京都聖マリア教会 月報「コイノニア」
1997年7月8月合併号


パンか? アクセサリーか?

司祭 イザヤ 浦 地 洪 一

 あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。
 しかしこれは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。  
 (ヨハネ福音書六章四九節〜五一節)

イエスさまの自己紹介
イエスさまは、自分のことをいろいろな言葉で自己紹介しておられます。
「わたしはぶどうの木」(ヨハネ一五ノ一、五)、「わたしは世の光である」(ヨハネ八ノ一二)、「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネ一〇ノ一四)、「わたしは門である」(ヨハネ一〇ノ七)、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ一四ノ六)と言うように、ご自分のことを少しでも多く知ってもらおうと、これでもかこれでもかというように、いろいろなものにたとえてご自分を説明しておられます。
 今日の福音書では、「わたしはパンである」、「わたしは天から降って来た生きたパンである」と、ご自分の鼻の頭を指さしながら繰り返しておられます。
思い出す出来事
 当時のユダヤの人たちや初代教会のひとたちには、「天から降ってきたパン」と言われると、すぐに思い浮かぶ共通の歴史的出来事がありました。
紀元前千三百年頃、ユダヤ民族は、エジプトの地にあって、エジプト人から奴隷のように扱われ、重労働を課せられていました。その苦しみのうめき声が神さまにまで届き、神さまは、ユダヤ民族を救うためにモーセを遣わし、いろいろな奇跡を示し、エジプトの地から脱出させました。モーセに率いられたユダヤの人々は、四十年間シナイの荒れ野をさまようという試練をうけました。このときにユダヤの民はモーセに向かって「パンも肉もない。こんなことならエジプトに止まっていたほうがましだった、いっそ死んだほうがましだ」とつぶやきました。神さまは、彼らにパンをあたえました。荒れ野で天から降ってきたパンによって彼らは養われました。(出エジプト一六ノ一―二二)
 出エジプトの出来事は、イスラエル民族の信仰の原点でしたし、そのことを忘れないように長く語り伝えられて来ました。
パンは、主食です。人間が生きていくのに無くてはならない食物全体を示しています。これがなければ生きていけません。
十字架のネックレス
 最近、街を歩いていると、十字架のネックレスをしている若い人たちをよく見かけます。男性も女性も大きな十字架を首にかけて闊歩しています。十字架のネックレスは、別にクリスチャンだけが独占するものではありませんし、クリスチャン以外の人が持ってはいけないものではありません。しかし反対に、教会に出入りする青年で、大きな十字架をぶら下げている人を見たことがありません。十字架は、わたしたちにとっては、特別の意味があるものですし、軽い気持ちで簡単にアクセサリーにはできない気持ちがあるのでしょうか。
宗教はアクセサリーか?
この若者たちの姿から、思い出す言葉があります。 それは、「宗教アクセサリー論」とか「キリスト教のアクセサリー化」という言葉です。あなたにとって、キリスト教とは何ですか、信仰とは何ですか、と問われて、毎日の生活の中で、キリスト教の信仰が、アクセサリーぐらいの役割しか果たしていないという意味です。長い人生の中のちょっとした装飾品、その時の気分や状況に合わせてつけたり取り外したりすることができる。生きていることの中心に関わっていない、無くっても困らないという程度のキリスト教との関係です。
命のパン
 イエスさまは、わたしたちの前に立って、自分を指さし、「パンだ、パンだ、主食のパンだ。これを食べなければ生きていけないのだ」と叫んでおられます。わたしたちの肉体はご飯や肉や野菜や魚によって養われます。では、わたしたちの心は、魂は何によって養われるのでしょうか。わたしたちの魂は、キリストによって養われます。キリストを受け入れることは、単に頭の中の知識や観念としてではなく、体中で受取りなさいと言われます。「わたしはパンです。神さまが天から与える命のパンです。わたしを食べる者には永遠の命が与えらる」と約束されます。
 あなたの人生、毎日の生活において、イエス・キリストは、命のパンでしょうか、アクセサリーでしょうか。
(八月一〇日、聖餐式説教より)


建築委員会

より現実的な話し合う会を開始

 週一度ペースでの委員会を開いて、よりよい礼拝堂建築を目指す建築委員会は、委員会でのある程度の合意をまとめた「京都聖マリア教会礼拝堂建築について」を、教会委員会に提出し、教会委員会名で一般信徒のみなさんに内容を公開し、ご意見をうかがう機会をもちました。 内容は左記の通り。

1・日本聖公会法憲・法規及び祈祷書に従い、公祷、聖典及びその他の諸式を行うために聖なる空間を提供し、この地域にあって、「宣教の器」として用いられる礼拝堂であること。
2・聖マリア教会の伝統を重んじながら、「地域社会に開かれた教会」「奉仕する教会」として、地域の人々に親しまれる教会となるにふさわしい礼拝堂であること。
3・訪れるすべての人にやさしく、あたたかさをもって迎え入れる環境と雰囲気をもった礼拝堂であること。
4・教会会館と幼稚園にはさまれた旧礼拝堂と、今残されている玄関部分に、下記の機能を備えた礼拝堂を建築する。建築総費用は二億円を越えない。ステンドグラスや、祭壇等、旧礼拝堂において用いたものは出来るだけ生かすこと。
(1)礼拝堂(会衆席二〇〇席、対面式の聖卓、聖書台、説教壇、コミュニオンレール、パイプオルガンの設置計画を考慮、北面を入り口とすること)
(2)小礼拝堂(週日の聖餐式、朝の礼拝、夕の礼拝、主日の早朝の聖餐式を行うための礼拝堂、会衆席二〇席、聖卓、コミュニオンレール、聖書台等)
(3)納骨堂(出来れば独立したものが望ましい、納骨棚収納個数未定、小祭壇、会衆二〇名立席)
(4)前室(玄関、幼稚園と会館をつなぐ通路、受付、掲示板、連絡棚)
(5)牧師執務室(面談、事務、小会議)
(6)母子室
(7)倉庫(教会・幼稚園・ボーイスカウト備品、バザー用品等の収納)
京都聖マリア教会委員会

 この「京都聖マリア教会礼拝堂建築について」という資料は、あくまで、現在の進行状況報告です。これが決定と言うことではありません。1・2・3の項目は、基本理念であり、誰もがうなずけるところです。しかし、4の中の(1)(2)・・・・は、その内容についてどんどん話し合っていかなければなりません。中には、前室、牧師執務室、母子室のように必要か否かを検討すべきものまで、挙げられています。
 7月27日(日)と8月17日(日)の礼拝後に二度の話し合う会がもたれました。たくさんの貴重なご意見をいただき、この内容をもう一度委員会に持ち帰り、話し合いを続け、専門家に図面を引いていただく資料をつくっていくことに決まりました。たたき台である図面ができあがった時点で、もっと現実的な話し合う会を開催いたします。是非この会にご出席ください。建築委員は、各部門から選ばれ、その意見が吸い上げられている筈なのですが、気づかないことがたくさんあるのです。みんなの力で建てる礼拝堂です。可能な限り理想に近いものを建てたいのです。


募金委員会報告2

クレネ人シモン 南 寛

 前回、外部への募金の呼び掛けを七月中に発送する予定と報告しましたが、七月の募金委員会で趣意書案がまとまらず、八月末の募金委員会で再度検討することになりました。九月中には発送したいと思っています。初回からの誤報となりましたが、次回のコイノニアで再び訂正を載せずに済むようにしたいと思います。お祈りください。

 前置きが少し長くなりましたが、今回は7月末までの募金状況をお知らせします。まず「表・資金計画」をご覧ください。縦の欄の最初に「教会員建築献金申込額」というのがあります。昨年10月に教会員の皆さんに募金趣意書を送付し、144人(組)の方から募金申込書をいただきました。申込書をもとに96年11月から五年間の募金期間に献金していただく予定の総額1億1695万3千円を月毎に表したのが、「教会員建築献金申込額」の横の欄になります。募金期間は96年11月からですが、趣意書発送以前から募金のお申込をいただいた分がありましたのでましたので、その分を九六年十月以前の欄に一括して計上しています。
 次に「教会員建築献金現在高」があります。文字通り毎月実際に献金していただいている金額です。その下に申込額と実際に献金された額との差を表す欄があります。96年10月以前分が申込額より55万円多いのは11月分が前倒しで献金されたものと推測されます。96年12月以降は申込額より献金額が上回ってきましたが、今年の4月から連続して三月間総額389万円が申込額を下回りました。礼拝堂建築への気運が薄れて来たのではと心配しましたが、7月には申込額を約1273万円越える献金がありました。これは1000万円の申込外の大口献金があった以外に、約273万円の申込額を上回る献金があったことを示します。この額からは献金の遅れ分がボーナスなどで補填されたことが伺われます。現在のところ献金額は申込額より1148万円上回っており、総額においては順調に推移しているといえます。感謝!
 その下には今回の外部献金対象である「ボーイスカウト」、「幼稚園」、マリア教会関係者外の「その他」の欄があります。特筆すべきは正式に依頼していない段階で380万円近い献金が外部からあることです。この額は教会員の献金現在高の約7%に相当します。礼拝堂再建についての関心の高さの表れと受け止め、この思いに応えるためにも意義のある建築活動と建築物にしなくてはと思います。次に納骨箱献金の欄がありますが、前回の報告でお知らせしたように「納骨堂を資金捻出の手段として利用してよいのか」という根本的な議論もあるところです。続く収益事業約455万8千円はバザー、コンサート、じゃがいも・ビデオテープ・絵葉書の販売などによる収入です。 現在までの献金と収入に今後も申込通りの献金があると仮定すると、総額は約1億5647万となり、目標の2億円との差額約4353万円を外部募金、収益事業、納骨箱献金で充当しなければならないことになります。来年の初めには外部募金や収益事業(バザー・じゃがいも販売)の今後の見通しもたちますので、資金計画についての具体的な論議が必要となってきます。話が俗っぽくなりますが避けては通れない問題です。募金状況や資金計画についての感想・ご意見がありましたらコイノニア編集部までお寄せください。


8月号次ページへ