2011年3月


「十字架って何?」
十字架にはどのような意味があるのですか?

 多くの教会の屋根や玄関、礼拝堂(聖堂)の正面などには十字架が設置されています。屋根の十字架は「ここが教会ですよ」という目印にもなっています。お隣の韓国に行くと、屋根に十字架が多いのには驚かされます。日本の神社仏閣のように、それだけたくさんの教会があるということです。
 十字架は教会のシンボルですが神ではありません。ですからクリスチャンは十字架を信仰して拝みません。十字架は主イエス・キリストがエルサレム郊外のゴルゴタの丘(されごうべの場所)で、十字架刑に処せられた出来事にその起源があります。十字架を仰ぎ見るたびに、私たちはその出来事を思い起こします。それは、本来罪のために死ななければならない者に代わって、罪のないイエスさまが死んでくださったという2000年前の歴史的な出来事です。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と、死を前にして弟子たちに話されたイエスさまは、そのお言葉どおりの生き方をなさいました。そこに神の愛とは何かがはっきりと示されました。ですから十字架は神の愛のシンボルと言えるのです。
  ローマ教皇、枢機卿、修道士、修道女、聖公会の主教などは胸に大きな十字架をかけています。神の愛のシンボルである十字架をつけることによって、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と言われたイエスさまに従って生活していく決意を、日々新たにしていくためのものでもあります。
  最近では男女を問わず多くの人々が十字架のネックレスやイヤリングなどを「カッコいい」と言って身に付けています。しかし、もともと十字架は格好いいものではありませんでした。とても見るに堪えないむごたらしいものでした。今、それが本当に「カッコいい」ものになるためには、十字架の持つ本来の意味をしっかり理解してそれを身に付けることではないかと思います。
 十字架の縦の棒は英語の大文字のI(アイ)、すなわち私を、横の棒はそのI(アイ)私を切る(kill、殺す)ことを意味します。自分を殺して(自分に死んで)他者を生かすこと、ここに十字架の持つ本来の意味があります。イエスさまの十字架に示された神の愛を、生涯の歩みの中で証ししていった人々が多くいます。イエスの弟子のペテロは逆さ十字架に、またアンデレはXの十字架(アンデレ・クロスと呼ばれる)に付けられて殉教したと伝えられています。
 今、私たちに求められている本当の生き方とは何かを改めて黙想したいものです。

   日本聖公会大阪教区 主教
   サムエル 大西 修