2001年7月25日 155号 《速報版》
日本聖公会管区事務所
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発行者 総主事 司祭 輿石 勇

 
福音伝道ということ
管区事務所総主事 司祭 サムエル 輿石 勇
 先月の初めに都市問題に取り組む全聖公会ネットワークの仕事でニューヨークへ参りました。聖霊降臨の主日を、ジンバブエ教会の司祭(チャド)、英国教会の司祭(アンドルー)、スペイン系の米国聖公会の司祭(カルメン)と一緒に、マンハッタン島のほとんど南端に近い「我らが救い主キリスト教会」で守りました。この教会は旧チャイナタウンの東南に広がる新興チャイナタウンとも言うべき一角にあり、保育園や新移民の中国人のためにコンピューター教室などをしています。地域と中国人コミュニティーへのサービス活動のために、ニューヨーク教区や、もともとその教会の場所の地主でもあった、ウォール街の三一教会も力を注いでいる教会の一つでした。その教会への参加がきっかけとなったのでしょうか、それともチャドが新約聖書学者だったからでしょうか、「伝道」という訳語が原語に適うだろうかという疑問が浮かびました。

 振り返って見ますと、忙しさにかまけて忘れておりましたが、昨年の暮れに都心の繁華街で感じた強烈な違和体験が大都市の喧騒の中で目を覚ましたのかも知れません。四つ角に立つ四人の若者の支えるスピーカーを通して、中年の男性が「悔い改めて福音を信じなさい」と訴えていました。しかも、その男性の足元には酒を飲んで前後不覚となっている同じ年くらいの男性が横たわっているのです。福音伝道とはどういうことなのだろうか、と私は問い直さざるを得ませんでした。

 宿舎に面した魚市場通りの騒音のために眠れないまま、英語でエヴァンジェライズと音訳される言葉は「福音を伝える」というより、「福音化する」と訳すべきではないかなどと思いめぐらしました。ある日、カルメンにもらった中華饅頭を宿舎で一緒に食べながら、チャドにこの話をしてみました。彼はあっさりと、「どうもこの言葉は、『言葉で伝える』という面だけが強調されていて、誤訳とは言えないけれども、自分もかねがね問題だと思っている」と答えてくれました。

 ニューヨークから直接ロンドンに参りまして、 USPGの、組織300周年の礼拝に出席いたしました。この礼拝は奴隷貿易や植民地支配に関わったことの懺悔から始まりました。それと関連させながら、カンタベリー大主教は説教の中で次のように話されました。「(SPGと合流することになった)中央アフリカのための大学ミッションがザンジバルのスルタンに奴隷貿易の廃止を納得させた後、従来奴隷市場であった場所に新しい大聖堂の礎石が据えられたという話は、キリスト教の働きを最も象徴的に示すものであります。恐怖と人権剥奪の場所が礼拝と解放の場所へと変革されたのです」。大主教はまた、USPGの偉大な指導者を思い起こすことにもまして、これまで名前を知られることもなかった膨大な数に上る女性の宣教師たちの働きにもう一度光を当て直すべきであることを強調されました。この女性たちこそ、人々に喜びをもたらした人々だったからに他なりません。

 ユアンゲリゾー、ユアンゲリゾマイとはまさに福音化、「恐怖と人権剥奪の場所の礼拝と解放の場所への変革」なのであって、決して路上で寝ている人と無関係に説教することではないということを、今回の旅が私に教えてくれたように思います。