★(宗教法人) 日本聖公会 鉛山聖救主礼拝堂
〒018-5511
秋田県鹿角郡小坂町十和田湖字十和田
Tel. & Fax. 0186-42-2545(大館聖パウロ教会)
管理 司祭 ヨハネ 小野 俊作★日曜礼拝案内
不定期★「礼拝堂」の歴史年表
1920年前後
アメリカ人宣教師アンデレス司祭が銀山の湖畔に別荘として丸太小屋を建てた.この頃に大川岱(おおかわたい)に礼拝堂が建てられた.
1930年頃
イギリスのエピファニー修女会のシスターが十和田湖に来ていた.大川岱の景色を克明に描いたスケッチブックが書かれている. (1930年著者はシスター・メアリー・カサリン CE)
1941年頃
太平洋戦争の始まりとともにアンデレス司祭が帰国する.この時に,マリア像(現在は東京にあるナザレ修女会で保存されている)や天使の絵は本国に持ち帰られた.
1947年頃
アメリカ人宣教師ヴァイアル主教栃木県小山修道院来日.(聖ヨハネ修士会,1980年代に廃止)
1948年頃
ヴァイアル主教が,この年から十和田湖へきた.現在のヴァイアル山荘に滞在.
1950年頃
ヴァイアル主教によって現在の礼拝堂が立てられた.
1961年
ライシャワー駐日米国大使が,この年の10月現在の礼拝堂に立ち寄った.
1982年
ヴァイアル主教82歳で亡くなる.
礼拝堂の所有が日本聖公会東北教区になり大館聖パウロ教会が管理する.
1994年
10月1日(土)に十和田湖に礼拝堂ができて以来,始めての結婚式が行われる.
★十和田湖にある「小さな教会」の歴史
作成:1994年8月27日
正式名称 「鉛山聖救主礼拝堂」
所有者 日本聖公会 東北教区
管理 東北教区 ヴァイアル山荘 管理運営委員会
(青森,八戸,弘前,大館よりの牧師と代表者による)
事務所 大館聖パウロ教会 牧師(司祭) 小野俊作氏
住所 大館市裏町11
電話 (1986)42-2545
場所 秋田県鹿角郡小坂町十和田湖字十和田
十和田湖畔和井内から西湖岸へ約4キロ(さざなみ山荘の近く)
十和田湖の西湖岸のほとりにひっそりと建っている礼拝堂.今から,およそ80年余りの歴史を受け継いでいる礼拝堂である.
普段訪れる人は極まれで,シスターたちと来客が毎年夏の期間,近くの別荘に避暑をかね,1ヶ月ほど滞在する際に礼拝堂として利用している.
また,1961年日本に着任した駐日米国大使ライシャワー氏が,この年の10月に十和田湖に来られた際,ご夫妻でこの礼拝堂にわざわざ立ち寄られている.
濃い緑の原生林にたたずむ礼拝堂には,日中でも木漏れ日が差す程度.春,雪どけとともに咲くキクザキイチリンソウの花が,この礼拝堂の周りを白や薄紫色の花のジュータンで覆ってくれる.
礼拝堂の前には遊歩道があり,まるで緑葉のトンネルのようだ.建物のすぐ前には太い樹木の幹やからまる蔦の間を通って湖面が見え,耳を澄ますと波の音が聞こえてくる.建物は素朴で,けっして立派な作りではないが,手作りで建てられたといわれるだけあって様々な工夫がなされている.
高床式にて建物を森の湿気から守り,外見より頑丈で真冬の豪雪に耐えられる丈夫な柱や梁を使っている.正面の屋根には十字架があり,木の階段を二段上がり戸を開けると,正面の板壁に懸けられた「勝利のイエス十字架像」が目に飛び込み視線をとりこにする.また,三方が引き戸になっていて,全部開けることができ開放的になっている.
この礼拝堂は,1950年頃にアメリカ人宣教師ヴァイアル主教によって建てられている.ヴァイアル主教は,戦後まもなく,日本に来日し栃木県の小山修道院にいたが,十和田湖の魅力にひかれ,以来1948年頃から1982年頃まで約34年間,82才で亡くなられるまでの毎年,小山修道院からかよい続けていた.十和田湖の新緑の季節と夏の一ヶ月間,そして秋の紅葉を楽しみに来ていた.宿泊は銀山の招仙閣前の湖畔にある別荘(現在彼を記念してヴァイアル山荘と命名される)を利用していた.
現在の礼拝堂ができる前は,大川岱に建っていた.正確な記録として残ってはいないが,大正時代の中頃にはすでにあったと考えられる.米人宣教師のアンデレス司祭(秋田市で布教していた)が,銀山の招仙閣前の湖畔に丸太小屋(現在のヴァイアル山荘)を建てて住んでいたようで,大川岱の礼拝堂は,このアンデレス司祭によってたてられたものと考えられる.
当時は,現在のように道路が整備されておらず,小坂から峠を超えて牛や馬に荷物を引かせて十和田湖まで来ていたようである.
アンデレス司祭は,当時としては大変めずらしいモーターボートをもってきていた.当時のようすを大川岱に住む古老(高瀬忠二氏75歳)が鮮明に記憶されている.アンデレス司祭の紹介で,十和田湖の美しさに魅了された,イギリスのエピファニー修女会のシスター達も来ることになり別荘を建てた.(ヨーロッパでは,夏を湖のそばで過ごす習慣があった)そして,夏を過ごす間,礼拝を行う為に小さな礼拝堂を建てたといわれている.
英国に本院のあるエピファニー修女会が,礼拝堂として教会の伝統をふまえ,日本的な美術をとり入れて建てられたものであった.
建物の大きさはそれほどでもなかったが,礼拝堂の内部は,壁のむき出しの部分に荒っぽいけれども赤い杉の樹皮を張っていた.御厨子は太い木をくりぬいたものでできていて,幼な児イエスを抱いた聖母マリア像が納められていた.祭壇の上には十字架像と天蓋が置かれ,聖壇の前には,シスター・E・Tの手編みのベールがかけられ,みごとな程に素朴で床は板張りであった.また,障子にはシスター・ETが描いた,すばらしい天使の絵が6枚飾られてあった.
しかし,第二次世界大戦が始まってまもなく,アンデレス司祭が帰国する際に,マリア像(現在,東京にあるナザレ修女会で保存されている)や天使の絵は撤去され,本国に送られてしまったとされている.その後,礼拝堂は終戦後まで県に接収され鉛山鉱山の宿舎として利用されていたが,建物が古くなり昭和22年頃に雪の重みで壊れてしまった.
その後,現在の礼拝堂は1950年頃ヴァイアル主教によって建てられた.この礼拝堂をエピファニー修女会から引き継いだナザレ修女会や聖ヨハネ修士会が管理利用していたが,ヴァイアル主教が亡くなられた後,日本聖公会東北教区に譲渡された.
現在,実際の管理は,礼拝堂の近くで民宿を営んでいる吉田弘也氏が大館聖パウロ教会から依頼を受け,冬季期間は屋根の雪下ろし,春から秋にかけては礼拝堂内の清掃を行っている.当時の礼拝堂のようすや大川岱の景色を克明に描いた,大変貴重なスケッチブック(1930年に書かれたもの)が現在でも残っており,歴史の証人として吉田弘也氏が大切に保管している.著者はシスター・メアリー・カサリン(CE),水彩画でかなり細かく正確に当時の風景や建物を描写し繊細な色を使って描いている.
この礼拝堂の歴史を作成するにあたり下記の人達の協力をいただくことが出来て感謝である.
記
さざ波山荘 吉田弘也氏
招仙閣 工藤祐朗氏
招湖荘 高瀬忠二氏
乙女荘 鈴木秀吉氏
十和田ホテル 大森昌雄氏
注: