和解を実現することについて
―アメリカ聖公会主教会の声明―
2001年9月26日

 アメリカ聖公会の主教である私たちは、9月11日の破壊的な出来事の影を負いながら参集いたしました。合衆国に住む私たちは本物の宗教のふりをしたイデオロギーが破壊と先手必勝の攻撃を加える国ぐにの仲間に加わろうとしております。この苦しみを通して、私たちはテロリズムの邪まな力が継続的な脅威となり現実となっている世界のある場所に住む人びとと、新たに連帯するようになりました。

 私たちは友人や愛する人びとをなくした方がたにお悔やみを申し上げますと共に、まことに悲劇的な死をとげられた方がたのためにお祈り申し上げます。私たちは合衆国大統領、その助言者および議会を構成する方がたが議論するに際して知恵と慎みが与えられ、忍耐を行動で示すことができるよう祈ります。私たちは軍のチャプレンや軍務についている人びとと、不安で不確実な時を過ごしているその家族のために祈ります。私たちはまた「私たちの敵、また私たちを攻撃しようとする人びと、また私たちが傷つけ、攻撃してきた全ての人びとのために」祈ります(アメリカ聖公会祈祷書、391頁)。

 同時に私たちは救助活動にあたっている人びとやボランティア、また私たちの国の精神を最も適切に証言している寛大と無私を示して勇猛に努めている全ての人びとのゆえに感謝いたします。私たちはまたモスリムの兄弟姉妹や恐れと非難のこのときにあって弱者とされてしまった人びとと交わりを持とうとする全ての人びとのゆえに感謝いたします。

 私たちはまた、苦しみと死が決して終わりではなく全てのものが癒され和解されるはずの未来に至る道でもあることの二つの意味を示す、十字架の影のもとに集まっています。キリストを通して「その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました」(コロサイ1:20)。
この平和形成の根源的な行為は、人類と全被造物との完全な繁栄のために、正しさに対する神の熱烈な求めに従って、全てのものを正しく整えるということにほかなりません。

 平和はすでにキリストによって達成されたのですが、私たち相互と私たちを取り巻く世界との関係の中ではまだ実現されておりません。私たちは地球村の一員として、また、世界の全聖公会の一員として、文化、宗教の違いや違った世界観にかかわらず、互いの重荷を負うよう召されています。私たちの国のような諸国の豊かさは、午前中だけで毎日6千人もの子供たちが死ぬ原因となっている破壊的な貧困によって破滅の淵にある他の諸国と鋭い対照を示しています。

 私たちは自己検証と悔い改めを求められています。つまり、全てのものを結び付け、癒し、新しいかつ全体的なものとすることを求めることができるために、私たちが心を開き神の思いやりが働く余地をつくる方向に進んで自己変革するよう求められているのです。私たちが洗礼を受けることによって参与するようになった神のご計画は、抽象的にではなく、飢える人に糧をそしてはだかの人に衣服をという具体的な形で神の正しさを示すことができるように、私たちの日常の生活の形を整え直し変革するという継続的な働きです。教会の使命はこの世界の中で神の働きに参与することにあります。私たちはその使命を主張するものです。

 「私はあなたの前に生と死を置きました。あなたとあなたの子孫とが生きるために生を選びなさい」とモーセはイスラエルの子らに告げました。私たちは生を選びます。そして、ただちに私たち自身を個人的にも信仰の共同体としても、私たちの決意に内実を与え、私たちの希望を体現させるような明確な手段を展開できるように、自分たちを整えるものです。ただ私たちは、皆様も平和の器となることに忠実に、またそれを願っておられることを信頼申し上げ、皆様とともにこのように努める次第です。

 ですから、ご一緒に和解のために働こうではありませんか。私たちに与えられた賜物を神の継続する和解と癒しと全てを新たにする働きの実現のために捧げようではありませんか。そのようにすることを私たちはお誓い申しまた私たちの教会も行動を同じくするよう呼びかけるものです。

 私たち全てがそのために召されている課題の大きさを承知の上で、私たちは冷静に、しかし確信をもって、また希望に基づいて前進するのです。「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)。

 「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」(ローマ15:13)。