カンタベリー大主教のクリスマス・メッセージ
『改定古今聖歌集試用版』の発行によせて
第4回日韓NCC女性委員会連帯交流会議について
























カンタベリー大主教のクリスマス・メッセージ


「世界貿易センターのツインタワービルが崩壊したとき、あなたは何をしていましたか?」と誰もがいずれ聞かれることになるでしょう。その時私は、書斎に座ってACCの総主事のジョン・ピーターソンと話をしていました。妻のアイリーンが入ってきて衝撃を受けた様子で「たった今、飛行機が貿易センタービルに突っ込んだわよ」と言いました。

今になってもなお、その日の出来事について人々がどのように感じたかを知るのは簡単ではありません。その日、私たちは人々が示したどんな表情を見たでしょうか。いろいろな表情があったと思いますが、たぶん、イスラム教を利用したテロリズムが大国をすくみ上がらせたために怯えた表情を示していたことでしょう。そのような悪によってアメリカがくじけなかったことを、私たちは神に感謝します。他方、その悲惨な結末を救おうとする穏やかで英雄的な、また同情に満ちた表情も私たちは見ました。また、深い悲しみだけでなく、悪は勝利をおさめはしないぞ、という確信に満ちた表情もありました。

私がこれを書いている今、連合軍はアフガニスタンに隠れているオサマ・ビン・ラディンを探しています。その意味の解釈は分かれるでしょうが、犯人が明らかにされる必要があることは言うまでもありません。世界はそのような犯罪者が法に基づいて裁かれない限り安全ではありません。

飛行機を乗っ取り、破壊するために操縦してミサイルとして用いた男たちの気持ちは測りかねるばかりです。そのような悪事が彼らをパラダイスへ導くという神学も私は理解することができません。イスラム教の指導者は、イスラムの神学が歪曲されていることを表明し続けることが緊急に求められていると思います。

しかし、現在の論議の中で欠けているように見えるもう一つの課題があります。それは簡単に言えば、私たちの益々世俗的になっている消費にかられた社会が、信仰のためにいつでも死ねる人々を理解するのはなかなか難しいということです。私たちはすべての危険やリスクを至近距離に置きながら、心地よい防護壁の中に住む、という文化に益々毒されてきています。

当然のことながら、ほとんどのクリスチャンは自分の命を犠牲にするという考え方に理解を示すでしょう。しかしそれは、私たちの信仰が宗教的な目的のために他の人を殺させるわけではありません。私たちの信仰は、正義と平和への道であるキリストのために、生き死ぬよう、私たちを召すのです。これは私たちすべてに対するチャレンジではないでしょうか。この手紙を書いている今、18人の聖公会の仲間が、パキスタンで礼拝の最中に過激派によって殺されたということを聞きました。亡くなられた方々の魂と家族の方々を全能の神の御腕に委ねます。きょう、こんなにも多くのキリストに従った仲間の支払った代価を私たちみんなが知らされました。より安全な場所に住む私たちが主に従うために支払うべき私たちの代価を明らかにするよう、チャレンジされているのです。

前世紀初め、ザンジバールのフランク・ウエストンという主教が、アフリカで宣教師になって生涯をささげようとチャレンジしている学生たちに、ケンブリッジ大学で説教をしました。そのとき挨拶にきた学生の一人が「私はアフリカには住めないかもしれない!」と言いました。するとウエストン主教は大声で「アフリカで生きろとは私は言わなかった。私はそこで死ぬ準備をするように言ったのだ!」と叫びました。そのころの宣教師たちにとってキリストのために死ぬということは、多くの場合、現実のことでありました。犠牲(いけにえ)という要素がなくなってしまった現代のキリスト教において、これは考える必要はないのでしょうか。キリストの弟子である私たちの行いが、キリストの直接の苦しみと同じ形をとっていないとすれば、たぶん教会と人類のためになる犠牲とその代価という形に従うよう、私たち自身が努力しなければなりません。

話を現在に戻しましょう。9月11日の惨事を正当化するものは何もありませんが、西側諸国は東西間の大変大きな、おぞましく不平等の現実がテロリズムを培ったという事実に目覚めなければなりません。パレスチナを含む世界の多くの場所で難民たちは深い絶望を心に抱いています。何百万という子供たちが将来への望みも持たず、機会にも恵まれず、驚くべき無知の中にいるのです。私は世界各地の教会が今日、生と死の問題について日々取り組んでいることを神に感謝します。

最後に、子供たちとその将来について話を進めましょう。子供たちに私たちはどんな世界を用意してあげられるのでしょうか。ゆりかごの中に眠る子どもたちが和解の指導者として、また希望を運ぶ使者として成長できるようにクリスマスの喜び、平和、愛をどのように彼らにもたらしたらよいのでしょうか。

全聖公会のどの地域に行っても、妻のアイリーンと私に子供たちや青年たちが顔をみせてくれることを感謝します。今年は、南オハイオでの熱意と感動、ナイジェリアでの活力ある取り組み、パレスチナの勇気ある行動、バアレーンとカタールでの頑強な信仰に触れることができて大変感謝しています。私たちの宣教、礼拝、生活のなかで子供たちのために祈ることを、私は特に優先したいと思います。

ベツレヘムの聖なる幼子

私たちの上に来てくださるようにと祈ります

私たちの罪を除き、私たちの中に来てください

きょう私たちの中にお生まれになる

大きな喜びのときを知らせるクリスマスの天使たちの声が聞こえる

さあ、来てください、そしてわたしたちと一緒にいてください

私たちの主、インマヌエル







『改訂古今聖歌集試用版』の発行によせて

聖歌集改訂委員 青木 瑞恵


 『改訂古今聖歌集試用版』がいよいよ発売されました。総数118曲、その約3割が古今聖歌集からの改訂、世界の聖歌集からの翻訳は約4割、残りが公募を含む和製の聖歌です。この聖歌集は、朝夕の祈りから順に教会暦、祝日、礼拝諸式、一般、聖餐式、聖書日課関係、キリスト者の生活などの項目がもうけられ、編まれています。また私たちの礼拝をより充実し豊かにするために、20世紀に入って押し進められてきたエキュメニカル・ムーヴメント及びリタージカル・ムーヴメントの息吹きを深く吸い込み、新しい信仰理解のもとに、新鮮で画期的な内容となっております。(たとえば2063番)

まず神に対して古今聖歌集で見られるような(古今351)、高く遠くにおられる神のみを仰ぎ見る内向的な信仰姿勢を破り、いつも共にいて働いてくださる神のイメージを表面に出しました。「二階の広間で」(2057)などは、まさに私たちの身近にいらっしゃる主のみ姿を強く感じることが出来ます。

キリスト者である私たちは罪を深く悔い、下を向く傾向を重視してきましたが、今日では救われた喜びに力強く立ち上がり、神への賛美を高らかに歌う者となりました。「望み絶え果てたまどろみの地に」(2046)は、エマオの夕陽が燃え輝く中にイエスはパンを裂き杯を分けて、闇を恐れる仲間である私たちに希望をもたらしてくださっています。

教会は信じる者の個人的集まりではありませんし、今では教派を超えて教会の一致を目指しています。2085番では、「キリストを信じる人のために、み子は心を尽くして、かれら一つになるように、と祈られる」と歌います。

 復活節の聖歌の中に表れるマグダラのマリアは、キリスト復活の最初の証人、しかも女性として、初めて歴史の表舞台に登場して来ました。「香油をもつマリアは」(2047)、そして2100番では、べタニヤのマリアとマグダラのマリアの2人のマリアを主題に、彼女たちの献身と神への賛美を歌いつつ、現在に生きる全ての人類が、神の愛のもとに平等の立場であることを強く訴えています。

今まで古今聖歌集に欠落していた隣人への愛を主題にしたもの(2111)など、試用版では現代に生きる教会の宣教姿勢が豊かに表現され、音楽の種類も世界に目を向けて広がりを持っています。音楽的にもオルガンばかりでなく、他の楽器でも演奏出来るような楽譜が、併用して取り入れられました。どうぞ今までの聖歌集同様に愛用して戴き、ご意見ご感想などをお寄せください。2006年に予定しています「本格版改訂聖歌集」が、皆様と共に作りあげる聖歌集として、より充実したものになるように、ぜひご協力をお願いしたいと存じます。  

(横浜聖アンデレ教会)













  〈海外出張報告)
第4回日韓NCC女性委員会連帯交流会議について

松浦 順子 (NCC女性委員会・東京教区聖マルコ教会)
 

 2001年10月31日から11月3日まで標記の会議が韓国江原道問文幕オークバリーで、「東アジアの平和と日韓女性の役割・新しい歴史を創造しよう」(エレミア書31:22)のもとに開催された。参加者は韓国NCCから24名、日本NCCからは在日3名を含む25名であった。うち聖公会からはNCC女性委員会メンバーの田中ゑみ、松浦順子の他基調講演者として糸井玲子さんに参加していただいた。

この会議は96年から始まり今回で4回目であるが、はじめは歴史を振り返って、日本側からの謝罪と和解の求めに出発点があり、2年前の第3回からは過去を振り返ることから、新しい時代を共に担うための協働の道を探ることに重点が移り、表題も単なる「交流」から「連帯・交流」へ変更されたいきさつがある。

今回はとくに、WCCの呼びかけによる「すべての暴力を克服する10年」の開始に当たり、そしてまさに暴力が吹き荒れる昨今の状況から、先述の主題とそれに沿った聖書のテーマが選ばれた。日韓それぞれの前会議以降の女性委員会活動報告がなされ(日本側報告者:松浦)、日本の教科書問題に関する取り組みは、共通の課題であったこと、そしてある程度の協働の成果が得られたことを確認した。日本側の基調講演を担ってくださった糸井さんは、具体的な活動の中から、いま一番問題となっている靖国問題、憲法問題等、そしてごく最近制定されたいわゆる「参戦3法案」について詳しくわかりやすく話され、韓国側のみならず日本の参加者からも高い評価を得られた。これは会議の終わりに採択される決議文を作るに当たって大きな助けにもなった。

今回特筆できることとして、日本側からは3名のローマ・カトリックのシスターの参加を得られたことであろう(女性委員会にはカトリック正義と平和協議会から2名の委員が派遣されている)。とくに森村信子シスター(聖心会)は、聖書研究の発題者として士師記から「エフタの娘」の物語を取り上げられた。父親の戦勝を条件とする生け贄として娘が犠牲になるこの悲劇から、わたし達は旧約聖書の語る人間のやるせない姿と、連帯する姉妹愛を聴いた。旧約における戦う神に率いられて繰り返される戦争と報復の物語から、わたし達が受け取るのは反面教師的メッセージでもあることを確認した。けれどもイエスは報復をよしとしなかった。わたしたちが「赦す」ことができるのは、「神に祈っていただく恵みとして」しかないことも示された。また在日女性たちの痛みに充ちた発言に呼応するかのように、シスターのお話しの最後は、多民族多文化を水平な関係で受け入れる社会構造の構築が新しい歴史を創造する第一歩だと述べられた。また、この聖書の学びから日本側は閉会礼拝を「忘れないことは救いである」と題して用意したが、印象深い礼拝であったとの感想を聴いている。

秋色濃い韓国の美しい東海岸とソラク山への旅が贈られ、楽しく愉快な交流をたっぷり味わった後、最後に決議文を韓国、在日、日本の三者の代表で協議・作成し、全員により採択された。その中のアクションプランは以下の通りである。(文言についてはこれから訂正される予定)


1. 米国で起こった出来事の犠牲者を哀悼すると同時に、全世界に蔓延するテロリズム、報復戦争の終息を要求する。また日韓両政府の報復戦争への参与・支援に反対する。
2. 米国のミサイル防衛態勢の放棄、また日韓両政府がMD政策を支援しないよう要求する。
3. 日韓両国の米軍基地の撤退を要求する。
4. 日本政府の自衛隊派遣と日本の軍事化、また靖国神社公式参拝に反対する。
5. 日本政府の「慰安婦」問題をはじめとする過去の過ちに対する公式謝罪・賠償を要求し、日韓双方の正しい歴史教育を求める。
6. 朝鮮人民共和国のへの経済的支援を続け、韓国、北朝鮮、在日コリアン、日本のキリスト者女性の連帯と交流のため努力する。
7. 在日コリアン、北朝鮮からの逃亡者、グロバリゼーションによって外国に住まざるを得ない移住労働者たちの人権擁護のため努力する。
8. 異なる民族、人種、宗教に対する差別と偏見を払拭し、多様性のなかでの調和のとれた生活を創造するよう努力する。
9. すべての暴力を克服し、平和を実現するため神学的省察と霊性を分かち合い、平和教育に努力する。
 回を重ねて、顔の見える関係ができ始めたうえ、今回は共通の課題もますます拡がり、内容の濃い会議であった。日本側のリソースパーソンがそれぞれ素晴らしい働きをしてくださったこともあり、質の高い、また刺激的な対話が繰り広げられ、満たされた気持ちと、さあ、これから決めたことを実践していくのだ、という高揚した気持ちが日本側参加者の顔にはっきりと感じられるなか、無事それぞれの場に戻った。