日本聖公会各教区報のなかから

☆毎月、広報主事宛に送っていただく各教区報のなかから、ご紹介しております。

北関東教区時報・第215号
 
(2001年2月25日発行)

北海道教区報・北海の光第499号
 
(2001年2月20日発行)

横浜教区報・第430号
 
(2001年2月25日発行)

沖縄教区時報・第423号
 
(2001年2月29日発行)









痛みいたむ現代社会への宣教
    第33回現代キリスト教セミナーに参加して
北関東教区時報・第215号
(2001年2月25日発行)

 今回のセミナー参加には、「社会的弱者と共に」との昨年の教区会での教区主教の宣教方針からの触発と、赴任地川越の「開かれた会館」での新しい宣教方策構築のためという背景が動機としてありました。新しい世紀での教会の歩みを模索する上で、少し整理する必要をも感じていました。

 「21世紀の教会形成−社会の痛みと教会−」が第32回現代キリスト教セミナーのテーマでした。1月8日から10日までの2泊3日の日程の前半は「日本聖公会宣教課題の変遷について」、後半では「日本社会の問題点とキリスト教のチャレンジ」との発題を受けました。二つの発題を巡っての印象をご報告します。

 「日本聖公会の宣教課題の変遷について」では発題者が急に欠席となったため別の方が報告なさいました。報告書の説明がないまま当初の意図を確かめることなく議論に移った感が否めません。教務院から企画室、そして管区事務所へと日本聖公会の機構が改革されていくのですが、報告書の表題どおり「日本聖公会の『宣教課題』の変遷」は見えてまいりましても、報告書からは「日本聖公会の『宣教理念』の変遷」が浮かび上がることはありませんでした。

 「日本社会の問題点とキリスト教のチャレンジ」はカトリック東京大司教区前補佐司教森一弘師が発題されました。第2バチカン公会議以降のカトリック東京大司教区の改革への取り組みを軸とされた内容でしたが、宣教理念の第一に人間の尊厳性の回復を置かれていることに感銘を受けました。「聖書は人間中心の書物」とか「教会は無くなってもかまわない」とか随所に衝撃的なご発言がありました。それらは全て創造論に立脚した、神に良しとされている人間への深い愛、贖罪論と宣教論からなる教会の社会への福音的使命を語るものでした。

 年末年始、疲れ気味での参加でしたが、セミナーでの心地よい知的興奮にすっかりリフレッシュされました。
司祭 オーガスチン 金子 功




建国記念日と"紀元節"
北海道教区報・北海之光第499号
(2001年2月20日発行)

◇2月11日、建国記念の日には全国で大きく二つの立場で、色々な団体が集会を開いたことが報道されました。一つは、この日を戦前の「紀元節」と重ね合わせて祝おうとする人達、他はこれに反対の人達です。
◇「紀元節」は、今から2600年以上前、天照大神の子孫である一人の人物が九州から抵抗者を征服しながら大和に至り、初代天皇の神武天皇として即位したといわれる日を日本建国記念日として守ろうと明治時代(6年)に制定された日です。

◇歴史的には神武天皇は実在せず、6世紀頃作られた記紀による神話ですが、明治以降、天皇を神として日本の精神的統合の中心に置こうとする為政者によって、終戦まで神話を歴史として学校教育の中で教え続けました。先頃の森首相の「神の国」発言や、学校教育の中での「君が代」斉唱の強制、教育基本法や歴史教育の見直し等も、この思想と無縁ではないようです。

◇戦時中、キリストの神と天皇とどちらが本当の神か、と警察に問われ、キリストと答えた牧師が拷問によって死んだのも、教会が天皇聖戦を祈ったのも、僅か50年余り前のことです。(お)                《編集後記から》




  厚 木 集 会 伝 道 所
      −おおいに成長中です!−
横浜教区報・第430号(2001年2月25日発行)

 伝道所認可から4年、建物取得から2年、厚木集会伝道所も無事新世紀を迎えました。
振り返りますと、昨年は充実の1年でした。

 5月には岐阜の「あぶらむの会」の大郷司祭による洗礼盤を、9月には重厚味あふれる聖卓を製作していただき、設置することができました。さらに教区オルターギルドの方々には聖布やチャリスベールを作っていただきました。礼拝堂は荘厳なたたずまいを呈するようになり、礼拝にもいっそう身が引き締まります。
そして10月には1組の母子の洗礼式を執り行い、堅信式もまもなくです。

 対外的には、夏休み木工教室に10人近くの地域の人たちの参加があり、また11月に開催したバザーは何度も足を運んでくれる人もでるほど盛況でした。今後、地域の人たちとご一緒に、婦人会が中心となって手芸教室などのお教室ができないかと思案中です。

 最近は他教会の信徒の方の礼拝出席もあり、主日はいつも10名を超え、20名近くになることもあります。メニューで頭を悩ます月一回の愛餐会も定着し、信徒一同、老いも若きも教会へ来るのがとても楽しい昨今です。いつまでもこの気持ちが続くことを願って近況をご報告させていただきました。どうか、これからも厚木集会を見守ってくださいますように。    (アイレネ 東 俊子)




宣教50周年の感謝と決議
沖縄教区時報・第423号
(2001年2月29日発行)

 今年、わが沖縄教区は宣教50周年を迎えます。1951年米国聖公会からゴッドフリー、ヘフナー両宣教師が、この地に遣わされて福音の種をまかれてから50年の記念の年であります。その後多くの宣教師や教役者によって、成長を助けられて今日を迎えました。

 わたしたちはキリストの群としてこれまでの成長と、主にある喜びを感謝し、お互いがもっと兄弟姉妹としての結束を強めて行くための、交わりを深め、これからも主の弟子としての務めを果たす決意を固めていきたいと思います。

 50周年とは、聖書的にいえば、「ヨベルの年」であります。レビ記によれば解放の年であります。ヨベルの年には奴隷も自由にされ、借金も帳消しにし、土地も解放され、イスラエルの全土には高らかに角笛が鳴りわたり、民全体に解放と自由が告げられました。わたしたち沖縄教区も50年、すなわち「ヨベルの年」を迎えました。今、喜びと感謝、人々の解放と自由のために、わたしたちの角笛を鳴らしましょう。

 同時に50年の振り返りと反省自問、恵みへの感謝とともに、これからの宣教に新たなる決意と信仰をもって出発する年にしたいと思います。