2001年11月25日 159号 《速報版》
日本聖公会管区事務所
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発行者 総主事 司祭 輿石 勇

 

聖歌『アメイズィング グレイス』によせて

管区事務所総主事 司祭 サムエル 輿石 勇

待望の『改訂古今聖歌集試用版』が同編集委員会のご尽力によって刊行され、喜んでおります。この『試用版』の一番最後に収録されている聖歌は原題『アメイズィング グレイス』ですが、これはテレビのコマーシャルにも使われたことがあるほどですから、歌詞はともかく、曲をご存じない方は少ないのではないでしょうか。原詩では「迷っていたのに居場所が分かり、目が見えなかったのに見えるようになった」と第1節が結ばれています。これは、イエス・キリストとの出会いの結果を歌ったものだと思いますが、多くの信徒がこれと同様な体験を重ねてきたことでしょう。この聖歌が根強い人気を持つ理由の一つは、そこに求めることができるかも知れません。

この原詩は、読み方によるのでしょうが、「かつては、迷っており、目が見えなかったのに、今は居場所が分かり、見えるようになった」と喜びを驚きをもって告白しています。それは非常に喜ばしい体験ですし、大切な告白なのですが、その告白は再び迷ったり、見えなくなったりすることはないということを意味するのでしょうか。

アメリカを襲ったテロ事件とそれに対する報復攻撃をめぐるめまぐるしい報道の合間をぬって、オーストラリアの聖公会を含むキリスト教会の牧師や聖職の生活実態調査の結果が発表されたという情報が入りました。それによりますと、いささかおおげさですが、オーストラリアの教会の聖職の約8割近くが、ストレスによる「燃え尽き」症候群の経験者かその恐れをもっていることが明らかになったそうです。昔読んだ『聖職の燃え尽き症候群』という本の著者は、「燃え尽き症候群にかかる理由は不信仰である」と断じていました。そうかも知れません。しかし、「不信仰だからそうなるのだ」と言ってみても、燃え尽き症候群が消えるわけではありません。いや、それよりも「燃え尽き症候群にかかるような不信仰が問題なのだ」といった前提そのものが、聖職にこのような症候を起こさせてしまうのではないでしょうか。

その調査の担当者が非常に興味深いコメントをしています。それは、「このような症候群に陥り易いのは、第1に、他者とうまく関係を持つことができにくい傾向の聖職。第2に、教会内のことばかり問題にしている教会、したがって、一般的に言って信徒の少ない教会で働く聖職である」というものです。逆に言えば、聖職の燃え尽き症候群と無縁の教会は全体の進むべき方向や目的が明瞭であり、そこで働く聖職は、忙し過ぎるように見えてもいたって健康だということです。おそらく、それは教会が健康だからに他なりません。

 ある教会が健康なのは、事実をありのままに受け止めることができるからにほかなりません。自分たちが迷子になったり、視力を失なってしまう、とは過去のことではなく、今もそうだという事実を認めることができます。それと同時に健康な教会は、神が全ての人と同じ壊れ易い土の器である私たちを、「選ばれた人」として「結びあわせ、み子イエス・キリストの体である公会に連ねてくださった」(諸聖徒日特祷)ことを信じています。教会がキリストの体であるという信仰は、私たちがキリストを宣べ伝えるのではなく、キリストご自身が教会をお用いになって、自らをお伝えになるという信仰と分かちがたく結び付いています。

このような信仰が、私たちの肩の力を抜いてくれます。肩の力が抜けると楽になります。楽になると、今まで見えなかったものが見えるようになります。「アメイズィング グレイス」、人間解放の福音、癒しの福音はまた、人を肩の力から解放する福音、人を楽にする福音なのではないでしょうか。