日本の青年層の現在

相原太郎

 現在の青年たちの主力層は1970年代前半から1980年代前半生まれ。私たちが育った時代状況をまずはとらえかえしてみたい。

<日本の近現代の基本的流れ>

 日本は明治から今に至るまで貿易で儲ける体制を追求してきた。戦前戦中は直接アジアを支配し、戦後はODA(政府開発援助)や軍隊(日米安保)によって間接的に支配し、「安い原料」と「製品を売るための市場」を確保してきた。
  こうした日本の政策はアジアの生活や環境を破壊し、国内でも様々な歪みを生んだ。農林業を切り捨て、低賃金の労働者を都市部に集め、効率的な産業構造を作り上げた。社会保障を薄くし、個々人で将来のための多額の貯蓄を行わせ、郵貯で集めたその資金を運用し国内外のインフラ整備を行った。
  このような政策が、極度の都市集中や地価高騰、農村の荒廃、公害など、不快な労働・生活環境を作りながら、大きな利潤を生んできた。

 

<70年代・・・企業社会の完成>

 そして、行政でなく企業が手厚い福利厚生を行い、企業に尽くすこと(=昇進)によって、多額の賃金と福利厚生を得るという企業社会体制を作り、企業内競争を激化させ、効率よく利潤が出るようにした。
 さらに、競争力を強化するため、人材採用にあたって、学校ランクを中心とする「一般 的能力」を基準として新卒の際に一括して選抜するという方法を定着させる。こうして学校と企業が独特に結びついたことにより、安定した「豊かな」人生を送るためにはいい企業へ、いい企業に入るためにはいい学校へ、という形を作り、そのもとで子どもどうしの競争を激化させ、1970年代半ば頃にはこのような企業秩序社会が完成した。
  そんな中で生まれた私たちは、競争社会をごく当たり前のこととし、それらを含み込んだ形で私たちの生き方や価値観が作られていった。

 

<80年代・・・世界最強の消費社会の登場>

 その頃、国内市場は飽和状態となり、日本企業は、洪水輸出を行うと同時に、国内では、本来不要な物、あるいは情報・サービスなど今まで商品でなかったものまでも商品として販売するようになった。こうしたものが大量 に広まるのが大衆消費社会であり、1980年代前半に激しいうねりとなって、私たちの子ども期の生活に入り込んだ。
 ファミコンが発売されたのは1983年。87年には1千万台を突破。86年、週刊少年ジャンプの発行部数が400万部を突破。83年には東京ディズニーランド開園。84年にはマクドナルドが1兆円産業に。その他、ゲームセンター、ウォークマン、DCブランド、ファミレス、ゲームボーイ、プレステ、プリクラ、ポケベル、携帯など、私たちは消費を中心とした生活の中を駆けめぐって成長した。  海外に行くと日本に自動販売機が異常に多いことにすぐ気付くが、これだけハイペースで消費社会化が進んでいる国は世界中どこを探してもない。
 1960年代後半以降に生まれた現在の青年たちは、世界に先駆けて、世界で最も激しく、ありとあらゆる生活の場面 で消費社会の枠組みを、ごく当たり前のこととして子ども期に受け取って成長してきたのである。

 

<つながりを断ち切る消費文化>

 では、このような消費社会化が深く進行するとどういう事態を招き、その波を育つ場面 でまともに受けた私たちには、どんな影響が及んでいるのだろうか。

 たとえば、テレビが普及すると、チャンネル権が早い時期から子どもに移り、子どもが見たい番組を個人で見るようになる。すると、テレビを見る時に誰からの介入もないのが当たり前の状態になる。そうなると今度は、親と一緒にテレビを見たりなど、誰かから介入を含みながら目的を遂行することのほうが不自然になる。他人と一緒の部屋で寝ることも苦痛。買い物中にお店の人から話しかけられることも不自然。「コンビニは気楽でいい」と感じるようになる。
 このように、消費社会化が進むと、商品やサービスに一人ひとりの個体が他者の介入なく直結するようになるため、目的と関係ない予想外の人間関係のやりとりが不自然に思えてくる。これが消費社会の新しい事態である。  個人での行動が自然になり、一緒に何かしたりするほうが不自然になると、他者に対して介入するのは望ましくない、という考え方がごく当たり前になる。「何をしようとそれはその人の考えで尊重したほうがいいから、とやかく言うべきでない」というある種の倫理観は、現代の若者の特徴的態度と言ってよいだろう。そうした中では、若者たちが望んで集まっている場合でさえ各人の主張はバラバラにあるだけで、相手との対立軸を見つけ何が本当かを模索する議論や行動は生まれにくい。全ての事柄について目的に合わせて応答してくれる「商品」を選択し直結して生きることが当たり前になる中で、他者・社会に自分自身が介入しながら実人生を作ることにリアリティを持ちにくい状況にあるのである。

 

<90年代・・・グローバリゼーションの流れの中で>

 さて現在、グローバリゼーション(競争力のある巨大資本がさらに利潤を得るために、アメリカが主導するWTO<世界貿易機関>が中心となって、自由化・民営化・規制緩和により、世界中のあらゆる物事を商品化して自由市場に組み込もうとする流れ)の波が日本にも押し寄せる中、国内での影響も激しくなり、青年たちの生活にも確実に及んでいる。

 企業は、グローバル市場で競争するため、過酷なリストラを行い、新規採用と正規労働を切り縮め、多くの部分をパートやアルバイト、派遣労働者にし、労働者使い捨て体制を作っている。新卒者の就職率は年々減少しており、非正規雇用で働く労働者は常用労働者全体の3分の1を越え、青年たちの不安定な状況は加速している。特に女性の就職難は激化の一途を辿っている。非正規雇用の労働者は低賃金のため正規雇用者よりもかえって長時間働いている。
 正規雇用者も、過密労働にサービス残業、常に十数時間も働かされ、おまけに休日出勤、さらには朝晩の通 勤地獄、食事はいつも添加物たっぷりのコンビニ弁当と栄養ドリンク、とやはり困難な状況がある。
 しかも政府は99年6月に労働者派遣法を変え、派遣事業を原則自由化。昨年4月には、労働時間を労働者の「自己決定」にまかせ、その代わり時間外手当をつけないという「新裁量 労働制」の導入も可能となった。さらに全国的に野宿生活者が激増する中、就職できず親もリストラに合う中で家庭も崩壊して野宿生活に入っている若者なども徐々に増えつつある。

 また現在政府が力を入れているIT革命は、私たちの暮らしも含めた日本社会全体を超高速通 信網に組み込み、より効率的な社会構造・企業活動を促進するもので、これによりさらに人員削減が行われ、日常生活もそうした効率的世界に飲み込まれていくことも予想される。

 

<軍事化の必要性>

 そして日本とアメリカは、富める企業がますます富み、貧しい人々がますます貧しくなるような自由市場における企業活動を安定的に維持するため、対立してくる要素を押さえるべく、軍事力を常に最新鋭化している。99年に可決された新ガイドライン関連法案は、日本の企業が低コスト実現のために海外に拠点を全面 的に移動するようになり、海外市場の安定を求めたことが背景にある。

 

<新たな生き方を探して>

 さて、こうした経緯の中で、若者たちには企業社会に組み込まれたくないという将来像が広く一般 化しており、消費社会による個体化と相まって社会へのコミットを遮断し、「いまのまま楽しく」という思いを強く持つ方向にある。そしてその一方で今までと違った別 の価値観を探し求める青年たちも増えてきた。災害ボランティアや国際協力NGOなどに多くの若者が集っている。1990年代後半に日本のキリスト教各派において全国的な青年のネットワークが活性化し始めているのも、こうした背景とは無縁でない。

 

<まとめ>

 アジアから資源を搾取しそこに住む人々を貧困に陥れることによって物を溢れさせて成り立つ「豊かな」「平和な」日本社会は、実は全く快適でない生活をもたらし、身近な人々や地域社会や世界と分断して巨大な産業構造に無力感・孤独感を感じながら直結させられ、それが個々の人間関係に強烈なエネルギーを使わなければいけない感覚を作り、非常に困難な状況に若者を追いやっている。

 したがって、こうしたアジアからの搾取とそれによる私たちの日常生活の構造を様々な場面 で変えていかなければ、私たち青年自身も本当の豊かな質を持った実人生を送ることはできないのである。

 

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