クリスマスからお正月にかけて、私たちは、日本という社会における信仰のあり方について考えさせられる事態に直面します。11月末頃から、街はクリスマス一色に染められます。多くの家にイルミネーションが飾られ、商店街ではサンタクロースが歩き回ります。まるで、日本中がクリスチャンになったようです。ところがクリスマスを一夜明けると、街は完全に衣替えです。しめ縄や門松など、神道に由来する正月用品が溢れ、お正月一色に染まります。クリスマスのときには市民権を得ていたように思われたクリスチャンも、まわりがみな神社仏閣になびき、初詣に出かける中で肩身が狭くなって行くように感じます。それでもやはり、私たちは、初詣ではなく、教会に集い、単なる元日礼拝ではなく、「主イエス命名の日」の礼拝を守っています。私たちは日本社会においては少数派かも知れません。しかし、おそれず、クリスチャンとしての証しとして、そのことを大切にしたいと思います。
 イエスさまは、お生まれになって8日後に、名前を「イエス」と名付けられました。ルカ福音書によれば、それはマリアに対する受胎告知(「神の子」が生まれると天使がマリアに告げた)のときに、天使から与えられた名前でした。「主は救い」という意味をもつ「イエス」という名前は、全人類の救い主であるイエス・キリストの本質を表すのにきわめてふさわしい名前であると言わなければなりません。この日、イエスさまはもう一つ大切なことを経験されました。割礼です。割礼は創世記17章において、アブラハムとの契約のしるしとして命じられた行為で、十戒に始まる律法よりも昔から存在していたユダヤ教の慣習でした。それは、神の救いがイスラエルにのみ及ぶというイスラエル選民思想の具体的な表現でした。すべての人々を救われるイエス・キリストがなぜ、そのような割礼をお受けになったのでしょうか。12月26日の降誕後第1主日の礼拝のときに、ガラテヤの信徒への手紙という新約聖書の文書が読まれました。そこにはこう記されています。「わたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。」つまり、イエスさまは、私たちを律法の支配から救い出すために、私たちと同じ人間としてこの世に生まれ、割礼も受け、さらに洗礼も受け、人間としての苦しみや制限、悩みをすべて分かちあわれたというのです。そして、最後には私たちの罪をすべて担って、十字架上で刑死されたのでした。それが、イエス・キリストが私たちを救って下さる方法でした。神がわたしたちの悲惨な現状をただ傍観しておられる単なる超越者であったなら、天の高いところにじっと座って見下ろしておられるそれだけの方であったとしたら、キリストを私たちのところにお送りになることはなかったでしょう。あのような形で、受難の道を歩ませられることはなかったでしょう。もちろん、私たちは2000年前のユダヤ人と同じではありません。ユダヤ教の律法の下にいる訳ではありません。しかし、律法と同様に私たちを縛り付けているさまざまなこの世の価値観に支配されています。私たちの行いの基準を常に、自分ではなく、神に、つまりイエス・キリストに合わせているでしょうか。自分の思いではなく、イエスさまの言葉と行いに合わせる、それが第一に必要なことだと思います。それは決して窮屈なことではありません。むしろ限りなく自由になることです。それこそが「福音」(良い知らせ)なのです。

 

日本聖公会大阪教区 堺聖テモテ教会・聖ルシヤ教会牧師
  プール学院大学チャプレン ペテロ 岩城 聰
  


  


メッセージ

            2011年1月



     「イエスという名」