| ▼2001年・長崎平和の祈り | |
| ▼MJMからのお礼とご報告 | |
| ▼地震被災救援募金報告 | |
| ▼2001年8月15日 正義と平和アピール(8/13追加掲載) |
| ▼2001年・長崎平和の祈り | |
| 長崎が被爆して56年の歳月が過ぎました。原爆が投下された8月9日午前11時2分、今年も礼拝の中で、長崎・広島の原爆犠牲者の魂の平安を祈り、被爆者として現在を生きる人たちを覚えて祈り、外国人被爆者を覚えて祈り、核兵器の廃絶を願いつつ、神の知恵によって世界に平和がもたらせるように祈りを捧げる集いを開きます。 | |
| 場所:長崎聖三一教会(オランダ坂を降りきった所) | |
| 日時:2001年8月9日(木)午前10時半(長崎平和記念日) | |
| 司式者:デイビッド・バスク司祭(長崎聖三一教会牧師) | |
| 説教者:五十嵐正司主教(日本聖公会九州教区主教) | |
| 礼拝に引き続き、会館で話し合い・分かち合いの時をもちます。ご一緒しませんか! | |
| 主催 長崎聖三一教会 長崎市大浦町1-6 Tel.0958-23-0455 | |
| 共催 日本聖公会九州教区 宣教局 | |
| ▼MJMからのお礼とご報告 | |
| MJM ミッショナー マリア 景山恭子 | |
メトロポリタン・ジャパニーズ・ミニストリー(MJM)は約20年近くの歴史を持っています。その歴史の半分以上にわたって日本聖公会の大斎克己献金から毎年貴重な献金をいただいてきました。改めて大斎克己献金をお捧げくださっている皆さまおひとりおひとりに感謝申し上げます。 皆様からのご支援によって続けている活動をここに簡単にご報告させて頂きます。 「建物を持たない教会」あるいは「移動する教会」という説明がMJMにはふさわしいように思います。MJMは月に2回の日本語聖餐式(マンハッタンの中心部と北へ50キロほどのところにある郊外の聖公会の教会で捧げられています)と各地域(5〜7箇所)での聖書会を中心に音楽会、講演会、ワークショップ、英会話教室、ヨーガクラスなどを主催しています。また隔月発行の日米両語で編集されるニュースレター『寄留者』は約550部発行され、そのうち100部以上は日本をはじめ海外に発送されています。小児病院の訪問、スープキッチンでのボランティアなども活動の一部です。その活動の範囲はニューヨークの都市部を中心に広範囲にわたっています。アメリカ聖公会に連なる他の日本語会衆、アジア系ミニストリーとの連帯も大切な活動です。参加者はニューヨーク近郊に永住する日本人、短期、長期駐在者、留学生などです。東京周辺に住むMJM帰国者は月に1回の集会を各教会(超教派)で開き、聖書の学びを続けています。 日本聖公会からのご支援の他、アメリカ聖公会のニューヨーク教区、アメリカ聖公会本部のアジアアメリカ宣教部門から定期献金を頂いているほかに今まで立教女学院、聖アンデレ同胞会、東京教区の池袋聖公会、お隣のニュージャージー州の教会からもご支援を頂いてきました。また春には対外援助も目的とした「オークションと夕食会」を主催し、収益を活動資金の補助にあてる他、一部を名古屋の学生センターが主催している国際こども学校にも2年にわたってお送りすることができました。 MJMのミッショナーは創立者の故秋吉光雄司祭から、ジョン・ロイド司祭、関本肇司祭と引き継がれ4人目の景山恭子が信徒ミッショナーとして就任してこの春に4年目に入りました。信徒の奉仕職の可能性を具現する意味でもMJMは大切な役割を果たしていると信じています。「建物を持たない教会」「会衆形成を目的としない教会」MJMは教区、管区の枠を超えた共同のミニストリーということができるでしょう。青少年へのミニストリー、参加者の地元の教会との関わりを深めることなど課題も多くありますが聖霊の力に後押しされながら一歩、一歩、歩んでいるMJMをこれからも皆さまのお祈りのうちに覚えてくださいますようにお願い申し上げます。 |
| ▼地震被災救援募金報告 | ||
| 2001年7月20日現在 | ||
| エルサルバドル地震被災者のため | 153件 | 3,512,699円 |
| インド西部大地震被災者のため | 159件 | 3,749,122円 |
| ご協力に感謝いたします。(管区事務所総主事) | ||
| 2001年8月6日 | |
| 日本聖公会の教会、関係学校・施設・団体の皆様へ | |
| 日本聖公会管区事務所 総主事 司祭 輿石 勇 宣教主事 司祭 木村直樹 天皇制・靖国問題委員会 委員長 佐治孝典 正義と平和委員会 委員長 司祭 柴本孝夫 |
| 2001年8月15日 正義と平和アピール | |
| 提 言 |
| 一、 ニ、 三、 |
主日をはじめ、さまざまな集いの時に祈祷書の代祷に加えて、今日の日本が個人の尊厳を侵し、戦争に加担する国とならないように、また私たちが「義のため」に生きる証し人、「平和をつくりだす」証し人として行動できるように、祈り合う機会を多くつくりましょう。(マタイによる福音書5:6、9) 私たちの信仰理念である基本的人権の尊重と絶対非戦の立場が、つねに主の御意思にかなうものであるよう福音を正しく理解し、今日の危機的状況を正しく認識するため、教会や家庭集会等で学習会をもつよう努めましょう。 そして私たちがいま立っているそれぞれの生活の場で、主の「正義」に背き、主の「平和」を脅かすいかなることがらに対しても、常にはっきりと「否!」という姿勢をとっていきましょう。 |
| 私たちは、1987年と1999年に「8・15平和アピール」を出しました。21世紀に入った今ふたたび「8・15正義と平和アピール」を出すことは、性急に過ぎると思われるかもしれません。しかし今日の日本の時代状況は、ネオ・ナショナリズム(新国家主義)の波に乗って、いよいよ右傾化の方向に加速していることは否定できません。 「前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル」という、戦時中の皇国国家をイロニカルに表現した俳句があります(池田澄子)が、今日も同じような現象へ向かう危うさをおぼえます。 1999年には、世界最強の覇権国家アメリカの一方的判断による戦争行為に日本が自動的・従属的に加担することを強いられる日米防衛協力指針、周辺事態法が決められ、これに即応して戦争に備えた有事体制づくりのための治安立法(通信傍受法又は盗聴法、住民基本台帳法「改正」又は国民総背番号制、団体規制法又は第二破壊活動防止法等)がつぎつぎに国会を通過しました。 そして新しい天皇制国家づくりにもつながりかねない「国旗・国歌法」、日本人の−体性、同質性のシンボルとしての「日の丸・君が代」の法制化が強行され、私たちにとって最も大切な内心の自由(思想・良心・信教の自由)が侵されかねない事態が早くも起こってきています。さらに、平和日本の最後の砦ともいうべき日本国憲法そのものを変えようとする憲法調査会が国会に設置され、 国のかたちを変えて、「戦争できる国」づくりをするための審議が着々と進められています。敗戦後の日本が、アジアの人たちに対して誓約してきた姿勢、過去の自らの歴史の清算と謝罪、絶対非戦と基本的人権尊重の姿勢は、今みるみる崩壊し、反古にされようとしています。戦後最大の危機的状況にあるといっていいでしょう。 そして今、21世紀に入って自民党の本流ともいうべき小泉純一郎内閣が発足し、中曽根内閣以来の懸案であった「戦後総決算」の仕上げが、一見ソフトな姿勢で、しかも強引に行われようとしています。これに対して日本の民衆は、長期にわたる閉塞的不況―倒産、解雇、生活不安の中で、強力な指導者による救済を求め、異常ともいうべき情緒的な小泉ブームがおこっています。 しかし小泉内閣の本性は、首相就任の時から、現憲法を「改正」して、集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊を軍隊として認知させようとしていますし、日米間の政治的・軍事的同盟関係をなによりも外交の基軸とし、沖縄米軍基地の恒久化を当然のこととして、「アメリカあっての日本」の再確認をしています。さらに教育問題でも、「教育基本法」は日本人の国民、国家意識を弱めたといって見直し、「教育勅語」を再評価する動きがありますし、濃厚な日本自賛史観を主張する「新しい歴史教科書をつくる会」の主導する中学歴史 教科書の記述に対して、文部科学省は「明白な誤りはない」と言っています。 そして今年の8月15日には、「靖国神社に内閣総理大臣として参拝する」ことを明言しました。さらに最近では、中国、韓国からの靖国参拝反対の厳しい抗議に対して、「日本国民として、日本国総理大臣として当然の行為だ。総理大臣である小泉純一郎が参拝する。(中国、韓国への対応は)今後参拝して考える」(「産経」7.25)といった国内での強い反対は勿論のこと、国際的信義もまったく無視した倣慢不遜な態度をとりつづけています。 私たちは平和の主イエス・キリストを信じるものとして、これまでも靖国神社への首相の参拝は勿論のこと、靖国神社の国営化、特殊法人化が憲法第九条の戦争放棄、第二十条の信教の自由・政教分離の原則、及び第八十九条の特定の宗教に対する公金支出の禁止に違反するものであるとして−貫して反対してきました。 その理由は、 1.靖国神社は、その成立以来、天皇のために戦没した軍人たちを「神」として祀り、「英霊として崇敬するという、きわめて軍事的・政治的イデオロギーの濃厚な宗教施設です。しかも、1978年に日本の15年間にわたる侵略戦争の最高の責任者であった東條英機らA級戦争犯罪人14人が、「昭和殉難者」として靖国神社に合祀されたことにより、その本性が一層明らかになりました。 したがって、このような靖国神社に首相が自ら参拝し「慰霊」することは、取りも直さずかつてのアジア・太平洋における侵略戦争を国家として是認し、正当化することになるでしょう。このことは、すでに自明なこととして国際的に定着している歴史認識をないがしろにするものです。 2.先に述べたように小泉内閣は、その政策として日本を文字通り戦争できる国にすることを指向しています。このような意図をもっている首相が、靖国神社に参拝することは、近い将来において同神社の存在の軍事的必要性と再生化を視野に入れていると思わざるをえません。 3.小泉首相は「私の靖国参拝は宗教とは関係ない」と言っています。しかし靖国神社はれっきとした神社神道の一宗教法人です。そこに日本の首相が事実上「公式」参拝することは、これまでもしばしば試みられてきた靖国神社の国営化、あるいは特殊法人化を実現するための重要な布石となるでしょう。 4.そのことがひいては、神社神道という日本古来の原始的民族宗教を、他宗教とは性格を異にする日本特有の宗教を超えた「国家ノ宗祀」として日本民衆に認知させる契機ともなりかねません。 5.このような、神社神道そのものの特殊化、別格化は、神社神道の中枢に位置する皇室神道の特殊化、尊貴化に容易に連動していくでしょう。皇室の神聖視にもつながりかねません。 6.上述のような性格をもつ靖国神社に日本の首相が当然のように公然と参拝することは、日本の侵略の対象として筆舌に尽くしがたい被害をこうむった近隣のアジア諸国の人たちの和解と平和友好の心情を真っ向から裏切り、逆なでする行為に他なりません。 小泉首相の靖国参拝は、憲法の絶対非戦、思想・信仰・良心の自由と政教分離の原則を無視する許しがたい行為です。このようなことを黙過して、21世紀の人たちに何をバトン・タッチできるのでしょうか。 私たちは、戦前・戦中のように、もっぱら社会の出来事には目をつむり、耳を閉ざして、自閉・自足の教会に陥り、主の切に求めておられた預言者としての役割を怠ってきた過ちを再び繰り返してはなりません。 今一度1945年8月15日の敗戦の原点に立ち返って、そこから改めて今日の平和の危機、思想・信条・良心の危機にしっかりと立ち向かうことが求められていると思います。 無教会主義キリスト者として軍国主義化する日本に厳しく抵抗した矢内原忠雄は、日本の中国侵略が始まった1937年に講演して、「今日は、虚偽の世に於いて、我々のかくも愛したる日本の国の理想、あるいは理想を失ったる日本の葬りの席であります。私は怒ることも怒れません。泣くことも泣けません。どうぞ皆さん、もし私の申したことが御解りになったならば、日本の理想を生かす為に、先ずこの国を葬って下さい」と語り、東京大学から追放されました。 今日ほど私たちは、預言者として語り、行動することが求められている時はありません。私たちが今生活し働いている場所、家庭で、教会で、職場で、主の正義と平和の福音を大胆に証ししていきましょう。 「正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものはとこしえに安らかな信頼である」(イザヤ書32:17) |