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日本聖公会管区事務所
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発行者 総主事 司祭 輿石 勇

 『私たちは十字架につけられたキリストを告知する』

管区事務所総主事 司祭 サムエル輿石 勇   

 福音信仰を生きるということはなかなか容易なことでないことを、このところ実感させられています。例えば、四月にソウルで開かれました「全聖公会正義・平和ネットワーク」の集まりの最終段階で、一つの文書の承認と関連して、ちょっとした対立が生じました。その文書の中の「弱さの中に働く神」という表現をめぐる対立でした。この表現は当然、「十字架はユダヤ人には躓くもの、ギリシャ人には愚かなもの」ということを前提としたものでしたが、ある人々は「『神は弱くない』のでこういう表現は適切ではない」と主張したのです。この反対意見を出した人々は、希望らしいものが見出せない状況の中にあるので、「神は強くなくては困る」という事情を抱えていたと言うことができると思います。その厳しい事情はよく分かるのですが、だからと言って、「神の勝利(強さ)」は十字架という「神の敗北(弱さ)」が前提となるという逆説性を否定してしまっても良いということにはなりません。
今年の六月に発行されたばかりの、白井尭子著『福沢諭吉と宣教師たち―知られざる明治期の日英関係』(未来社)という本を勧められて読みました。慶応義塾の創立者福沢諭吉とSPGの宣教師であったアレキサンダー・ショーやアーサー・ロイドなどとの交流に焦点を当てた興味深い書物です。中でも私の興味を惹きましたのは、福沢諭吉が慶応義塾を大学にするに際して旧知の間にあったロイドではなくハーバード大学出のユニテリアン(単一神主義者)を主任教授として採用したということです。この出来事は、当時欧米で生じた教会立の学校の世俗化の結果を反映するものであったと思われます。教会立であったケンブリッジ大学やオックスフォード大学は、従来聖公会の聖職・信徒以外には門戸が閉ざされていたのでした。しかし、西洋近代の合理主義の前にその伝統を変えることを余儀なくされたのでしょう。聖公会の人々以外にも門戸が解放されるのが当然であったのは確かです。しかし、これが近代合理主義的なキリスト教の解釈ともいうべきユニテリアンと神学と関係していたということは、非常に象徴的だと思います。ユニテリアンの神学が影響力を増したのは三位一体神学の周縁化に対応するものではないかと思います。つまり、近代という時代の主張から見て「躓き」となる、また、「愚か」な要素…つまり、神でもあり人でもあるキリストという神学――をキリスト教信仰から排除してしまったということです。これもまた、私たちが生きる現実を福音に優先させることの一つの例として見ることができるのではないでしょうか。
 ロンドン大学の組織神学の先生をしているコリン・ガントンという方が『一つ、三つ、多数』という奇妙な題の本の中で、「近代という時代は三位一体の神を追放することによって、それが含む関係性を排除してしまった」と述べています。そのようにして、個人の人権の尊重の名のもとに、個人による意思決定がほぼ絶対的な価値を持つことになったというのです。人権が尊いことは誰でも承知していますが、個人による意思決定の絶対化は、「私のからだをどう使おうと私の自由じゃない」という売春少女の論理に行き着きます。この少女の言葉に欠けているのは、彼女を生み育てた親との関係という要素です。つまり、個人の意思決定を絶対化するということは「他者」との関係を切り棄てるということに他なりません。かくして、個性の尊重の名のもとで、本当に個性的なものが異端、非国民、病人などの烙印のもとに排除され、同化が進行することになります。
 「十字架にかかったイエス=復活のキリスト」は、私たちに他者として常に立ち現れる方の筈です。他者は私とは全く違っていますので、他者との出会いは私たちへの挑戦とならざるを得ません。「十字架にかかったイエス」は私たちにどのような挑戦を投げかけるのでしょうか。「あなたは私を誰というか」というのが最初の挑戦のはずであります。これに対する答えが分かれ道になります。もし、「十字架にかかったイエス」が救い主であるとするならば、次の挑戦は「我に従え」という内容になるのではないでしょうか。ユダヤ人には「躓かせる」、ギリシャ人には「愚か」な道は、今、ここで、どのような生き方をすることなのでしょうか。そのような、「十字架にかかったイエス」という他者と常に新たに出会うことが、ユーカリストにあずかり「想起する(リ・メンバー)」こと、宣教に自己投与するということなのではないでしょうか。

(表題はKenneth Leech, We preach the Christ crucified, Cowley から取らせて頂きました。)