月報「コイノニア」
1999年4月号 No.188


主のよみがえりを記念する

牧師 司祭 イザヤ 浦 地 洪 一

 全能の神よ、あなたは一週の初めに日にみ子イエス・キリストをよみがえらせられました。どうかわたしたちは皆この日に、使徒たちの模範にならって、主のよみがえりを記念し、ともにみ前に集まり、主を拝み、み言葉を聞き、主の贖いを感謝してその恵みにあずかり、日々忠実に主に仕えることができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン


 この祈りは、祈祷書115頁にある諸祈祷の中の「主日を尊ぶため」の祈りです。
 このお祈りは、主日を正しく守ることができますようにと祈るとともに、主日礼拝の意味について教えています。
 私たちは、なぜ日曜日に集まって礼拝をするのでしょうか。教会では、日曜日しか礼拝をしていないからとか、日曜日は、学校や会社がお休みで集まりやすいからと言う人もいるかもしれません。しかし、教会が日曜日(主日)に礼拝をするのは、もっと積極的な特別の意味があるからです。
 イエスさまの生涯の最後の数日を、現在のカレンダーにあてはめて考えてみましょう。
 イエスさまは、木曜日の夜、弟子たちを集めて、過越の祭りを祝う食事をなさいました。ユダヤ教の習慣に従ったものでした。結果的には、これが弟子たちとする最後の晩餐となりました。その後、オリブ山のゲッセマネの園に行き、暗闇の中でお祈りをなさいました。そこへ、ユダヤ教の役人たちがやってきて、イエスさまを捕らえ、神を冒涜したと訴え、裁判にかけるために、一晩中連れ回しました。そして、ユダヤ教の指導者たちに扇動された群衆は「十字架につけろ」と叫び、十字架刑が定められたのです。イエスさまは、金曜日の正午ごろ、十字架に架けられ、午後三時ごろ、息を引き取られました。 その日の夕方から安息日に入るため、弟子たちは、急いでイエスさまを十字架から降ろし、エルサレムの城門外にあったアリマタヤのヨセフが所有するお墓に葬りました。
 そして、三日目、一週の初めの日、すなわち日曜日の朝早く、二人の女性がお墓へ行ってみると、たしかにそこに葬ったはずのイエスさまのお墓が空っぽになっていました。女の人たちは、びっくりし、急いで弟子たちの所へ走り、そのことを知らせました。
 弟子たちが、前の夜にイエスの遺体をひそかに隠したのだという人たちもいました。死んだ人がよみがえるなんて、絶対に信じられないという人もいました。しかし、あのナザレのイエスはよみがえってのだというニュースは、見る間に各地に広がっていきました。
 弟子たちは、一時、イエスさまが十字架につけられ、殺されたという現実を目の当たりにして、失望落胆のどん底に落ちいり、また、自分たちも捕らえられ殺されるのではないかと、不安と恐怖に震えていました。しかし、イエスさまはよみがえったのだという次の現実によって、彼らは生まれかわりました。イエスさまのよみがえりを信じて受け容れた者は、まさにキリストと共によみがえったのです。不安は喜びに変わり、失望は希望に変わっていったのです。あの方は、ほんとうに神の子だったのだ、救い主、キリストだったのだという信仰は、彼らに勇気を与えました。そして大きな喜びに満たされたのです。
 彼らにとって、毎日が、よみがえりを記念するの喜びの日でしたが、さらに「一週の初めの日」を、「主の日」「主日」と呼び、特別の記念の日としました。
 主日は、主のよみがえりを記念する日です。この日には、共に集まり、主を拝み、み言葉を聞き、主の贖いを感謝して、聖餐式の恵みにあずかります。そして、毎日、主キリストの僕として忠実に仕える生活ができるように決心を新たにしたのです。
 キリスト教の教会は、二千年もの長い間、このように主の日を守り、主のよみがえりを記念し、感謝の賛美の祭りをささげてきました。
 私たちが、主日の礼拝を守るのは、「使徒たちの模範にならって、主のよみがえりを記念する」ためです。
 毎週の日曜日が、イースターであり、復活の喜びを祝う日なのです。


建築実行委員会ニュース

 去る3月12日午後7時30分から開催された礼拝堂建築実行委員会に、ヴォーリズ建築事務所より礼拝堂建築の実施設計図面が提出されました。建築実行委員会では3月14日(日)礼拝後、19日(金)夕、この実施設計図を見ながら細部にわたり検討を続けています。礼拝堂本体の建築以外に必要と考えられる付帯工事も含めて、当初の予算の中に納められるよう予め予想される支出をすべて計上するよう努力しています。三月二十三日、建築施工業者五社に対して見積書提出に参加していただくよう依頼書を提出しました。
 3月30日午後、教会においてそのための説明会が開かれます。提出された見積書に基づいて、四月の中頃までに施工業者を決定し、4月25日(日)午後二時から武藤六治京都教区主教をお迎えして礼拝堂建築起工式が行われる予定です。
 三年間にわたって話し合い、検討してきた私たちの教会の礼拝堂建築も、いよいよ目に見えて動き出した、最も大事な時を迎えています。

 見積り発注までに委員会で検討課題としたものはおもに次のような事項です。
▽物置・押入の移動
・教会、幼稚園、ボーイスカウトがそれぞれ具体的に面積、位置を確認。
・移動にかかる概算費用の算出、移動の時期。
▽トップライト
・枯葉、ゴミの問題。
・換気のための一部開閉式について。
▽塔
・将来、鐘を設置するための
梁桁の準備について。
▽ファザードの意匠、材質
・色と光、外への反射の問題。
・内部の意匠、玄関の扉の意匠、煉瓦タイルについて。
▽前室
・下足室の運用上の問題。
・掲示板、受付台、礼拝用書棚の位置及び形状について。
▽礼拝堂
・礼拝堂内部の壁、床、天井の材質と色の確認。
・礼拝堂の扉(少し内部が窺える構造)のデザイン。
・残響時間について。
・床暖房の可否について。その設置費用と消費管理費用。・二階の床にあたる部分の一階からの見通しについて。・ステンドグラス、モザイク画、マリア画について。▽チャンセル
・前面の壁のデザインと構造について。
・大理石の旧祭壇について。
・聖餐式、結婚式、葬送式等の実際の使用を想定し、動きと配置を確認。
▽小礼拝堂
・内部のデザインについて。
・冷暖房装置について。
▽ベストリー
・実際の収納状況、使い勝手、収納庫等の位置と面積、照明、音響装置、水周り、窓等の確認。
▽二階部分
・階段の安全性、手摺り等の整備について。
▽会議室
・戸棚、シンク等の必要性について。
▽外周り
・外塀、扉、植裁、看板、掲示板、クリスマス電飾。
▽構造
・杭頭の処理、柱と壁の関係と強度の確認。
▽幼稚園との関係
・避難用滑り台について。
・幼稚園の内装、外装塗り替え工事、床張り替え工事との関係。
▽その他の付属工事
・会館便所の身障者用改装、会館女子便所の換気、会館二階物入、天井裏簡易階段、集会室の冷暖房、旧礼拝堂備品処理の諸費用。  (吉村)


新たに
外部献金にご協力
 いただいた方々

(2月21日〜3月20日扱い分)

(敬称略)荒木靖(ボーイスカウト)、池袋聖公教会、一宮聖光教会、牛込聖公会バルナバ教会、大阪聖アンデレ教会、菊池泰次(下鴨キリスト教会)、小池宣郎、三光教会、三条聖母マリア教会、逗子聖ペテロ教会、聖トマス教会、聖マーガレット教会、田代セキ子(幼稚園)、富山聖マリア教会、長岡聖ルカ教会、中島孝治、林凌公(ボーイスカウト)、持田紀治(下鴨キリスト教会)、守口復活教会


聖マリア幼稚園
  1998年度卒園式

11名が巣立つ!

3月19日(金)、あいにくの雨天の中、聖マリア幼稚園1998年度卒園式が行われました。前日のお別れ会から涙・涙の先生方、保護者達の見守る中、対照的に笑顔いっぱいの卒園生11名が元気よく巣立っていきました。人格形成の第一歩である大事な時期をこの幼稚園で過ごし、キリスト教に触れることができた幸せをいつの日か大きく感じることと思います。在園中、一度も礼拝堂でお祈りができなかったこの子たちが、新しい礼拝堂を心から愛してくれますように・・・

卒園生を送り出して…

サラ 生谷朋子

 「せんせいありがとうございました。」聖マリア幼稚園に勤めて丸二年。初めて受け持った子ども達が先日、笑顔で卒園していきました。屈託なく笑う子ども達の笑顔は、どんなにしんどい時でも私にとって何より効く特効薬です。特に初めて受け持った子ども達への思いは、自分の思うところよりもずっと深くて、手元から巣立っていくことがこんなにも寂しく悲しいものだとは思いもよりませんでした。ただ、ただ涙、涙の卒園式。練習当初より、複雑な顔で伴奏する私に「先生、泣いてたらピアノ弾けへんえ!」と励まし、「とも子先生大好き!」と卒園間近になると飛びついてくる子どもに、日々愛しさが増し、子ども達以上に別れ難さを感じてしまいました。時には「トマト」「とうもろこし」とからかわれ、時には怒れる担任に「とも子先生、鬼みたい!」と恐れられ、それでも別れ間近になって「守ってくれてありがとう」と子ども達がほんのちょっぴり恥ずかしそうに話してくれた時、「先生になれて、先生であって良かった」と心の底から痛感しました。
 子ども達にとって一番大切な幼児期に、同じ時間を過ごし、共に遊び、共に刺激され、泣き笑いできることを幸せに思います。そして温かく見守ってくださるおかあさま方。保護者を通して親と子の愛情の深さを学ばされます。まだまだ頼りなく、子ども達に負けず劣らず新しく目にするものに心躍らせてしまう(時にはムキになって子ども達と戦っている)私ですが、この四月で三年目。初めて送り出した子ども達の姿を励みに新たな「先生」としてのスタートを切ろうと思います。ようやく保育の難しさが解り始めてきました。でもその難しさも楽しさも子ども達と共に過ごせることを感謝して、日々子ども達の保育に携わって行こうと思います。そして、卒園した愛しい子ども達の未来に神さまのお恵みが沢山ありますことを心よりお祈りしています。  (聖マリア幼稚園教諭)


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