大会4日目(28日) 朝の礼拝

 朝の礼拝は、この紙を受け取ったら、まず以下の物語を各自で静かにお読みいただき、黙想してください。黙想の際には、その下の質問について思い巡らす形でもけっこうです。

物語に聴く

 ここ野辺山から西に1時間ほど車で走った諏訪湖のほとりに、岡谷聖バルナバ教会(中部教区)という小さな教会があります。この教会が設立されたのは、今から80年ほど前のことです。

 当時、この岡谷は製糸業の大変盛んなところでした。町のあちこちには工場が立ち並び、あわただしく人や物資が行き交っていました。そして、その製糸工場で働いていたのが、最も幼くて11才くらいからの、各地から来ていた工女たちでした。工女たちは、『ああ野麦峠』などで知られているように、大抵、苛酷な労働条件の元で働いていました。朝早くから夜は9時くらいまで、毎日ほぼ休みなく働きました。180度にもなる釜の中の繭から糸を引き出し、数本つなぎ合わせて、回転する枠に巻き上げていくという、大変繊細な仕事です。室内は80度近くになる時もあったと言い、病気になる工女も少なくありませんでした。

 1868年(明治元年)の貿易年鑑によると、日本からの輸出の60%が生糸関係で占められています。生糸は原料の繭を100%国内で生産でき貴重な外貨獲得の手段でした。つまり明治〜大正〜昭和初期と、日本の経済の飛躍的な発展を支えたものこそ、この生糸でした。現在に至る日本経済の「繁栄」の陰に、これらの工女たちの苛酷な労働があったのです。

 さて、岡谷の教会の設立に貢献したカナダから来た宣教師、コーリー宣教師は、この工女たちのために、あえて岡谷の地を選んで教会を設立したのでした。実際バルナバ教会は、「毎日腰掛けて仕事をしているので、教会に来たときくらいは畳に座りたい」という工女の要望で、現在も残っている礼拝堂内部は畳敷きとなっています。中部教区やカナダの伝道協会は、将来性の点から、教会は上諏訪に建てるべきだと反対していましたが、コーリー宣教師は、女性労働者のための教会が必要だと、自ら資金を集めて、岡谷に教会建設を実行したのです。そして、小さな聖堂で、苛酷な労働で疲れ果てた製糸工場の工女たちが涙も流し、笑いもしました。まさに教会は彼女たちにとって、彼女たちの渇きを癒す「井戸」のような場所であったのです。

黙想

  1. あなたの教会は、誰のためにありますか? 地域にとってあなたの教会は、どんな意味がありますか?
  2. あなたの周りで、今、どんな人が「井戸」を必要としていますか? そして、あなたの教会では、その人たちのために何ができますか?
  3. あなたにとって、教会ってなんですか?

聖歌 いつくしみと愛のあるところかみともに(増補番4番)

祈り みんなで一緒に次の祈りをとなえましょう

わたしは神を信じます。
 神は愛であり、すべての人間にこの大地を与えられました。
わたしはイエス・キリストを信じます。
 彼はわたしたちを癒し、わたしたちをすべての抑圧から解放するために来られました。
わたしは神の聖霊を信じます。
 それは真理に眼を向けるすべての人々のなかで、またそうした人々を通して働かれます。
わたしは信仰の共同体を信じます。
 それはすべての人々に奉仕するために生み出されました。
わたしは信じます、わたしたちのなかに働く罪の力を最終的に打ち破り、
 公正と平和の国を、すべての人間のために打ち立てられるという神の約束を。
(アジア・キリスト教協議会 インドネシアの信条)

聖歌 217番

担当:中部教区の青年たち