月報「コイノニア」
2012年4月号 No.344


《聖書を飛び出したイエス様・その41》
   人生の芸術家

映画『アーティスト』から

司祭 ミカエル 藤原健久

わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。                (マタイ5・17)   

 アカデミー賞作品賞を始め最多五部門を受賞、しかも白黒の無声映画、それが新作として作られたと聞いて、大変興味を持ち、観に行きました。
 時は1920年代、舞台は映画の都ハリウッド、主人公は無声映画の大スターです。観客の喝采を浴びる主人公。けれども時代は、声が出るトーキー映画へと移っていきます。主人公は「無声映画こそ芸術だ」と頑なに今までの手法に留まり、結果として時代に取り残されます。一方、主人公の世話で映画業界に入った新人女優は、トーキー映画のスターになります。互いに惹かれ合い、恋心を抱きながらも、時代の波に翻弄され、二人は引き裂かれていきます。
 時代はトーキーどころか、デジタル3Dになっているというのに、白黒無声映画が多くの人々の感動を呼んでいるのは、この映画が、人間の普遍的な哀愁を表現しているからでしょう。様々な技術が日進月歩の発達を遂げている社会にあって、どうしても私たちは、一生懸命勉強しても「時代の波」に取り残されそうになります。後輩たちがどんどん進んでゆくのを、じっと見守らざるを得ない時もあるのです。
 主人公は、時代に取り残された自分を「芸術家」と呼びました。これは、芸能の分野の事だけではないように思います。合理性、利便性、経済性を追求してゆく最先端技術に対して、それとは違う価値観で歩んで行くことは、すべてある種の「芸術」ではないかと思います。時代の流れが少し厳しく感じる人は、それは、その人が芸術家であるからで、時代の流れとは違う美しさを、自分の人生で表現しようとしているのだと思うのです。
 人生の芸術を支えるものが、二つあるように思います。一つは「誇り」、もう一つは、「他者への優しさ」です。映画の主人公は、没落していく中でも、決して誇りを失ないません。どんなに衣服が質素になっても、スター時代と変わらず、しゃきっと背筋を伸ばしています。また主人公は、笑顔がとても良いのです。どんなときでも、優しい笑顔で人と接します。誇りと優しさが、私たちの人生を芸術にして行くのでしょう。
 さて、人生の芸術家に対して、キリスト教はどのように応えるのでしょうか。キリスト教は、かつて時代の最先端でした。今もそのように思われている節があります。「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」(マタイ9・17)確かに、キリスト教は、古くて頑迷になり人々を抑圧していた旧体制を打ち破ってきた歴史があります。けれども、「新しいもの好き」で、ひたすら古いものを否定して行くのが、キリスト教の本質ではありません。冒頭の聖句にあるように、古いものを完成させて行くのが、キリスト教の力です。誇りと優しさで、柔らかくなめされた革袋は、古くなったかのように見えるぶどう酒を、新しい味わいに変化させ、味わい深いものにしてくれるでしょう。
 映画の主人公も、最後には、自分の人生を新たに輝かせました。とても素敵なラストシーンです。私たちの人生は、映画ほどドラマティックではないかも知れませんが、きっと美しく輝くことでしょう。 


祝 ご復活!

随分と寒い春でした。桜の花が開ききっていない四月八日、今年の復活日をお祝いしました。復活日前の四〇日間、各自がそれぞれの場で大斎節を守りました。大斎節の間、教会では次のように礼拝を守りました。

2月21日(水) 大斎始日(灰の水曜日)礼拝

 昨年のしゅろの十字架を燃やして灰にしたものを用いて、礼拝を行います。今年の大斎始日は、急逝されたルツ林悦子さんの通夜の祈りと同じ日になりました。愛する姉妹の魂の平安を祈り、礼拝をお捧げしました。通夜の準備の都合上、小礼拝堂で、司祭が行いました。

京都伝道区大斎集会

 大斎節中、毎週水曜日、午後七時から、京都伝道区の各教会を巡って、大斎集会が行われました。今年は「キリストのぬくもりが伝わるところ」をテーマに、七名の信徒、教役者がお話下さいました。特にマリア教会に関連ある方としては、浦地洪一司祭様が、3月21日に、彦根聖愛教会で「キリストの香り」という題目でお話し下さいました。

 3月は、藤原司祭が「小名浜 聖テモテ・ボランティアセンター」で勤務していました。平日は福島県いわき市小名浜で勤務し、日曜日は京都で礼拝を守りました。そのため、3月中は、平日の礼拝(早朝聖餐式、夕の礼拝)はお休みしました。ただ、三月一一日だけは、日曜日ですが、震災一周年の記念日として、小名浜で過ごしました。ボランティアセンターが関わっている仮設住宅で「合同慰霊祭」を行い、藤原司祭は地元の僧侶の方々と共に、祭壇奉仕を行いました。様々な困難を経験された被災者の方々と過ごした、特別な祈りの一日となりました。


3月25日(日) しゅろの十字架づくり

 主日礼拝後、婦人会例会において、次主日の復活前主日(しゅろの主日)の礼拝で用いるしゅろの十字架を作りました。この日の婦人会例会は、サーバー、オルター各ギルドを中心とした当教会宣教部門の呼びかけにより、復活日前の祭壇環境整備となりました。しゅろの十字架作りの他には、聖器具磨きを行いました。

4月1日(日) 復活前主日(しゅろの主日)

 この日は、二つのことを覚えて礼拝をします。一つは、イエス様のエルサレム入城です。人々は待望の救い主の訪れに、しゅろの葉を持ち「ホサナ、ホサナ」と叫んで喜びます。もう一つは、イエス様の十字架です。イエス様を喜んで迎えた民衆は、その数日後、今度は「十字架につけろ!」と叫んだのです。人間の罪深さを深く覚え、自らの罪を懺悔し、復活の命を心から望む日です。
 主日聖餐式に置いては、この二つの事を覚え、礼拝の最初に、しゅろの十字架を手に持ち、礼拝堂前室から礼拝堂内部での行列を行います。そして福音書朗読の時には、イエス様の受難の長い箇所を、教会委員の方々を中心に役割分担で朗読します。会衆席に座っている方々は「十字架につけろ」という群衆の叫びを朗読しました。浦地司祭司式、53名参加。

4月2日(月)ー4日(水) 復活前月ー水曜日

 火曜日には、激しい低気圧の影響で、全国で強風が吹き荒れ、大きな被害をもたらしました。自然災害による被災者の方々を覚えて祈ることが、しばしばあり、祈りと奉仕の重要性を思います。

4月5日(木) 聖木曜日

 午後7時に、「聖木曜日の礼拝」を行いました。この礼拝には、二つのテーマがあります。一つは、洗足、もう一つは聖餐制定です。イエス様は、十字架につけられる前の晩、弟子たちを心から愛して、その愛を示すために弟子たちの足を洗い、最後の晩餐に於いて、聖餐を定められました。この日は牧師が信徒の足を洗い、聖餐式を行います。聖餐式においては、大斎節の間封印されていた「大栄光の歌」が、久し振りに歌われます。けれども、聖餐式終了後、聖別されたパンとぶどう酒を保存した後、祭壇の飾りをすべて取り外します。次の日の、受苦日を予告するかのような、もの悲しい雰囲気と共に礼拝が終了します。礼拝後、「聖木曜日の黙想」が行われました。福音書に於ける、最後の晩餐から、イエス様の十字架につながる長い箇所を朗読し、その合間に詩編を唱え、黙想します。約一時間の黙想です。聖餐式に七名、黙想に二名参加されました。礼拝では中学生のサーバー奉仕と、子どもたちの参加がありました。

4月6日(金) 聖金曜日(受苦日)

 早朝聖餐式は、前夜に保存された聖品を用いて行われました。1名参加。
 正午には、京都教区主教座聖堂(聖アグネス教会)で、礼拝が行われました。福音書朗読で、当教会信徒も奉仕しました。
 午後七時、「聖金曜日(受苦日)の礼拝」が行われました。チャンセルに、等身大の木の十字架を設置し、イエス様の受難が記された長い福音書が朗読され、世界平和のためにお祈りしました。外国の方を含め3名参加。

4月7日(土)聖土曜日

 この日は一年で唯一、早朝聖餐式を行えない日です。朝の礼拝を行いました。1名参加。
 朝の礼拝の後、祭壇の飾りを再び設置しました。大斎節の間設置されていた、紫色の飾りから、復活の喜びを示す白色に変身です。私たちの心も、復活の喜びに近づいてゆきます。
 午前中、イースターエッグ作りを行いました。日曜学校の子どもたちが約10名、集まってくれました。ご奉仕してくださったのは、聖マリア幼稚園の先生方です。200個の卵をゆでて、まだ熱い内に、子どもたちがクレヨンで絵やメッセージを書き、食紅を溶かした水で色を付けます。可愛いメッセージカードと共に小袋に詰め、バスケットに乗せてゆきます。新しい命を生み出す象徴であるきれいな卵が、復活による新しい命の喜びを、多くの人々に伝えることでしょう。
 ただ、この行事は、教会主催なので、幼稚園の先生方の御好意に甘えてばかりいてはいけません。来年からは、教会信徒の積極的なご奉仕をお願いします。
 午後7時、夕の礼拝。1名参加。
 午後11時、イースターヴィジル(復活徹夜祭)
 教会は、その最初期から、夜を徹して復活を祝う礼拝を行ってきました。その伝統を覚え、私たちの教会でも、日付が変わる深夜に、復活日の礼拝を行います。
 新しい「復活のろうそく」に日を灯し、礼拝堂内を真っ暗にして礼拝を進めます。会衆の手元のロウソクに火がつけられ、復活のろうそくがチャンセル上に設置されたとき「ハレルヤ、キリストは本当に復活された!」喜びの信仰を告白します。他教派の方も含めて7名参加。

4月8日(日)復活日

 喜びの朝です。
 午前4時半、ジュニアチャーチ、大文字早天礼拝。
 「週の初めの日、朝ごく早く」に弟子たちが復活されたイエス様に出会ったことを覚え、早朝に礼拝を行います。11名参加。
 午前七時、早朝聖餐式。3名参加。
 午前八時、英語聖餐式。外国の方六名と当教会信徒一名参加。イースター休暇に来日し、四年にわたり毎年参加してくださるご家族もおられます。蛇足ですが、司祭は英語が全く不得手です。毎週の英語聖餐式と、その後の朝食会に、来会者と英語でお話ししてくださる奉仕者を、本当に常時募集しています!誰か助けて!

 午前10時45分、主要聖餐式。

 大勢の兄弟姉妹と共に、復活の喜びを分かち合う礼拝です。聖歌隊と、ハンドベルクワイヤーが、素晴らしい演奏を通してご奉仕下さいました。今年は、「天の全会衆とともに」祈りを捧げていることを覚えて、納骨堂の扉をすべて開けて礼拝を行いました。121名参加。礼拝後、記念撮影を行い、祝会へと移りました。すっかり恒例となった「持ち寄り昼食会」です。皆さんが持ち寄った素晴らしい料理の数々に、心も体も大変満足させられました。

 今年もこのように、盛大に復活日を祝うことが出来ました。けれども、復活の信仰は、復活日だけに告白されるものではありません。私たちは一年365日、毎日主のご復活を覚え、日々新たに復活の命を生きる信仰を生きているのです。復活日が終わっても、主日礼拝に参加し、み言葉を学び、愛の奉仕を通して、復活の命を生きてゆきたいと思います。


ボーイスカウトベンチャー隊
 松田慎くんが福島で奉仕!

 京都聖マリア教会を本部に置く、ボーイスカウト京都第24団は、京都でも数少なくなってきている大人数の団で、日々活発な活動をしています。これは母体である京都聖マリア教会と聖マリア幼稚園の協力が大きく、お互いにいい関係で支え合っていることが大きな要因といえます。
 ボーイスカウト活動には、奉仕活動のほか、「進歩制度」というものがあります。「進歩制度」ではあらかじめ設定してある課目を、スカウトが自発的に挑戦し、履修することによって、立派な社会人になるための「資質」を伸ばして、人間的成長を図るもので、それぞれのスカウトがそれぞれの目的をもって色々な課目に挑んでいます。
 その中で、ベンチャー隊の松田くんは「宗教章」という課目に着目し、藤原司祭に協力を求めて上記の項目履修に挑戦中です。スカウトが本部であるこの教会のキリスト教に興味をもってもらう事をうれしく誇りに思います。

<キリスト教章授与基準(日本聖公会)>

1. 登録完了のボーイ1級以上のスカウトである事。
2. 使徒信経、主の祈り、十戒を暗記している事。
3. 日本聖公会の主な教理を理解している事。
4. 教会の歴史の大要について知っている事。
5. 日本聖公会の言う教会生活に忠実である事。
6. 信仰に基づいて積極的に地域社会のために奉仕している事。
7. 野外地において、日本聖公会の宗教行事の準備と奉仕に従っている事。
8. 自分の生活の中に「教え」をどのように実践しているかの記録を提出する事。

投稿
福島聖テモテ教会
    奉仕体験記

ベンチャー隊員 松田 慎

3月27から29日の3日間、僕は福島聖テモテ教会に奉仕活動に行きました。
 3月の初めに聖公会での宗教章取得希望を藤原先生にお伝えし、まもなく講習が始まりました。講習では使徒信経、主の祈り、十戒、キリスト教の中心概念や簡単な歴史を教わります。さらに祈祷書に書いてある教会問答を音読してその意味を教えて頂きました。 最後に、日本聖公会キリスト教章授与基準の五・六・七の達成の方法を一緒に考えてもらいました。そこで提案して頂いたのが聖テモテ教会の奉仕活動です。放射能の危険などを十分に考えた上で参加を決めました。藤原先生から奉仕活動の内容をご説明頂きました。また京都・福島間の往復交通費を支給していただきました。さらに、困ったときのお祈りを教わり、教会を出発しました。
 福島に着いて間もなく、藤原先生は急用のため入れ違いに京都に帰られました。そして聖テモテ教会で石垣進さんにお世話になりました。石垣さんは京都教区からの聖職候補生です。
 教会では、朝夕の礼拝、食前の祈り、風呂に入り、就寝前の祈り。朝夕の礼拝、祈りでは第一日課、第二日課を読む役を務めました。奉仕活動の内容は、原発からより近い区域から避難されている皆さんが住む仮設住宅内の「ほっこりカフェ」のお手伝いと、避難中の子供たちと遊ぶことです。ほっこりカフェでは来店された方にコーヒーをお出しし、いろいろなお話を傾聴しました。
 こうして、目標の課題を達成し、三日間の滞在を終えました。最後に車で津波被害を受けた街に行きました。瓦礫は撤去され、家の土台だけが残る異様な光景が広がっていました。その光景を胸に焼き付け、心から復興を祈りました。


ヨシュア岩本翔太

被災地より現地レポート@

 四月の半ばもすぎて私が仙台に派遣されてから一年経ちます。マリア教会をはじめ全国からお祈りいただいている事を日々感謝し被災地である東北からも皆さんを覚えお祈りしています。
 当時、新幹線は仙台まで通っていなかったので夜行バスに乗り仙台へ来たことを思い出します。仙台駅へ早朝着くと工事をしているビルはあったものの『普通の街』でありテレビやラジオで聞いていた被災地とはほど遠い景色でした。しかし、海のほうへ行くとテレビで見た海岸線、陸地の方では地震により傾いた外装だけはきれいな家…。そして放射線により外で遊ぶ事ができない福島県の子どもたちを見ると驚きました。
 当時の活動としては全国の教会から集められた救援物資の仕分け、運搬が主たる作業でした。目の前に見える物資不足を少しでも解消させようとみんな必死に情報を集め運搬していました。
 時は変わり半年をすぎた九月には救援物資運搬などの物的支援よりプログラム中心の支援へと転換していきました。津波による被害を受けた人、原発事故の放射線により被害を受けた福島県の子どもたち、仮設住宅へ入居した人、外国人など支援先は様々です。心のケアを私が行うという大きな事は決して言えませんが、被災された方々が私を頼ってくださっていると感じると、やっていて良かったなと感じます。
 この一年で被災者の方も含むたくさんの方と出会うことができました。震災がありいろんな人と出会えて良かったなどとは決して言えませんが出会った一人一人の関係は神様が与えてくださった出会いであり、本当に大切にしなければならないと感じます。
 まだまだ問題を抱えた方がたくさんおられ東日本大震災は終わっていません。震災が起きた3月11日を3・11と記号化せず忘れないでください。
 そして、みなさんのお祈りは確実に東北へ届き被災地の復旧が日々進歩しています。これからも3月11日を風化させない為にも被災地を覚えお祈りください。


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