5月号その2


訃報!

ベタニヤのマリア 宮西良子姉 逝去

 4月29日(水・祝)午前4時5分、ベタニヤのマリア宮西良子姉が逝去なさいました。享年74歳。
 宮西良子先生といえばみなさまご存じの通り、幼児教育一筋に生涯を捧げ、いつも明るく楽しく、みんなの先頭に立って聖マリア教会、聖マリア幼稚園を引っ張って来られた方です。その大切な先生がついに神様の御元に召されてしまいました。
 4月30日(木)午後7時30分より、幼稚園ホールで通夜の祈りが捧げられました。これは、ご本人の遺志により、その生涯を捧げた聖マリア幼稚園の床の上で、一般の通夜のように壁を白い布で覆ったりせずに、本当に幼稚園の雰囲気そのままの会場で行われました。参列者400余名。幼稚園ホールに入りきれない人々が園庭を埋め尽くしました。通りがかった近所の方があわてて着替えて通夜の祈りに出席される姿もたくさん見受けられ、本当に地域に密着した教育をなされていた良子先生のお人柄が伺えました。幼稚園の先生方、母の会、教会信徒の方々の協力により、大至急に用意した、通夜の祈り・葬送の祈り共通の式文600冊も、その大半がこの通夜の祈りに使われ、急遽予定を変更して、翌日の葬送の祈りのために回収することになったほどでした。
 翌5月1日(金)午後一時より日本聖公会聖アグネス教会礼拝堂において、葬送の祈りがとりおこなわれました。この礼拝堂も良子先生が青春を過ごした平安女学院の思い出深きところです。この式も、京都教区一番のキャパの礼拝堂満席の会衆を集め、一堂で良子先生にお別れを告げました。献花を捧げ、出棺の時には聖歌430番が湧き上がり、すすり泣きとともに、旅立たれました。
 良子先生が残念であったろうと思われることは、やはり聖マリア教会の新礼拝堂を見とどけられなかったことだと思います。「新しい礼拝堂ができたら一番に私が結婚式を挙げようかしら!}と楽しくおっしゃっていた良子先生に、一日も早くいい報告ができますように、残された私たちで力を合わせてがんばって行きたいと思います。

ベタニヤのマリア宮西良子略歴

1923(大正12)年5月28日、京都市左京区下鴨において、父・  高橋俊介、母・あさの3人兄妹の長女として生まれる。兄・高橋弥次郎、妹・竹村陽子。
1942(昭和17)年、戦争たけなわのころ、聖マリア幼稚園において保育実習。
1943(昭和18)年、平安女学院高等女学校普通科および保育専  科を卒業。西陣幼稚園、京都市衛生保健所事務職員、奈良・親愛幼稚園教諭を歴任。
1946(昭和21)年、聖マリア幼稚園に幼稚園教諭として就職。同年12月25日、京都聖マリア教会において洗礼志願式を  受領。
1947(昭和22)年4月、聖マリア幼稚園主任教諭となる。同年4月6日、同教会において、佐々木二郎主教により洗礼を受ける。教名をベタニヤのマリアと名付けられる。同年12月21日、同教会において、佐々木二郎主教により堅信式を受領。
1949(昭和24)年5月、聖マリア幼稚園長宮西ゆきの養女となり入籍。
1976(昭和51)年9月27日、宮西ゆき元園長逝去。
1983(昭和58)年3月、37年間勤めた聖マリア幼稚園教諭を定年退職。退職後も同幼稚園の非常勤講師として変わらず15年間勤務。
1984(昭和59)年2月22日、京都教区信徒奉事者に認可され、現在に至る。教会においては、1985(昭和60)年、GFSのブランチを発足させ、また日曜学校の校長として長年奉仕を続けた。
1996(平成8)年12月、胆石のため緊急入院。翌年3月退院。
1997(平成9)年8月、再入院。手術を受ける。10月退院。
1998(平成10)年1月、三度目の入院、再度手術を受ける。
4月始め膵臓ガンの告知を受ける。
4月29日午前4時5分、京都桂病院において逝去。満74歳11ヶ月。

 京都聖マリア教会・京都聖マリア幼稚園では、宮西良子先生の訃報を迅速に皆さんにお知らせをすべく、婦人会、幼稚園教職員、母の会を中心に通夜の祈り・葬送の祈りのご案内を連絡させていただきましたが、一部、名簿の不備等により連絡が付かずご迷惑をおかけしたところがございました。紙面をもってお詫び申し上げます。


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