月報「コイノニア」
1998年6月号(No.178)


聖霊の降臨

牧師 司祭 イザヤ 浦地洪一

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、〃霊〃が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。       (使徒言行録2章1節〜4節)

教会の暦において、クリスマス、イースターについで大切な祝日は、「聖霊降臨日」です。イースターから数えて50日目にあたります。
使徒言行録は、ルカ福音書の続編と言われ、同じ著者ルカが書いたと言われています。 他の福音書には、弟子たちのところにこのような形で「聖霊」が降ったという記事は紹介されていません。ヨハネの福音書では、復活と聖霊の降臨は同じものとして描かれています。
使徒言行録によると、弟子たちが一つの所に集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、その音が家中に響きわたったとあります。さらに、炎のような舌が一人一人の上に分かれてあらわれ、止まったというのです。そして、そこに居た者たちは、聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、行ったこともない国の言葉で、めいめいが語りだしたと伝えています。 この光景を絵に描くと、驚きと不安におびえる弟子たちの頭のうえに、ろうそくの炎のようなものが止まっているというような奇妙な風景になります。
 わたしたちは、父と子と聖霊の三位一体の神を信じる、と信仰告白をいたしますいが、父なる神さま、神のひとり子はなんとなくわかりますが、もっともわかりにくいのが、聖霊である神さまだろうと思います。「目に見えない神の力」というように言いますが、実際にこれを確信するのはとっても難しいことだと思います。目に見えない神の力が人々の上に現されたということを、文章や絵で描写すると、この使徒言行録のような表現になるのではないでしょうか。
キリスト教の信仰の中で、とくに聖霊の働きを強調する人たちがいます。聖霊を非常に主観的にとらえ、風や火をともなう異常な現象を期待する、恍惚状態になり、異言を語る人もいます。
 聖霊の働きというのは、そのような特殊な宗教体験だけをいうのではなく、日常の生活の中で、静かに働いてくださるものだと思います。洗礼を受けたとき、聖霊によって、生まれかわったのであり、毎主日、聖餐に与るとき、聖霊によってパンとぶどう酒がキリストの御体と御血に変えられていくという信仰がわたしたちにあります。神さまを信じることにしても、聖霊によって導かれ、促され、突き出されなければ、わたしたちは、神さまを知ることさえ出来ません。
 復活したイエスさまは、弟子たち一人一人に、息を吹きかけ「聖霊を受けよ」と言わ
れました。
 問題は、神さまからの聖霊が、今も、わたしたちの上に降るかどうかということではなく、わたしたちの前に立って、息を吹きかけてくださる主イエスの息遣いを感じるかどうかにあると思います。
 「聖霊降臨日」は、主イエスさまが吹きかけてくださる息づかいを感じる時です。耳を澄まして、聞きましょう。目をこらして、見分けましょう。
聖霊さま、どうぞ、わたしの目を開き、耳を開いてください。心の目と、耳を研ぎ澄ましてくださいと祈りましょう。


ベタニヤのマリア 宮西良子姉 追悼特集

私たちの尊敬するベタニヤのマリア宮西良子姉が天に召されて一ヶ月がたちました。今も会館二階にある写真と遺骨の前に毎日のように人が訪ねてこられます。5月31日の聖餐式の最後に逝去者記念の式を捧げ、その後納骨箱に納骨されました。

良子先生に教えてもらったこと

ルデア 菅原さと子

私にとっての良子先生は、幼稚園の先生として今ここに在る私を育ててくださった「母」であると思っています。昨年5月、実母を亡くし今またここに第二の母を亡くした思いで、何とも言えない面もちです。良子先生を知る方々は、我こそは一番親しい「知人」と思われているように思います。それは、取りも直さず良子先生は、関わりのあった人々すべてに真剣に関わってこられた為だと思います。そして、その基となる哲学?姿勢は、日々の子供達との関わりにあるのではないかと私は思っています。それは、私が就職して、保育の中でピアノを弾く機会を与えられた時、歌の伴奏、スキップ、リズム遊びなどの時にピアノを弾いたのですが、「子供を見ていない」とか、「ベートーヴェンやらが弾けても幼稚園で弾くピアノ、特に子供が目の前に居る時は、子供の動きやリズム、テンポに合わさなあかんのどっせ。」とか「ゆっくり弾いとおくれやす。」「もうちょっと、小いそう(小さい音で)弾いとうくれやす。」など、子供達を目の前にしてでも注意をされました。そして、1日中、ピアノの音の絶えないこの聖マリア幼稚園では「ミ」の音を鳴らせばスキップの始まり、「レ」の音が鳴れば休憩(ちょっと静かにしましょう)の合図と決まっていました。子供達との大切なルールのひとつです。就職2年目でホールのピアノを弾いていた時、私は保育の内容の切り替えに、素直にその「レ」の音を鳴らしたのです。でも、子供達が休憩するどころか「レ」の音など何も耳に入っていない様子です。今よりも、う〜んと子供達の人数が多かった頃です。良子先生は私を見て、「子供達がこんなに楽しそうに話をしている時にいくら「レ」の音を鳴らしてもあきません。「間」も大切どっせ。」と。更に、子供達が賑やかにしている時に、ピアノの音がみんなによく聴こえるように「フォルテ」で弾いていた私に「こんな時に大きな音で弾いたら、子供達はもっと大きな声で話してしますうから逆どす。」と。様々な事を教わったのです。子供たち一人ひとりを観る。見ていても観えていない。間も考え無ければ観えない。のです。この観る事をいつも頭に置いていれば、周りの様々なことが観えてくるのでしょう。そして、良子先生は、実にいろんな事に興味を示し、お話の中に、子供達に取って大切な生活や知識など、いろんなことを組み取り入れて話され、いつも子供たちの高さに目を合わせてこられました。そして、子供達が今持っている興味を引き出すのが、実に上手でした。これも子供達が観えているからなのです。これは、ほんの一つの例に過ぎません。しかし、子供達に対するのも、大人に相対するのも、ひとりひとりを大切にする事、向き合う姿勢は同じだったのでしょう。だから、たくさんの人を愛し、たくさんの人から愛された良子先生なのです。良子先生の子供たちとの交わりの最後の日は、私が東京へ出張の為、痛みを押さえてまでも幼稚園に来てくださった1月23日でした。そののち「ゆっくり先生と話したい」と思って4月15日に病院へ。面会終了の7時迄の一時間半もの間、ゆっくりといろんな話をしたのでした。そして、私に初めて「もうあかんわ」と弱音を吐かれた先生でした。そして、4月26日、図らずも私の誕生日の日に新たな投薬で眠りに入られた良子先生。一時間も経たない内に、スヤスヤととっても気持ちよく眠り始められました。28日の遠足無事終了後、4月29日夜中二時半病院からの連絡で、百万辺から桂まで「何て信号が多いんだろう。」「こんな夜中に何でこんなに車が走っているんだろう」と思い乍ら「先生、もう少しもう少し。」と祈り乍ら、25分で病院に辿り着いたのです。そして4時5分、良子先生は神様の所に逝かれたのです。良子先生の大好きな色の「みどりの日」に。私は今、自分が小さかった頃の宮西ゆき先生と良子先生。就職してからのお二人の先生の姿が交叉しています。そして鮮明に覚えている場面のある事を、いつまでも大切にすると同時に、子供たちの前では精一杯役立てられる事にしたいと考えています。
5月31日聖霊降臨日に良子先生の逝去一ヶ月記念式があり、旧職員が集まりました。先生の保育の偉業がここで交わった人々の感謝と共に伝えられ続けられるようにと願います。聖歌538番「おもえば昔イエスきみ おさなごを集め・・」お二人の先生の歌なのです。

約30年前の良子先生。
(若くてきれい!)
隣に故宮西ゆき先生、
故長谷川道夫司祭。
後列左より戸倉事務員さん、
草木・上野・三宅・山本先生。
(すべて旧姓)


天国の良子先生にひとこと・・・

ヨシュア 立石昭三
良子先生は本当に立派でした。主治医と一緒に病院の一室で予後の最終的な告知をしたのですが、その後も「あの若い先生の告知の仕方は何点?」と私に問い掛け、私は「まあ90点かな」といって二人で大笑いして病院の中庭の満開の桜を見にけかけました。病人の中でも「光」でして、私はアウシュヴィッツで亡くなられた「コルベ神父」のような方だなと思いました。

マーガレット 浦地 愛
いつも鞄や鍵を探していた良子先生、思いついたらスグ行動の良子先生、猫ちゃんのために引っ越しをした良子先生、いつも子供のことばかり考えている良子先生、今はもう会うことができません。でも私たちの心の中にはずっと良子先生がおられます。

レイチェル 松田朋子
「日曜学校がんばりや!」「はい!」それが私と良子先生の最初で最後の会話でした。その言葉が私への遺言だったと思い、良子先生が子供たちを愛したように、私も他の先生と共にいつも笑顔でSSを守っていきます。

ヨハネ 稲生泰夫
いつもわたしのことを気づかっていただき、いろんな心配りをいただいていた良子先生。日曜学校の礼拝で心を合わせて司式したことなど、つぎつぎ思い出され、今でも亡くなられたとは思えず、お顔が浮かんできます。

ステパノ 岩城昭夫
先生独特のSS教師のための聖書研究会でのお話はもう聞けないのですね。天国でも良子節でご活躍を!

マルコ 新実康男
最近はお互いにあまりお話しする機会がなかった宮西先生ですが、おられる事が私たちに安心感を与えてくださっていたように思います。永遠に共に主にあることを。

サムエル 服部卓爾
お若い頃は(高橋)お伝さんの愛称の京猛女。常にマイペースでユーモアがあって老若男女分け隔てなく京都弁で自然に接してこられた良子さん。細かい約束事には多少いい加減な面もあったけれど、憎めなかった良子さん。独身だったけれど50年間に何千人の幼児の母と慕われた良子先生。天国が賑やかになった分、こちらは寂しくなりました。

リベカ 続木泰子
良子先生との初遭遇は二〇年前のクリスマス祝会。♪カーエールの夜回りガーコガッコゲッコピョーンピョン♪幼稚園のお二階、ちいさな椅子に満員の人たちを仕切って、それは楽しい楽しい夜でした。「スゴイ教会だったヨ」と、東京聖アンデレ教会に帰って言ったものでした。

セシリア 末松玲子
私たち一家が洗礼を受けたのはちょうど四年前。「よろしなあ、家族いっしょに洗礼は、よろしなあ…」。良子先生の「よろしなあ…」を大切に暮らしていきたいです。良子先生ありがとうございます

ヨセフ 前田 潤
良子先生!本当にいろいろなことを教えてくださって「ありがとうございました」の気持ちでいっぱいです。天国に召されても、マリアにいた時の良子先生でおられることを祈っています。

マリア 藤原なつき(小5)
私はよし子先生は、ながーい眠りについたのだと思います。そのうちパッとあらわれて「元気どすか〜?」というと思います。私はその日を楽しみにしています。

アマデウス 続木 光(小3)
よし子先生、天国はどうですか?いつもいろんなブローチをつけてきたよね。げんきでね。

ロダ 吉村由理
三十数年前、私は良子先生をてこずらせた悪ガキの一人でした。現在、息子和馬が同じく悪ガキでマリア幼稚園にいます。良子先生の直接の保育は受けられないけれども、その精神は確実に生き続けてているようです。

稲生知恵子(幼稚園母の会)
良子先生は、昔「子供は三人産みなさい。三人やったら輪になって角が取れていいんやから。」とおっしゃっていました。だけど三人目が幼稚園に入ってしばらくした日に「そろそろこの子にも下ができたらいい頃やねえ。」と私におっしゃいました。私が「そんな、もう体力がありませんよ。」というと「何とかなるもんでっせ!」と一言。先生、まだまだ楽しいお話が聞きたかったです。

橋本裕美(幼稚園母の会)
壁にぶつかった時、「愛して信じる」ということがいかに大切かを教えていただき、ありがとうございました。

匿名希望(幼稚園母の会)
いつも優しく好奇心あふれる方でした。入院中も「病気をして初めてそのしんどさがわかりました。神様が教えてくれはったんどすな」とおっしゃり、造花を隣床の人から習っておられました。

飯尾悦子(幼稚園母の会)
子供に対して、迷いがあり、落ち込んでいるとき、いつも私に「寄ってきてくれるのも今のうちでっせ!せいぜい膝の上に乗せて甘やかしてあげなさい」と、話しかけてくださいました。優しさというものをいつも私に教えてくださった先生でした。

匿名希望(幼稚園母の会)
先生の優しい笑顔、いつまでも忘れません。
谷 久美子(幼稚園母の会) 私の小さい頃に娘がそっくりだと、よく声をかけてくださいました。

匿名希望(幼稚園母の会)
先生は子供たちの体と心の元気の素でした。これからもずっと・・・


実習神学生紹介

上松 興さん
木村夕子さん

 本年度のウイリアムス神学館からの実習生のお二人をご紹介いたします。

エレミヤ 上松 興
 長野県飯田市生まれ。地元の高校を卒業後、中央大学法学部に進学。卒業後はシナリオを習い、日本放送作家協会に属し、創作活動。毎日新聞社東京本社出版局美術出版部の編集委員として美術出版の編集に携わっておられました。母教会は東京聖テモテ教会。
「私もは満50歳になります。私の世代は世間でよくいわれる団塊の世代で、このままで後十年もすると本格的な高齢者社会を迎えます。周囲の人、また神様を必要としている多くの方のために来るべき高齢化社会に向けて、少しでもお役に立てたらと思っています。」

ヘレン 木村夕子
 北海道札幌生まれ。満23歳。北星学園短期大学卒業。大学時代はワンダーフォーゲル部に所属。趣味は散歩。そして木陰で昼寝をすること。でも、虫が来たときにとってくれる人が必要だそうです。
母教会は札幌聖マーガレット教会。
「神学館での学びも2ヶ月が過ぎようとしています。入学のきっかけは不思議なお導きで、この京都の街に住み、学ぶことを与えられていることを本当に感謝します。」

 親子のように年の違うお二人。私たちの教会のいろいろな年代の方にもお話が合いそうですね。夕の礼拝の教話や主日の補式・サーバーなどがんばっていただいています。後の号に投稿をお願いします。


京都聖マリア教会日曜学校
北小松キャンプのお誘い

今年も日曜学校のキャンプが行われることになりました。昨年は故宮西良子先生もスタッフとして参加してくださいました。今年もすばらしいキャンプにして天国で見守ってくださっている良子先生に喜んでいただけるキャンプにしましょう。
また、今年は、お隣のアグネス教会の子供たちや先生たちも一緒にキャンプをします。ひと味違うキャンプになります。ぜひご参加ください。大人の方もファミリー参加大歓迎です。子供たちのために何かひとつでもご奉仕いただいたら立派なスタッフです。お待ちしています。

と き
1998年7月19日(日)・20日(月・祝)
ところ
復活学園湖畔学舎「北小松キャンプ場」
(滋賀県滋賀郡志賀町北小松)
参加費
キャンパー(小学生)3,000円
スタッフ 5,000円
(学生スタッフ) 3,000円
未就学児童 1,000円
(未就学児童には責任ある保護者が同伴してください)
申込み
6月30日までに参加費を添えて聖マリア教会・浦地愛まで


6月号次ページへ