2014年10月19日

「神に忠誠を」

マタイによる福音書22章15-22節

私たちはほとんどの者が、直接に神様を知ることは出来ません。神様はご自分を知らせるために、特定の人を選び、その人の歩み方を通して、人々が神様を仰ぐようにされるのです。その最初の人がアブラハムでした。今回は、旧約聖書の少し歴史的な流れをまず説明しましょう。

アブハムは紀元前1800年頃の人と考えられています。その孫の代にエジプトへ移り住み、400年程寄留するうちにその数を増し、それを恐れたエジプト王ファラオは彼らを奴隷とし、その苦しみの叫びを聴かれた神がモーセを彼らに遣わし、彼に導かれて脱出をしました。BC1300年頃のことです。モーセの後継者ヨシュアの指揮下にカナン定着を果たし(1250-1225)、やがてダビデがユダの王となり(BC1000頃)、更に全イスラエル統一王国を形成し、息子のソロモンの時代に神殿を建立します。しかし、王国は南北に分裂し、北イスラエルはアッシリア帝国に滅ぼされ、バビロニア帝国の台頭によって南王国ユダの人々はバビロニア捕囚(587-539、48年間)となりました。エジプトでの奴隷、バビロニアの捕囚は、民族的記憶としてユダヤ人の脳裏に刷り込まれています。その後ペルシャ王・キュロス、この王様は非常に寛容な宗教政策をとり、ユダヤ人たちは解放され、帰還してエルサレムに神殿を再建しました。これがイエスの時代まで続いていたのです。もちろん中近東・地中海世界は、アレキサンダー大王の大きな影響を受けてギリシャ化されます。それで新約聖書はギリシャ語で書かれているわけです。更にローマ帝国が覇権を握り、イエス様がお生まれになったのはその時代でした。クリスマスが近づくと、教会でよく読まれるルカ福音書2章の“人口調査”の記事も、ローマ帝国が支配地に派遣している兵士の費用を現地で賄うための人頭税徴収の資料作りだったわけです。イエス様がお生まれの時代は、ヘロデ大王の時で、活動を始められた頃は、大王の息子の一人、ヘロデ・アンティパスが力を持っていました。しかし通貨はローマ帝国で使う“デナリオン”でした。さしずめ1万円銀貨とでもいうところでしょうか。その銀貨には銘が刻まれていました「神なる皇帝、アウグストゥス・カイザル」と。日本が太平洋戦争に負け、沖縄は長らく大統領の肖像が記載されたドルが通貨だったのに似ています。イエス様の時代、その銘のように、ローマ皇帝は自分を崇拝させていました。人間のすること時を経て変わらない感じがします。日本も、ほん69年前まで、天皇を「現人神(あらひとがみ)」としていたのですから。現代では、朝鮮の金正恩(キムジョンウン)みたいなものです。自分を崇拝させる人間は必ず滅びますから、そう遠くない時代にそれはやって来ると思います。

イエス様の時代、ユダヤ人には反ローマの機運も高く、“過越祭”は民族解放記念日でした。そんな折、ファリサイ派の人々は慇懃無礼な態度で質問しました。「選ばれた我らユダヤ人が、ローマに納税すべきかどうか?」ということです。直接的に肯定・否定を表明すれば、ユダヤ人側からも、ローマ帝国側からも捕えられる微妙な問題でした。当時を「ローマの平和」の時代と呼びますが、人権や正義が保障されていたかは別にして、圧倒的軍事力で安定した社会ではありました。ある面恩恵も得ている。そういう中で、イエス様の取られた対応は「税は納めよ。しかし、心は神に向けよ、良心まで奪われるな!」ということだったのです。

さて、私も長年教会生活を続けてまいりまして、身近なところで何人もの尊敬する信仰の先達に出会いました。T教会のS.T.さんはご自分で事業をされておられた方で、生きておられたら90歳ぐらいでしょう。教区の財務委員長をなさり、刑務所から出てこられた方の相談に乗られる保護司もなさっていました。立教大学OBですが、ある時、学生時代の思い出を語られ、「あの頃は立教にも配属将校が来ていた。それで『天皇と、お前たちが信じるキリストの神とどっちが偉いと思うか?』と尋ねよったんや」「それでどう答えられたのですか?」「『私はキリストさんのほうやと思います』と答えたってん。」「どうなりました?」「そらすごいビンタを何発も食らわされたよ」。凄い豪傑がいらっしゃると思ったものです。

もうお一人、これは戦後の話ですが、T.T.さんという某大新聞の論説委員でしたが、クリスマス前に、「ワシはクリスチャンやから、25日の午前中は来まへんで!」と言われていたそうです。「帰ってきたらもう席はないで」と言われそうな時代の中で、毅然と生きる。そういう生き方があることを教わりました。今日の特祷の趣旨は、「神ではないものの束縛から解放して下さい」というものですが、自分の在り方をとおして、ささやかではあっても社会を神様の御心に適うようにしていけるように生きたいものです。