2014年5月4日

「エマオへの道」

ルカによる福音書24章13-35節

聖書の後ろに付いています地図⑥「新約時代のパレスチナ」を見ていただきますと、エルサレムとその西方(左側)にある地中海との中間点に、エマオがあります。60スタディオンの距離とあります。1スタディオンは185mですので、計算上は約11kmです。地図の縮尺で見ると22kmはあるでしょうか。その中間での出来事だったと考えられます。

二人の弟子が、師イエスをエルサレムで失い、失意の中、夕暮れが迫る中を夕日に向かって歩いていたのです。今の現代、車を運転していまして、夕日に向かって走る時、とても眩しくて困ることを経験します。同じようなことだったかも知れません。その彼らの傍を、復活のイエスが並行して歩まれるのです。失意の中にある彼らには、共に歩かれる人物が復活のイエスだとは全く気付かないのです。イエスは「歩きながら話しているその話は何のことですか。」と問われた。クレオパという弟子は「エルサレムにいてご存じなかったのですか。」というわけです。そうやって、弟子と復活のイエスとの会話がなされ、復活のイエスは嘆きながら、“メシアの歩みはどのようなものであるか”が旧約聖書を通して解き明かされた。そして、目指す村に近づき、弟子たちにはまだ気付かない復活のイエスに向かって「一緒にお泊まりください。・・」と言うのです。そして一緒に食事をする内に、パンを裂く姿で、それがイエスであると気付いたのです。するとイエスが見えなくなったのです。これが復活のイエスとの出会いの一面を示しています。弟子たちの言葉、「聖書を説明してくださった時、わたしたちの心が燃えていたではないか。」という言葉が印象的です。聖書を解き明かされる内に失望が希望に変わってきたということです。

私はこの「エマオへの道」の話が好きです。最近話したこととかぶりますことをご容赦ください。

失意の中を、日暮れの夕日に向かって歩く姿が、私の初めての挫折の時の姿と重なるのです。

私は貧しい中、一人っ子だったので実現したと思うのですが、大学まで進ませてもらうことになりました。公立を目指すよう促されましたが、そこまでの実力はありませんでした。近くのK大学は受かるだろうということで勉強しました。女子学生が多いこと、近くには女子大があること、宝塚が近いことなど、若かったもので、異性への淡い期待も錯綜していたことを思い出します。しかし、残念ながら受験にすべて失敗してしまいました。浪人をさせてやる余裕はないということで、後は就職を考えるという事態でした。失意のどん底でした。しかし、家族は私がしてきましたそれなりの努力を考慮してくれまして、二次募集の大学を探して受験し、パスしたらそこへ行かしてやろうということになりました。考えたこともない地元のA大学に受験要項をもらいにいきましたら、同じような若者が話しかけてきました。彼はいろいろな情報を提供してくれまして、その中で「大阪に桃山学院大学という新しい大学がある。あそこはきっと将来伸びる気がするのでそこを受けようと思っている」というのでした。神戸圏に暮らす私には想像もしない大学でした。その頃、教会学校で、大阪教区の連合運動会がプール学院で行われていたので行ったことはありましたが、桃中・桃高は聞いてはいましたが、大学があることなど知りませんでした。それで、急遽桃大の2次試験を受け、拾っていただいた次第です。6期生で入学して(福田司祭は2期生)行ってみたら、キャンパスはまるで高校附属大学の感があり、女子学生も少ない。がっかりでした。

ところが、実際授業が始まってみますと、教授陣は人集めにご苦労なさったのでしょう、なかなか優秀な先生がたが揃っていました。国公立を退職なさった先生がたを集めておられたようです。一般教養では、あまり得意でなかった英語の英文購読では、山﨑僅一郎という先生、あとでわかったのはクリスチャンで、トマス・ハーディーの短編を一冊読み上げたのですが、キリスト教文化に関する話が豊富で、聖公会のことなども良く理解できました。“大学で学んでいるんだ”という充実感を味わいました。英国聖公会の宣教師・司祭のギブソン先生の英会話も選択で取りましたが、90分授業を一言の日本語もなく進められる。私たちは事情を知りませんから“ミスター・ギブソン”とお呼びすると、“ノー、ドクター”と返ってくる。英国での博士号への格式を崩されない文化を垣間見たりしながら、力をつけていただきました。後の北関東教区主教になられた八代崇先生にも習いました。母校を創り上げようという気概に満ちた先輩がたにも出会いまして、いつしか失望から希望へと気持ちが変わっていたことを思い出します。私たちの人生の中には時に絶望と思える状況に置かれることがありますが、復活のイエスはそんな私たちの傍らを歩いていてくださる。私にはそんな思いがするのです。