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世界祈祷日メッセージ

2003年3月7日(金)  聖アンデレ教会

主教 植田仁太郎

 今日は、世界祈祷日にあたりこの聖アンデレ教会にお出かけ下さいましてありがとうございます。聖公会の東京教区の責任者として皆さまを心から歓迎いたします。

聖公会の教会制度によりますと、この教会は聖アンデレ主教座聖堂とも呼ばれております。聖アンデレ教会というひとつの教会であるとともに、東京教区の主教座、主教の座る椅子がおかれている東京教区を代表する教会という意味で、通称、大聖堂と申します。小さくても大聖堂です。カトリックの聖マリアカテドラルというのが関口台にありますが、カテドラルが大聖堂という意味です。カテドラルというのはカテドラという語から来ていますが、カテドラとはまさに椅子という意味です。

 さて、今日は世界祈祷日ということで私たちは集まりましたが、まさに世界中でこの日が守られています。NCC女性委員会が立派な式文と解説を作って下さいまして、そのご努力に敬意を表します。私はその昔、NCCの職員でしたから、教会の普通の方よりはこの祈祷日のことを知っているつもりでしたが、この解説を読んで、さらに色々なことがわかりました。アメリカで1887年に始まったそうですが、この解説の43ページの歴史の所には、その3年後にこの日のお祈りが海外伝道の祈りから世界的問題についての祈りとなったと書かれています。つまり何のためにみんなでお祈りするかが変わったということです。この変化が現代も引き継がれ世界祈祷日の大切な底流、音楽でいうならずっと響き続けているパッソコンティヌオ、いわゆる通奏低音のように、個々のテーマや礼拝の形式は毎年変るかも知れないが、毎年ずっと変らず底流のように引き継がれているものが、世界的問題についての祈りの機会だということです。

 世界的問題についての祈りの機会だというこの基本的精神は、献金の送り先のリストを見ても大変よくわかります。ついでに申し上げておきますが、昨年の献金先のリストそして今年の献金先のリストにも入れていただいておりますが、私はたまたま、この一月にこのリストにあります、タイのHIV感染者とエイズ患者のための施設「バーンサバイ」を訪ねることができました。そこで働いていらっしゃる自由メソジスト教団の青木恵美子牧師と昔から知り合いだからです。青木さんについて色々感心するところがありますが、人間60歳代後半になって、全く新しい地で全く新しいことを、生活の快適さや経済的安定などということは一切気にせず、やり始めるという行動力と潔さというのは、本当に神様の力に頼ることに何の不安もない、という人でないとできないことだと常々思っています。

しかも、そのことをいかにも信心深そうに吹聴したりしない、というところが私と大いに意気投合できるところです。バーンサバイと青木さんのことはもっとお話したいですが、この場ではただ、皆さんの献金は確かに必要なところに捧げられる、このリストを考えて下さる方々の眼は確かだ、ということを証言したいと思います。

 この祈祷日の献金先だけではなく、世界中の人々を憶えるための今年のテーマに選ばれているレバノンという国も私にとっては忘れ難い国です。

今から16年前にレバノン内戦の最中にレバノンを訪ねたことがあります。当時もベイルートの市内は道をふさぐ瓦礫の山と砲撃で崩れたビルが目立ち、さらにその崩れたビルの各階にビニールシートをかけて人が住んでいるという情景が普通のことでした。恐らく今も、その後急激に復興したというニュースは聞いていませんから、その有様はあまり変わりがないはずです。イラクやアフガニスタンやパレスチナがこの頃のニュースの脚光を浴びる中で、半ば忘れられかけているという点では、世界祈祷日に憶える国として本当に、世界中の人々の祈りを必要としているでしょう。そういう意味で今日の礼拝の式文を通して聞いたこと、また大変ていねいに紹介されているこの国の歴史や文化は、まさにこの通りだと証言したいと思います。

 そういうわけでこの祈祷日では、世界のあちこちに私たちの思いを馳せなければならないのですが、どうしてそうすることが私たちの信仰にとってそんなに大切なことなのかを、考えてみたいと思います。私たちみんな自分の日々の生活や教会のことそして、周りの人々に気を配ることで手一杯な筈ではないでしょうか。それを、たまには世界の人々のことを考えようよということなのでしょうか。いつもは考えられないから、たまには関心もちましょうということなのでしょうか。私たちの信仰というのは元々大変個人的なものなのだけれどたまには、世界のことを考えて視野を広く持ったほうが良いでしょうということでしょうか。

 私は、私たちが教会をとおして与えれた信仰のありかたは、この世界祈祷日が始まった頃からつまり19世紀の終わりごろから、それまでに無かったひとつのありかたを発見したために、その流れがちょうど宗教改革で、ローマカトリックとプロテスタントがわかれてしまったと同じくらい、あるいはもっと大きく二つの流れになってしまったと考えています。現代のイエスキリストを信じる信仰のありかたは、残念ながら二つの流れになってしまったと思います。この二つの流れの違いは、もうあなたカトリック、私プロテスタント、あなたバプテスト、私聖公会という違いをほとんど意味無くさせてしまったと思います。これらの教派とか教会の名前や伝統の違いをのみ込んでしまうくらいの勢いで、大きな二つの流れになったと思っています。カトリックだからこの流れ、プロテスタント教団だから、ルーテルだからこの流れという風には分けられないのが現代の信仰の流れの違いだと思います。そうでなければ、フリーメソジスト教団の青木恵美子牧師と聖公会の牧師である私が、信仰の色んな点で意気投合するということはあまり考えられないはずだと思っています。もし私がガチガチの聖公会の人間であったら「フリーメソジスト教団?何その教団?」という先入観が先にたったことでしょう。また青木さんがガチガチのフリーメソジストの方だったら「聖公会?何?あのにせカトリックめ」という思いが先にたったでしょう。しかし、そうならないで意気投合できてしまうというのは、私たち二人が違った教派に属していること以上に同じ信仰の流れの中で生きようとしているからだと思います。

 この二つの流れが生まれてくるのが、先ほど世界祈祷日の歴史で生まれて間もなく変化があったということを指摘しましたが、あの頃だと思います。ご存知のように教会の歴史の中で19世紀ほど伝道が進展し、アジア・アフリカの奥地にまで福音が宣べ伝えられ、教会が建てられ、ミッションスクールが沢山建てられた時はありません。それは、交通や通信技術の発展のお蔭で、初めて世界の人が世界を見、世界を意識することができるようになった時代です。明治維新で、日本人が世界を見、世界を意識するようになった時代と、そう隔たっていません。しかし、その世界を見、世界を意識する仕方は大変ゆがんだものでした。ヨーロッパ、アメリカの人々は、それ以外の世界を植民地にしてしまって当然だという風に見ていました。日本はヨーロッパ、アメリカをモデルと考え、その他の地域は日本より劣ったという風に世界を見ていました。だから教会の人々も自分達の信仰は他の信仰より優れていて、この信仰をまだ知らない人に知らせるべきだと思いました。その結果として世界のあらゆるところに伝道する、あらゆるところに宣教師を送り出すという運動がキリスト教会全体を熱気のようにおおいました。それはゆがんで意識された世界にやはりややゆがんだ信仰の形でした。私はその成果を、時代の産物なのですから軽視しないし、その功績も大いに認めます。しかし同時に多少ゆがんだ信仰だったということは今、認めなければならないと思います。でもそれは、2000年の教会の歴史の中で本当に地球上のあらゆる所を人々が初めて意識し始めたのですから、多少ゆがんでいたとしても致し方のないことです。しかし違いはその後です。これは歪んだ世界の見方であり、それにつられた歪んだ信仰だと気付いて修正していった人と、そうでない人で二つの流れが出てきました。

 たとえば、19世紀から20世紀前半に生きた人で有名なアルバート・シュバイツァーが居ります。彼は、アフリカという世界を見、そして意識して、そこにキリストの信仰と、文明の象徴である医療をもたらそうとしました。その偉大な功績は誰もが認めるところです。私は、少々意地悪でしたが、やはり皆さんの献金先のひとつでありますアジア学院に勤務しておりました時に、アフリカからの学生に、アルバート・シュバイツァーを知っているかと毎年聞きましたが、答えは「ノー、知らない。」です。多分ガボンというシュバイツァー博士の働いていた国の人々は知っている人もいるでしょうけれど、アフリカ全体ではほとんど知られていません。そのシュバイツァーは若い時に書いた本の中で、「我々は、アフリカの人々と兄弟である。しかし、我々が兄でアフリカの人々は弟である。だから色々と教えてやらなければならない。」ということを書いています。今、アフリカの人にこんな調子で語ったら、ぶんなぐられるか「エラそうなことを言いやがって」と無視されるでしょう。しかし、それが時代の見方でした。あえて言うなら歪んだ見方でした。しかし、シュバイツァーはそれを段々修正して晩年には生命の畏敬ということを盛んに主張しましたし、また核兵器の廃絶をも唱えています。

もう一人、シュバイツァーほどは知られていませんが、日本にYMCA運動をもたらした人でジョン・R・モットという人が居ります。この人も19世紀から20世紀にかけて生きた人で、最初は世界伝道を志して、まだ飛行機の無かった時代に世界のあらゆる地域に足をのばして、福音を説き、YMCAを設立してゆきます。彼も若い頃こう言っています。「今世紀中に、(つまり1900年までに)世界中をキリスト教化するという勢いだった。」世界をキリスト教化することが大切であるし、またそうできるし、そうすることによって世界の諸問題を解決できると確信していました。それは、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。それは、誰もやったことがないし、果たして神さまがそう望んでおられるかどうかもわかりませんので何とも言えません。しかしモットもその信仰のありようを少しずつ修正して、むしろ、世界各地に生まれていった教会を育て、それをひとつのものとしてゆくことに奔走します。そしてWCC世界教会協議会の生みの親となってゆきます。その頃には世界中をキリスト教化しようなどとは主張しておりません。

伝道への熱意は見上げたものであるし、私たちも常にそれを心がけることが必要でしょう。けれどもその伝道の仕方、姿勢によってずいぶん中味が変わってくるでしょう。20世紀半ばから世界の見方、世界の意識の仕方もずいぶん変わってきました。それに従って、信仰の二つの違った流れが生まれてきたと私は思います。敢えてその二つの流れに名前は付けません。その違いはどこにあるのでしょうか?ひとつは聖書の読み方でしょう。しかし、それを語り出すと大変ですので、今日は、それはカッコに入れておいて触れません。もうひとつの大きな違いは世界をそう見るかという点でしょう。

世界をキリスト教信仰を持っている人とそうでない人という物差しでみるか、それはどちらかというと二次的なことだと考えるかどうかです。また世界をどこであろうと神さまの働いている所と見るか、世界を神さまの働いている所といない所二つにわけて考えるかどうかにも違いは出てくるでしょう。

世界の見方を修正してきた人々の見方は、神さまはクリスチャンが居ようと居まいと、教会があろうとなかろうと、宣教師が居ようが居まいが、この世界で働いていらっしゃると考えることです。神さまはいわゆるキリスト教の国でも、イスラム教の国でも仏教の国でも働いておられる、私はそう考えています。

WCC(世界教会協議会)はその歴史の中でその神さまの働いていらっしゃる世界、それがどこであれ、オイクメネーだということを発見してきました。オイクメネーというのはギリシャ語で、人の住んでいる所すべて、という意味です。言うまでもなくエキュメニカル運動というむずかしい名前の語源になった言葉です。つまり、人の住んでいる所あらゆる所で神さまが働いていらっしゃるのだということを発見しました。さて、もう一度先ほどの献金先のリストを見て下さい。初期の世界祈祷日がその主題をちょっと変更してからでしょう-----この祈祷日のテーマは教会を拡張するためではなくて、世界的問題について祈るようになりました。私たちの献金先のほとんどは別にクリスチャンのためではありません。神さまの働いていらっしゃる世界、オイクメネーで、その神さまの働きに加わろうと、神さまの関心はここにあるに違いない、と信じている人々やグループの働きのために献金を捧げます。

 また、レバノンの女性たちの聖霊を求める祈りも、クリスチャンだけが神さまから恵みをいただこうなどというケチな考えではなくて、すべて痛みを持ち、苦しみ、犠牲となっている人々にこそ神さまが働いて下さるに違いない、という信仰で貫かれています。その人達をクリスチャンにして下さい、という祈りではありません。もちろん私たちと同じ希望、同じ信頼を持つ人が一人でも多く生まれてくれることを私たちも願っています。しかし、その人達がすべてクリスチャンという名称を得なければ神さまの働きは始まらないというわけではないでしょう。ともに祈り、ともに礼拝しともに賛美する人が一人でも多く加わってくれることは大きな喜びです。同時にそれ以上に、そういう場におられなくても、現に働いていらっしゃる神様の働きに参加し、それを人々と共に分かち合う人々がいてくれることはもっと大きな喜びです。

 私たちは世界中から悪の権化のように言われているイラクのフセイン大統領を、クリスチャンにして下さいと祈るのでもなく、クリスチャンであるブッシュ大統領がやろうとしていることがうまくゆくようにと祈るのでもなく、そのどちらにも聖霊を下して、弱い者、犠牲になっている者、傷つけられている者に気付き、そういう人々の味方になって下さいと祈ります。先ほど読みました聖霊降臨日の出来事のルカの物語は、教会というものがそもそも生まれた時の話だとされています。そして集まっている人が、色々な国の言葉で語り出したというのは、もうすでに当時色々な言語や文化の人々が教会を形成していた、ということの反映だと思います。つまり当時の世界、今から考えればごくごく限られた地域でアジアもアフリカもアメリカも視野に入っていませんが、それでも当時の知られていた世界全体に神さまは働いているんだ-----というそういう認識を示していると思います。教会の伝える信仰は、それぞれの時代の制約はあるけれども、世界で、神さまは働いておられるのだということをずっと語ってきたのでしょう。

 私たちの時代は、2000年前より、あるいは19世紀よりはるかに良く、はるかに日常的に世界が見え、世界を意識せざるを得ない時代になりました。毎日、テレビ、新聞で世界のことが伝えられない日はありません。そんな時代は教会の歴史上でも初めてのことです。それを私たちの良識や信仰からしめだすことはもうできません。この日本の社会でも、はるか世界から忘れられかけているレバノンでも、バンサバーイのあるタイにも、神さまは働いておられます。そして、特に弱い人、無視されている人、傷ついている人と共に居られる神さまに、私たちの顔を向けてゆきたいと思います。