお説教をきき、その日行われる幼児祝福式と収穫感謝の礼拝を共にし、礼拝後、川口教会の男性信徒の作られた教会の昼食を一緒にいただき、食後バスで少々お楽しみの企画を訪ねて夕方教会に戻ります。
秋の行楽シーズンに信徒みんなでワイワイ楽しくまいりましょう!

と き:2011年11月20日(日)
行き先:日本聖公会大阪教区 川口基督教会 ほか
集 合:午前8時20分聖マリア教会前 
解 散:午後5時30分(予定)聖マリア教会前
会 費:お一人2,000円(小学生以下500円・幼児無料)


お申し込み:
礼拝堂前室にある申込書にご記入ください。
お問合せ:吉村伸

日本聖公会大阪教区 川口基督教会

「川口居留地」と呼ばれたここ川口町では、多くの来日宣教師たちが伝道をはじめ、いくつものミッションスクールや病院などが建てられました。
1869年、長崎から大阪にやってきた米国聖公会宣教師C.M.ウィリアムス主教は、川口に移住し、1870年、英学講義所を開校するとともに、英語による礼拝を始めました。これがこの地でのキリスト教宣教の始まりであり、川口基督教会の第一歩となりました。
そして、1881年に教会が設立され、1920年に現在の礼拝堂が建設されました。
1950年には、大阪教区主教座聖堂となりました。しかし、1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、教会も塔が倒れ、礼拝堂も大きな被害を受けました。一時は取り壊しかと思われましたが、世界中の人々の力に助けられ、1998年に礼拝堂が復元されました。

〒550-0021 大阪市西区川口1-3-8


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