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Jubilee2000国際会議沖縄を終えて
沖縄教区主教 谷 昌二
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愛による平和を!−長崎原爆記念日の礼拝に参加して−
九州教区主教 五十嵐正司
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第2回聖公会「手話」関係者の集い
目白聖公会 小川加代子
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出 版 物 紹 介
1.「わたしの物語をわかちあうために」
2.「宣教師ウイリアムズの伝道と生涯」
●パレスチナにおける緊急事態に関するアッピール
日本聖公会管区事務所 総主事 司祭 輿石 勇
Jubilee2000国際会議沖縄を終えて
沖縄教区
主教 谷 昌二
せっかく開いた国際会議。海外30か国から60名、日本本土から110名、そして沖縄から100数十名、合計300名がサミット直前の3日間、沖縄に集まって、2000年末をもって、世界の最貧国41か国の重い債務を帳消しにしてください、という声明文とG7へ向かっての要請文を採択して、代表4人が森首相と直接会って手渡した。
今回初めて、サミット期間中、NGOのために、会議の報告、記者会見用の特別の施設も提供され、NGOの声も聞いて、会議に反映されるかの態度をちらつかせ、期待が寄せられたにも拘わらず、結果は、全く失望のみ。昨年のケルン・サミットの追認に止まっただけでなく、ケルンの債務削減合意が、41か国中の9か国しか実施されておらず、その反省もないまま、又、より厳しい削減の条件をつけるという、ケルンよりも後退した結果に終わった。
しかし、これでくじけていられないのが、今、最貧国を最も悩ませている重い債務である。何としてでも、一日も早くこの重荷を軽くしなければ、「世界はあぶない!」というのがわれわれの認識であって、この失望にくじけることなく、9月始めに開かれた国連ミレニアム・サミット、さらには今月末のプラハでのIMF・世界銀行総会の内容をしっかり監視して、どんどんアピールを続けなければならない。そして、2000年を越えても、来年のイタリア・ジェノバでのサミットに向けて行動を整えて行く必要がある。バチカンは、この債務帳消しで、関係国を一同に集めて話し合いの場を提供する計画があるという。
個人的には、この沖縄国際会議で、たくさんの素晴らしい人と出会って、広い視野が開かれたことを感謝したい。Jubileeジャパンを立ち上げた北沢洋子さん、アジア・太平洋資料センターの井上礼子さんはじめ、若い素晴らしいスタッフたち。又、イギリスから何と6000キロを自転車で走破したロジャー・ハリントンさんを初めとする3人の英国司祭とその家族・仲間10名。そして、すでに1983年にJubilee2000の運動を始めたビル・ピーターさん。サミット後、Eメールを通して、各地で今もJubileeの運動を推し進めている若い、熱のある人々。私も、教会の働きの一端として積極的にNGOの働きに参加出来る道を模索している。何か手ごたえのあった夏であった。
愛による平和を!
−長崎原爆記念日の礼拝に参加して−
九州教区主教 五十嵐正司
長崎では原爆投下により一瞬にして7万数千人が亡くなり、さらに7万数千人が被爆者となり体と心を深く傷つけられました。その死に様は残された遺物等の様子から推察することができます。また被爆者となり目を背けさせる程に体を傷つけられた凄まじい様子は「黒い雨」(井伏鱒二:著)などに描かれています。本を読み、被爆後の長崎・広島の写真を見て原爆の残酷さを知ってはいましたが、昨年、被爆者の証言を聞いた時、その残酷さは心に重く響きました。
それは言葉どおり命のかかった貴重な沈痛な体験談でした。人類史上初めての原爆被爆者となった人の体験談であり、原爆の残酷さを人類に向かって証しするものでした。数千年の間、人類を治めてきたのは強い者ですが、その強い者の歴史が原爆を投下する結果となったのではないでしょうか。
わたしたちが原爆を人類の負の遺産として誠実に受け継ぎ、この遺産を常に犠牲者の立場から思い巡らすことができるならば、人類の歴史に強者の歴史ではない、希望の持てる歴史へと進む可能性が見えてくるのではないでしょうか。
今年も原爆が長崎に投下された8月9日午前11時2分に、長崎聖三一教会に多くの人が集い共に祈りました。この祈りは長崎聖三一教会だけではなく九州教区の各教会、日本聖公会の各教会においても同じ時間に祈りに参加してもらうことを願い、また世界の聖公会の仲間にも共に祈りに加わって欲しいと願い案内して行なったものです。東京の教会からも、またニューヨーク、他の地域からも、長崎と同じ時間に祈っているとの知らせを受け、世界の仲間と共に人類の負の遺産を思いつつ人類の平和を祈ることができました。
礼拝の中で暫く黙想し、黙想の中で11時2分のサイレンを聞きました。町はシーンと静まりかえり、唯サイレンが長く響いていました。55年前のこの時に原爆が作裂し、一瞬にして悲惨な状況となったことを思い、礼拝参加者は涙しました。
黙想の中で、キリストが強い者の側にではなく、弱い者の側に立たれて「平和を実現する人は幸いである」と言われた御言葉を思い起こしました。また、これまでに強い者が達成できずにいる人類の平和を、決して人を見捨てることなく、人を愛して止まないキリストによって歩むことができるとの思いを強くしました。
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第2回 聖公会「手話」関係者の集い
<9月15日〜16日 東北教区仙台基督教会にて開催>
全国の聖公会教会にご案内を郵送し、東北、東京、横浜、中部、大阪各教区から25名参加がありました。うち15名は、15日午前中に行われた東北教区成立80周年記念礼拝(手話通訳付)に出席し、その喜びをわけていただき、親しく交わりの時も与えていただき感謝しております。
手話通訳を必要とする方が、3名(うち1名はカトリックの方)。第1回から続いて参加された方が17名。手話はできないけれど……という方が2名。手話経験が様々な聖職者(司祭)が3名。男性7名。年代は30代から60代まで幅広く……という参加です。
開会礼拝のメッセージは、アメリカ聖公会でのろう者伝道のこと。ろう者の司祭が何十人も活躍されてきたことについてで、みな驚くと同時に心を強められました。
その後、「神の国と神の義を…」「キリストの平和」「主の祈り(カトリック共通訳)」の手話表現について、各地で使っている表現を出しあい、言葉の意味、使い方、ろう者が見てわかる手話について……などなど、時間のすぎるのも忘れて話し合いが進められました。
聖公会として統一した手話表現を決めるのは、今の段階では難しいので、この集いを回を重ねていくことで自然にまとまっていくのでは?ということになりました。
途中、木川田主教、佐藤主教から励ましの言葉もいただき、皆これからもそれぞれの地域での活動を広めていこう、そして第3回目での再会を約束することができました。
閉会礼拝でのメッセージは、礼拝でのお説教、讃美に手話がつくことで、よりわかりやすくなるという内容で、ますます強められて帰路につきました。
ご協力いただきました仙台基督教会、東北教区の皆様に、この場をおかりして感謝申し上げます。また、管区からのご支援に感謝致します。
各教会に、信徒、求道者の中に、手話を必要とされる方、また手話通訳のできる方、手話を学習されている方をご紹介ください。
東京教区・目白聖公会 小川加代子
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《出版物紹介》
☆〈信徒使徒職ブックレット〉
『わたしの物語を分かちあうために』
−あなたにもできるイエスさまのお手伝い−
日本聖公会訓練計画委員会が4期8回にわたって開催した「信徒使徒職のためのリーダーシップ・トレーニング −牧会型の教会から宣教型の教会へ− 」には75名の信徒が参加した。このトレーニングでの方法論と具体的な内容をブックレットとしてまとめたのが本書である。(A5判146頁)
「キリストから委ねられた福音宣教の奉仕の務めを果たすために、私たちがふさわしい者とされていくには、「ファシリテートする」「引き出し役になる」ということが大切になってきます。これはある特定の人の役割ではなく、奉仕の務めに召し出されているすべてのキリスト者に求められている役割であるように思います。」(本書12頁)
特別な技能・専門性をほとんど必要とせず、教会のファシリテーター〈引き出し役〉になるための実際的な手引書として全管区的に、各教区・各教会で有効に利用したい内容を備えた一書である。内容は以下に記す通り。
1.「信徒使徒職リーダーシップ・トレーニング」実施の背景
2.「信徒使徒職リーダーシップ・トレーニング」を始める前に
3.「信徒使徒職リーダーシップ・トレーニング」の実際
(第1回 ・2回プログラム)
4.「 礼拝・祈りについて−具体例− 」
5.参考資料 (聖書研究用テキスト、他)
※申し込みは管区事務所まで(定価500円)
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☆『宣教師ウイリアムズの伝道と生涯』
─幕末・明治米国聖公会の軌跡─
大江 満 著(刀水書房刊)
日本聖公会の歴史は、安政6年(1859)米国聖公会宣教師C・M・ウイリアムズ師が長崎に上陸した時に始まる。ウイリアムズ師は日本伝道の命を受けて、禁教下の日本で単身開拓伝道の難事に当たった。師は慶応2年(1866)に日本及び中国の伝道主教となり、明治2年(1869)大阪に来住。のち東京に移り、明治20年(1887)に日本聖公会組織成立の大業をなしとげた。日本聖公会の初代主教C・M・ウイリアムズ師の伝道と生涯について、詳細に綴ったのが本書である。(A5判・846頁及び口絵写真12頁)
本書は6部の本文から構成されている。第1泄狽ヘウイリアムズが宣教師として東洋へ渡航するまでの青年期を描く。第2部は東アジア諸国に進出する列強諸国と不可分であった欧米宣教師による東洋伝道の功罪を概観し、そうした歴史の流れの中でウイリアムズの中国伝道を位置づける。第3部は日本伝道の展開として、禁令下の長崎時代、中国・日本兼任伝道主教初動時代、初期は不遇だった大阪伝道時代、苦闘を余儀なくされた東京伝道時代の四章に分けて詳説する。第4部では日本聖公会創立期の米英聖公会三派の確執と軋轢の中でのウイリアムズの貢献度を明らかにする。第5部は、ウイリアムズの清廉質素な生活と主教辞任後の一宣教師としての軌跡を描く。第6部ではウイリアムズ師の先見性と、彼が債務に苦しむ母国の海外伝道財政の中で日本伝道に当たり、主教辞任時には日本を看板伝道地にさせた経緯を、米国伝道母体の財政事情(統計資料)から論述している。
本書は著者が米国留学の2年間に、テキサス州オースチンの米国聖公会文書館で閲覧・収集した研究成果が土台になっているが、さらに帰国後は日本側の史料探索を開始した。英文史資料を用いた基礎研究による論文形式に3年間を費やし、本書の原型が整ったのは史資料収集開始から5年後で、それらをまとめて筑波大学大学院歴史・人類学系の学位論文予備審査に提出するまでに、さらに3年を必要とした。(本書「あとがき」)。この研究が認められて、筑波大学から学位を授与されたのは、史資料収集開始から10年、本書の刊行までに12年の歳月を要した。膨大な資料を丹念に分析し、ウイリアムズ師の実像に迫る大作である。詳細な伝記であるが、読み物としても通読できる。
※購入の方法については京都聖ヨハネ教会内・日本聖公会歴史研究会に照会を。
TEL.075−351−3655 (定価:本体28000円)
(広報主事 鈴木 一)
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各教会牧師、礼拝堂チャプレン
関係学校・諸施設長ならびに信徒・求道者 御中
2000年10月16日
日本聖公会管区事務所
総主事 司祭 輿石 勇
パレスチナにおける緊急事態に関するアッピール
主に在って平和のご挨拶を申し上げます。
マスメディアなどの連日の報道でご承知のことと存じますが、パレスチナでは武装したイスラエル軍によるパレスチナ人居住地区への無差別攻撃により、非戦闘員であるパレスチナ市民90人が殺されるという事件が相次ぎました。しかも、13歳の少年一人を含めその半数は18歳未満の少年だと伝えられています。この暴挙に対してヨーロッパのキリスト教団体を始め市民団体が、国連安全保障理事会に対してイスラエル軍の攻撃の即時停止を求めるよう、緊急要請いたしました。
カンタベリー大主教は10月11日、当該国の宗教者の祈りと働きにより和解が促進されるよう祈ることを内容とする、緊急声明を出しました。また、10月13日には、エルサレム教区リア−・アブエル・アッサ−ル主教は緊急アッピールを出し、全聖公会の諸教会が各政府に対してイスラエルに即時停戦を求めるよう働きかけて欲しいと訴えました。また、同主教はそのアッピールの中で、イスラエル軍の攻撃により、1)先述の死者に加えて3000人の重軽傷者があったこと、2)聖公会のガザにあるアル・アーリ・アラブ病院、またナブルスの聖ルカ病院などをフル稼働させていること、3)しかし、ガザの空港をイスラエル軍が閉鎖したため、重症者の治療また転地治療も困難であること、4)パレスチナ人の病院の医薬品の在庫に限りがあることを伝え、パレスチナに対する緊急支援を要請して参りました。
このアッサ−ル主教の要請に応えまして、米国聖公会フランク・グリスワルド総裁主教は、同日の内にクリントン米国大統領に書簡を送り、イスラエルのバラク首相に攻撃を停止し、和平交渉の席に着くよう説得方を要請いたしました。また、現在英国で開催中であります全聖公会中央協議会と首座主教会議の合同常置委員会も、福音に基づく平和がパレスチナに実現されることを祈るよう、全聖公会に求める決議をいたしました。
日本聖公会といたしましては、海外緊急援助資金から30万円を、上記2病院の働きのため急遽送金することにいたしました。
今回のイスラエル軍による攻撃の発端
9月29日の朝日新聞は、9月28日イスラエル野党リクード党党首アリエル・シャロン氏がエルサレム旧市街のイスラム教の聖地「神殿の丘」を訪れたところ、それに抗議するパレスチナ人とシャロン氏の護衛に当たっていたイスラエル警官隊の間で小競り合いが起こったと報じています。別の報道によりますと、この小競り合いが生じたのは、これまで旧エルサレム市外の聖地はモスリム、ユダヤ、キリストの3宗教の間で住み分けられており、その境界への侵害が起きたことはなかったからだとされています。同日付け同紙には、その記事と並んで、バラク首相が9月28日付けの新聞(エルサレム・ポスト)でパレスチナ人とのエルサレム分割方針について発表したという記事が掲載されています。バラク首相の方針は、パレスチナ問題決着のための1947年の国連総会決議から、大きく後退した内容であり、「旧市街にある聖地の主権は、パレスチナ側またはイスラム教徒側に譲るつもりはない」ということだと伝えられています。この方針の公表とシャロン党首の「神殿の丘」の訪問が無関係でないことは明かです。
この背後には、7月にアメリカで行われた首脳会談における和平交渉の不調がありました。イスラエルの盟友である米国のクリントン大統領は、バラク首相とともに、アラファト議長が交渉の場から去ったことが首脳会談の不調、ひいては今回のイスラエルによる軍事行動の原因だとして非難していますが、それに対して米国聖公会グリスワルド総裁主教は同大統領に、バラク首相にも交渉の席に着くよう要請しています。これは、クリントン大統領が一方的にアラファト議長を非難していることに対する批判であることは明らかです。
パレスチナ問題の起源
中東の情勢はなかなか複雑で分かり難いとされておりました。しかし、それは私たちに届く情報が、イスラエルの味方であるアメリカ経由のものが圧倒的であったために、「パレスチナ人=テロリスト」といった偏ったイメージが増幅されて伝えられてきたせいだと言えるのではないでしょうか。
パレスチナという地名は古いもので、モーセの時代には既にその地名が用いられており、その住民は「ペリシテ人」として知られておりました。そこに難民のような形で人口移動した人々が、やがてイスラエルあるいはユダヤを構成することになりました。皆様良くご存じのように新約聖書形成と同じ時代にイスラエルは絶滅し、それ以後世界各地で離散の民としての生活を余儀なくされておりました。ユダヤ人の儀礼的遮断が主因だと思われますが、どこにあってもユダヤ人差別がつきまといましたので、約束の土地への帰還の願望(シオニズム)はバルコクバの乱から今に至るまで継続していると言うことができるのではないかと思います。
1900年代初頭の第一次世界大戦時に、中東に進出した英国は自軍の優位のためにシオニストを戦力として利用するため、パレスチナへのユダヤ人移民を促進しはじめました(バルフォア宣言)。このユダヤ人移民の急増は、当然のことながら、パレスチナ人の反感を買うことになり、いわゆるパレスチナ問題がここに発生することになりました。ナチスによるユダヤ人に対する迫害がユダヤ人のパレスチナ移住を大幅に促進することになったのは当然でありました。このパレスチナ問題を解決するために、1947年の国連総会は「パレスチナをイスラエル人国家とパレスチナ人国家に分割し、エルサレムは国際管理する」という決議を行いました。しかし、1948年に英国のパレスチナ委任統治の終了とともに、「ユダヤ機構」という国際組織はこの国連決議を無視し、イスラエル建国を宣言しました。この宣言文は国連決議の尊重を伺わせるもので、パレスチナ人とユダヤ人の同等の権利などをうたっていますが、実際には、1948年という年は、イスラエル軍を中心とした武力によるパレスチナ人の排除が開始された年で、ヨルダンにあるパレスチナ人難民キャンプが作られる契機となりました。
エルサレム2000
これまでの記述で、「パレスチナ人にもクリスチャンがいたのか」と疑問をもたれた方がおいでかも知れません。しかし、パレスチナ人は最古のキリスト者であり、現在のシリア正教会の源流をなす教会に属しておりました。現在パレスチナにはルーテル教会や聖公会がありますが、それは近代になってヨーロッパ人が中東に関わってから起こった現象です。キリスト教の後に生じたモスリム教への改宗者がその後生ずるわけですが、パレスチナでは永年にわたってモスリムとクリスチャンは平和共存して参りました。モスリム原理主義はイスラエル建国以後に生じたと言われています。
イスラエル建国宣言以来、パレスチナ人はイスラエル軍によって排除され続け、今や隣国のヨルダンでは約500万人の人口の内半分以上はパレスチナ人だと言われるほどになっています。これらの人々のパレスチナ訪問は時には非常に困難でありますし、イスラエル国内に留まったパレスチナ人は絶えずイスラエルの二級市民として処遇されています。例えば、テル・アビブ空港の荷物検査は悪名が高いのですが、パレスチナ人に対する検査は苛酷を極めると言われています。
アッサ−ル主教は主教就任後も、エルサレムではなくナザレに住んでいますが、エルサレムで生まれなかったパレスチナ人がエルサレムに住むためには、3ヶ月おきに市役所に居住許可を申請しなければならないということが、理由の一つではないかと思います(昨年の5月にリアは『狭間に捕らわれて』という半生を語る自伝を出版しました。この日本語訳が出版される予定だと聞いておりますが、早く出版され多くの人々の目に触れることができますと、パレスチナ人の現状が広く理解されるものと期待しております)。
このような理由から、故郷を棄てるパレスチナ人は後を絶ちません。つまり、最初のクリスチャンたちがパレスチナからいなくなるという可能性が現実になって来ました。この聖公会信徒の減少のため、エルサレム教区はこれまでにない経済的な危機に追い込まれています。そこで、この3月ポルトガルで開催された首座主教会議の席上、カンタベリー大主教は「エルサレム2000」運動を開始し、エルサレム教区にある聖公会立の学校の働きを支援することによって、エルサレム教区の宣教の働きを支援するよう呼びかけ、首座主教一同同意いたしました。
日本聖公会では、大斎克己献金のアジア諸教会のためから50万円を支出すること、また教会関係教育機関に呼びかけ夏の集会その他の信施をパレスチナのために奉献頂くよう呼びかけることを、主事会議で決定いたしました。
そのような矢先にこのような緊急事態が発生いたしましたので、緊急援助の呼びかけに併せまして、エルサレム2000の募金についてもお知らせし、パレスチナの働きへのご支援を訴えさせて頂くことにいたしました。ご送金の際には、パレスチナ緊急援助かエルサレム2000への支援かをご明記下さいますようお願い申し上げます。
送金要領:@郵便振替:口座番号:00120-0-78536
A銀行振込:a.あさひ銀行神楽坂支店(普)1140157
b.さくら銀行飯田橋
(普)6474499
c.三和銀行飯田橋支店(普)3939556
名義はいずれも「日本聖公会」
郵便振替の場合はその受領証をもって、銀行振込の場合は、その振込み控をもって領収書に替えさせていただきます。別に領収書を必要とされる場合はお申し出ください。