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日本聖公会各教区報のなかから
☆毎月、広報主事宛てに送っていただく各教区報のなかからご紹介しております。

イラク戦争に対する平和アピール
中部教区報「ともしび」
(第359号挟み込み・20034月1日発行)
日本聖公会中部教区
各教会・礼拝堂 御中
信徒・教役者

『イラク戦争』に対する平和アピール
  去る3月20日、世界'lコの平和を愛する人々の願いと祈りにもかかわらず、アメリカを中心とする連合軍は、圧倒的な武刀によってイラクに対して攻撃を開始しました。

 攻撃開始の理由は、ブッシュ大統領によれば、
国連などによる度重なる勧告にもかかわらず、イラクのフセイン政権がミサイルや生物兵器などの大量破壊兵器の放棄に応じなかったとしています。しかし、だからといって破壊力のある爆弾やミサイルを、罪のない多くの人々の頭上に打ち込んでいいはずがありません。国連決議を経ないままに先制攻撃をしたことは、明らかに国連憲章違反であり、国連を中心に培ってきた国際秩序の破壊を意味します。また、国際世論の支持も得られるはずがありません。この無法な、そして無意味な戦争によって、すでに一般市民を含む双方にかなりの犠牲者が生じていることが報じられていますし、また長期戦の様相も呈してきています。長期戦になれぱ、更に犠牲も増えることになります。

 このようにかけがえのない、多くの尊い生命を犠牲にしながら、アメリカやイギリスが得ようとするものは、いったい何なのでしょうか。ブッシュ大統領やブレア首相が、いかに多くの言葉を用いて弁明しようとも、世界中の人々は、到底、理解も納得もしていないのです。私たちは、アメリカやイギリスがこの戦争をいかに正当化しようとも、神が与えた生命の一つでも、無意味に失われることの正当'性など認めるわけにはいかないのです。

 仮にどちらかが、この戦争に勝利しようとも、敗北した側には、激しい憎しみが残り、結局は、報復という名の戦争が繰り返されることになるのは明らかだと思います。私たちの主キリストは、「敵を愛し、憎む者に親切にする」(ルカ6:27)ことを勧めています。私たちは、この暴力と憎しみの連鎖をどこかで断ち切らなければなりません。私たちは、すべての国からあらゆる武器と軍隊が無くなり、すべての国が互いを尊重し、信頼し合えるような平和な世界を望んでいるのです。

 こうしている間にも、激しい爆撃や戦闘が続いています。もうこれ以上の犠牲が生じないようにしなければなりません。戦場には、直接戦闘に加わらない多くの住民もいます。殊に子どもたち、お年寄り、女性たちのように、戦火から逃れることもできず、なす術もなく置かれている人々の生命を案じます。

 世界の各地では、日毎に反戦と平和を望む人々の声が高まりつつあります。今、私たちに求められていることは、この世界の平和の実現を願うすべての人々と思いと行動を共有しながら、この戦争が一刻も早く終わり、大切な生命がこれ以上奪われることがないように祈り求めることです。戦いが平和にとって代わられる日まで、皆様の教会にて、また家庭にて、また職場にて、主にある兄弟姉妹と共に、家族と共に、友人と共に、この祈りと行動の輪を広げてくださいますようお願いします。

 彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して
鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書2:4)
0033月25日(聖マリヤヘのみ告げの日)
日本聖公会中部教区
主教森紀旦
常置委員会一同


第3回 全国「手話」関係者の集い
九州教区報『はばたく」
(第391号・20034月号)

 l月12・l3日の1泊2日で名古屋聖マルコ教会で、全国「手話」関係者の集いが開催された。内容は、改訂聖歌集試用版2092
「あなた
は岸辺に」に手話を付けること。祈梼書感謝聖別梼(U)に手話を付けることでした。後者は前回に引続き、途中で時間切れとなり、次回の集いへの宿題になりました。また、最後に今回の集いの成果として、手話通訳付の聖餐式をお献げし会を修了した。 

 報告者は、実は初めて手話の本格的な集会に参加した。2年ほど前から市内のマルコ教会で手話の会が徳山姉、下条兄を中心に始まり、愛岐伝道区青年会の仲間も多く参加していたので、無理矢理関係者として、参加することに踏み切った。

 手話については、以前から興味があった。親戚が自分の講演会で手話通訳が付いたときの経験で、自分の早口の言葉を簡潔な手振りで聾(ろう)の方々に伝えていくのを見て感心したこと、さらに、一緒に讃美歌を歌ったときに、彼らが自分達より、歌詞というものをよりよく理解していると感嘆し、自分達が鼻歌を歌っているような気がして恐縮したという話を伝え聞き、あまり喜怒哀楽を表現するのが不得意な私には、手話は自分を外に向かって表現する一つの方法ではないかと思っていた。

 最初のオリエンテーションでは、自己紹介を手話で行った。それだけならばなんとかなると思ったのだが、途中から自己紹介をするときは先ずそれまで自己紹介した方の名前を手話で表現してからとなったので、車座で全体の3分の2の所に居た私は、パニックに陥った。初めてなのだから出来るわけないと居直ることも出来ず、うまくやってそれなりに注目されたいという目立とう精神も出て、皆の自己紹介をメモやスケッチを取りながら、そして、隣の人にあれこれ質問して迷惑をかけながら、名前を覚えていった。結構単純なきっかけで集中ブ」も発揮され、自分の番が回ってきたときは、メモを見ないで、皆の名前を手話で表現することが出来た(やったー)。自己紹介で手話をゲーム感覚で導入してくれた小)||さんに 感謝。

 手話の効用:身振り手振りでイメージ化するので、実は覚えやすかった。記憶法にも良いかも。だから指文字はまるで記憶に残らなかった。

 このセッションで、それぞれの教区の手話の取
リ組みもよくわかった。

 中部教区というよりは愛岐伝道区での活動
よ、この2年間、教区フェステイバルと90周年礼拝と教区全体の礼拝があり、それに向かって、礼拝の説教の手話通訳以外の、礼拝式文の部分を手話通訳者の負担を軽減する狙いもあって、式文の手話を覚えていった。直接関与していない自分が言うのもなんだが、今まで伝えられなかった人に神様のメッセージの一部分を伝える但い手になゑ恵みに与れたのだと思う。今後のこの活動は聾の方と会話が出来るように少しずつなることであるのかもしれない。自分はと言えば、時間の制約もあり、この会に参加できないので、他の教区の方々の取り組みを参考に、自分なりに手話と接する機会を探そうと思っている。そして、次回の会までに少しでも多くの手話が分かるようになって、一言でも二言でも手話で会話ができるようになりたい。今回の集いで、自分は自らはまってしまったようだ。

 さて、次回の開催地だが、宮崎聖三一教会ということになった。練馬聖ガブリエル教会の方によれば、五十嵐主教様がそこで手話の会を積極的に支持してくださっていたとか、そして、移って行った東京聖三一教会でも手話の会ができ、主教となった今、九州で全国「手話」関係者の集いの開催を支持するそれなりの責任があるとか。ただし、宮崎は人手が少ないので、事務局は名古屋でということになった。

 手話の効用(その2):聖歌や礼拝式文に手話をつけることは、私の親戚がいっていたように、その内容の理解を深めることができます。この部分は手話ができなくても皆でやることができます。手話に興味のある人、信仰理解を深めたい人、是非次回宮崎にお越しください。

後記
:
 九州教区報に拙文を投稿することをお引き受けしたあとで、しまったと思った。どうしても(九州教区牛島司祭のこと。管区編
集部注
)と比較されることを考えてしまい、うまい文章を書いてやろうと思考が空回りしてしまうし)愚兄賢弟。

名古屋聖マタイ教会
牛 島 達 夫
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