日本聖公会各教区報のなかから |
☆毎月、広報主事宛に送っていただく各教区報等のなかから、ご紹介しております。 |
●東北教区報 | |
2001年12月号 | |
●中部教区報 | |
2001年12月号 | |
●京都教区報 | |
2001年12月号 |
終列車での出会い
─ 降誕節の思い出 ─ |
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東北教区報・あけぼの (2001年12月発行・第88巻第12号) |
今から30年近く前の12月、保育園の御用納めの夜でした。 やっと間に合った鈍行の終列車は薄暗く、車内の乗客は2、3人で話し声もなくひっそり。私は普段の3倍にもなった荷物を、前の席に2つ、横に1つと通勤カバンを膝の上に載せて、荒い息をしながらやれやれと座っておりました。その時です。いきなり、人相の悪そうな酔っ払いが前の座席の荷物をぎゅっと窓際に寄せて、無理矢理どかっと座り込み、ごろんと横になったのです。空席がいっぱいあるのに何故ここへ?びっくりした私は、反射的に横の荷物とカバンを持って席を移ろうとしましたが、顔の傷や全体の様相から、因縁をつけられるのではと怖くなり、カバンの中からいつも持ち歩いている小さな小豆色の新約聖書をさっと取り出し、“イエスさま、どうぞ守ってください”と祈っておりました。 と、その時、むっくと体を起き上がらせて、「ねっちゃん、詩編の○○から○○まで読んでくれ」と言うのです。余りの唐突さにあ然としながらも、どうして聖書とわかったのか不思議な思いの中で、何故か素直に「はい」と答え、読もうとしたら聖書は逆さまだったのです。 ふと目をやると、頭をたれた目から大粒の涙がぼたぼた落ちているではありませんか。 「ねっちゃんは、おれに忘れかけていたキリストさまを思い出させてくれた。」「教会に行ってらしたんですか?」「そういう時もあったけど、事情があって行けなくなったんだ。昔のことだよ。」と。 それまで外観だけを見ていた自分がとっても恥ずかしくなってしまい、不思議なくらい心が落ち着いて来ました。クリスマスの賛美歌をうたってくれないかと頼まれ、嬉しさに“聖しこの夜”を独唱したのは言うまでもありません。 列車がいよいよ終点大館駅に近づいて来たのでデッキに行きますと、「ねっちゃん、その聖書おれにくれないか。命をかけて大事にするから。お願いだ。」 私にとってはとっても愛着のある聖書でしたが、そうまで懇願されてはあげない訳にもいきません。 列車が止まるや否や、無賃乗車だったのでしょうか、改札口とは反対方向へ走り去って行きました。 以来この季節が巡って来ると、“命をかけてこの聖書を大事にするから”と言った情景が鮮明に思い出され、私の小さな聖書をしっかり胸に抱きしめていずこへか消え去った人の安否に思いを寄せると共に、聖書が私の人生のロードマップとして、より確かなものとさせられるのです。 |
ヨハンナ 戸枝江美 (大館聖パウロ教会信徒) |
平和への巡礼 in 21 中部教区フェスティバル |
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中部教区報・ともしび (第345号・2001年12月発行) |
10月7日(日)、8日(月)教区フェスティバルは主教座聖堂(名古屋聖マタイ教会)において、感謝に溢れつつ執り行われました。25の教会信徒が1つの共同体として、キリストの平和を願う者として参集したのです。 合同大礼拝には約500名近い信徒が集い、説教者にはカトリック東京教区森一弘司教においで頂き、森紀旦主教の司式により聖餐式を行いました。その中で、10名の兄弟姉妹の堅信式が行われました。遠方からは貸切バスで新潟伝道区と長野伝道区から各一台、他にマイカー、夜行列車で駆けつけてくださいました。昼食交流会は柳城短大体育館にて、大勢の信徒で賑わい、エルピスの演奏等も交えながら大合唱をしました。 プログラムについては、各教会の教役者、連絡委員を中心に、自発的に準備するようにお願いしました。写真による教会紹介、パネル展示、特産品・教会グッズ販売、参加者名簿、名札作成、募金の呼びかけ等、各教会に委ねました。したがって各々の教会、信徒の協働する姿が表現されたように思います。そこには教会の規模とは関係なく、フェスティバルを共に行おうとする姿勢が現れ、やろうとする一人ひとりの意欲が全体の輪を広げて行きました。 礼拝においてはOHP、手話、エルピスの演奏、大聖歌隊等が試みられ、多くの信徒が各パートを担う形で行われました。7日の夕方シャロームでは野宿生活者たちへの食事提供車「アロイジオ号」によって疑似体験をしながらカレーライスを頂きました。 フェスティバル準備の中で、事前に行われた関連企画があります。「フェスティバルを迎える祈り」「ふぇすてぃばるニュース」「十字架の巡礼」です。フェスティバルを迎える祈りは、毎主日6ヶ月間唱えました。ふぇすてぃばるニュースのオリーブと銘打った小さなコラムは、各信徒の平和に関連した貴重なメッセージです。当日、「平和への巡礼in21」宣言と一緒に冊子にして配られました。青年を中心にした十字架の巡礼は今回の企画の中で大きな反響がありました。十字架を担いで初めての教会へ出向いたのです。青年達は「つながる・みつめる・わかちあう」の主旨を訴えたのです。壮年の信徒も数名ずつ同行し、各教会の礼拝に参加しました。そこには喜びと熱意がありました。この企画の中で多くの信徒との出会いがあり、ことに信徒数の少ない教会での礼拝は感慨深く、悩み、喜びを共有できる仲間でありたいと思いました。 このフェスティバルを通じて、私たちは何よりも身近な交わりを重んじ、つながりを深めることをたいせつにしていきたいと感じました。そして、神の平和への意義を礼拝の中で確信し、社会生活の場で実現していきたいと思いました。 |
実行委員長 ステパノ 阿部力治 |
【参加者の声あれこれ】 ◎奇しくも、新たな戦争が始まったこの日に、中部教区フェスティバル平和への巡礼in21がスタートした。感動したという言葉以上の神の意思のようなものを心に感じた2日間だった。 ◎計画から実行まで大変なお働きでした。言葉には表現できないほど大きなお恵みをいただきました。心からの感謝を致しております。 ◎すばらしい企画をしていただき、主の御声に耳を傾けることができました。それは愛・主の平和。戦争など決してあってはいけない。すべての人々が平等でありたい! そう願いつつ、心に強く強く刻ませていただきました。 ◎単なる記念の連合礼拝に終わってしまいそうな行事をここまで盛り上げることができたことに驚きと感謝の念を表します。このフェスティバルに各教会が毎週祈りをささげたこと、青年達が率先して各教会を巡礼したこと、この行事を担ってくれた人々の願いが結集したことなどがこの結果になったと思います。願わくば、これが行事の終わりではなく、中部教区の新たなスタートでありますように。 |
介護体験の実習から | |
京都教区報・つのぶえ (第513号・2001年12月発行) |
特別養護老人ホーム「愛の園」での介護体験実習参加者から感想が届いています。 |
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オリエンテーションの後、濱野霊母様から、お年寄りが息を引き取られる最期の時までずっと側にいて手を握り、神様の元へお見送りするご様子を伺いました。 今回のお手伝いで、三日間介護をしてさしあげる方のお隣に座り、お顔を見ながらお話しいたしますと、時には聞き取れなかったり、理解しにくいときもありましたが、その笑顔から感じとることができました。 翌早朝、修道院礼拝堂に於いて礼拝があり、岡野主教様と修女様の元、お祈りの内に静かな黙想の時を与えられたのは大きな喜びでした。その後、夜中に亡くなられた方のお別れ会が行われ、ご遺族の方とお年寄りの方が一人ずつそばに行ってお別れをし、皆でお祈りと共に神様の元へお見送りしました。ああ、この方は霊母様に最後まで手を握られながら逝かれた人だなあ、と厳粛な気持ちをいただきました。静かに聞き入っていらっしゃる方もあれば、居眠りをされている方もあり、けれどもそこにはなぜか神様がいてくださる穏やかさを感じとれました。 3日目の朝食が最後のお手伝いとなり、入園者の方とのふれあいをしっかり感じつつ「ありがとうございました」と言ってお別れをいたしました。もうお忘れかも知れませんが、神様は一人一人を覚えていてくださっている、と思いめぐらしながら帰途につきました。 交わりの三省 互いに祈り合っていますか 互いに赦し合っていますか 互いに愛し合っていますか 濱野タキ 私たちが宿泊したステパノ館の食堂に貼ってありました。 |
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秋元淑子(桃山基督教会) | ||
◆社会部の今年度の活動は次の通りでした。 | ||
2月 | 3日 | 聖公会生野センター体験学習会。9名。 |
5月 | 27日 | 聖公会生野センター学習会(京都聖ステパノ教会と共催、同教会)。30名。 |
6月 | 30日 | 講演「介護のあれこれ」と実習。(教区センター)。32名。 |
8月 | 23〜25日 | 老人ホーム体験学習会(特別養護老人ホーム愛の園)。11名。 |
10月 | 21日 | 環境問題講演会(桑名エピファニー教会にて)。35名。 |