隠された疑問
─ いま、何が問題なのか ─
日本聖公会管区事務所総主事
司祭 サムエル 輿石 勇

 このたびアメリカで起こりました残酷で悲惨な出来事から3週間が経ち、世界中がようやく落ち着きを取り戻しつつあると思えるようになりました。しかし、事件直後の大統領を中心とするアメリカの政治指導者たちの「これは戦争である」という反射的とも言える反応と扇情的な報道などのために、アメリカは、ファシズムを連想させるような、ナショナリズム一色に覆われるかのようでした。日頃国家や、特に軍事的なことに批判的な知り合いの中国系アメリカ人さえも、コンピューター画面を守るためのセーヴァーのデザインに星条旗を使うようにと、そのコピーを添えてメッセージを送ってくるような有様でした。

 このアメリカのナショナリズムは、世界貿易センターやハイジャックされた飛行機の乗客の中に日本人がいたということ、また、日本にアメリカ軍の基地があるので、日本も狙われているとか、日本もできるだけアメリカと協調した軍事行動をとる必要があるという形で、日本にも飛び火しました。その結果、ご承知のような憲法改定にも相当するような自衛隊法の改定という動きにつながってまいりました。

 しかし、今回の事件は、アメリカを相手に起こした戦争だったのでしょうか。もしそうならば、なぜアメリカ全体が絶滅に追いこまれるような、たとえばものすごい数にのぼる原子力発電所を攻撃しなかったのでしょうか。ナショナリズムに浮かされた人々は、まるで自分が攻撃の対象であるかのように思い込んでいるように見えますが、誰が実際に攻撃目標で、誰の仇を取り、また誰を守るためにアメリカでは予備役の兵員まで動員されることになったのでしょうか。これが今も隠されている疑問だと思います。

 攻撃の対象は、改めて申し上げるまでもなく、ニューヨークの世界貿易センター(World Trade Center)と首都の国防総省でした。このことは、もしこれが戦争であったとしても、アメリカの国民一般を対象としたものではなく、貿易センターに事務所を構える日本やヨーロッパなどを含む多国籍企業と、その利益を擁護する軍隊に象徴されるアメリカ政府の力による支配であったと見ることができるのではないでしょうか。
大統領が「戦争だ」と言ったために、後になって「アラブ人や回教徒を攻撃しないように」といくら呼びかけても、すでに3人のシーク教徒(ターバンをかぶっている)やアラブ系の人が殺され、イギリスでもアフガン人のタクシー運転手が重傷を受けたまま放置されるなどといった痛ましい事件があとを断ちません。また、アメリカでは宗教指導者たちが政府に対して、テロリスト捜査を至上の緊急課題とするために、警察当局が人権関係法令を無視しないよう要請するという事態にまで達しています。

 事件の直後から、被害者たちを悼むことにおいて人後に落ちるものではないとしながら、たとえば、世界のある地域で栄養失調のために毎日死んで行く3万4千人もの子供たちのいのちを誰も悼まないのは不公平ではないかという声があちこちから上がっていました。
すでに各教区事務所を通してお伝えいたしましたように、あの事件が起きた当日、アメリカ聖公会の総裁主教は「平和を築くというキリスト者としての召命を今こそ思い起こそう」と悲嘆と驚きにくれるアメリカ国民に呼びかけました。事件から10日程経った9月20日から、アメリカ聖公会の主教会がヴァーモント州バーリントンで開かれました。そこでは、今回の事件の背後にある、アメリカを中心とした経済活動の非人道的な側面について反省することが、一つの大きな主題となりました。

 23日、同市の聖パウロ大聖堂の主日礼拝の説教で、グリスワルド総裁主教は「自分に好ましくない条件だったり、自分の利益にならない条件だと国際的な対話の席を余りにも簡単に蹴ってしまう、わたしたち」と合衆国政府の姿勢を批判しています。これは、今回の惨事のつい一週間ほど前に南アフリカのダーバンで開催された、国連反人種差別会議のことをさしていると思います。この会議では、沢山の重要な問題が議論されましたが、奴隷貿易に対する謝罪要求やイスラエルのパレスチナ占拠は人類に対する犯罪であるとする声明などに不満だとして、イスラエルとアメリカ政府代表が退席してしまいました。そして、これらの問題に関してヨーロッパ諸国が大きな圧力をかけて、起草された声明文の原案に著しい修正を迫り、市民を代表して参加していた世界教会協議会の代表たちを失望させました。それは、奴隷貿易などを断罪する決議が通ると、英国を含むヨーロッパ諸国やアメリカ政府に対する賠償訴訟が起こされるのを恐れたためだと言われています。このことを、グリスワルド主教は説教の中でお話になったのだと思います。

 アメリカ聖公会の、135人から成る主教会は9月26日にこの趣旨に添った声明を出しました。これは主教たちの多くが、今回の出来事を、赦しがたいものではあるけれども、国民を代表するはずのアメリカ政府の非人道的な在り方に起因するものであると受け止めていることを示しています。

 1999年だったと思いますが、シアトルで、世界貿易機構(World Trade Organization)の総会に向けて、アメリカの労働者たちを中心とする一大デモが繰り広げられました。これは、この機構を支える多国籍企業の収益率向上のためにアメリカの労働者が苦境に陥っていたからにほかなりません。この機関が、知的所有権擁護という名目で、アメリカの製薬業界の利益を守るために、HIV/AIDS治療薬のコピー生産を禁じているので、助かるはずの多くのいのちが失われていることは、「管区事務所だより」9月号に書かせていただいた通りです。世界貿易機構(WTO)を中心とする多国籍企業が世界貿易センター(WTC)で快適に仕事ができるために、犯罪者としてニューヨークから追放された多くの貧しい人びと(野宿者たち)が、そのビルに旅客機が突撃したことの意味を分からないはずがありません。
聖霊降臨後第17主日の福音書も、第16主日と同様に、この世の富と永遠のいのちを主題とするイエス様の譬え話を内容としております。このイエス様の挑戦を繰り返し繰り返し受け止め、今のわたしたちの生活がみ心に適うものとなるよう祈り求めたいものでございます。