教区会開会演説 <BACK>  

主の恵みの年として  主教 竹田 眞



一  新しい世紀を迎えて

 いよいよ紀元二〇〇〇年、新しい世紀及び千年期(ミレニアム)を迎えることになります。世俗的な見方をすれば、このことは単なる時間の進行に過ぎませんが、私たちの信仰から言えば、主イエスの降誕後二〇〇〇年の記念の年ということになります。聖書の用語を使えば、今年はとくに大きな「ヨベル(ジュビリー)の年」として、「ジュビリー二〇〇〇」と呼ばれています。ルカ福音書によると(四章一六ー一九節)主イエスが、自分の故郷ナザレの会堂で最初に宣教を始めた時、そこで読まれた聖書の言葉がイザヤ書六一章の「主の恵みの年」つまり「ヨベルの年」の到来の宣言でした。

  主は……
  わたしを遣わして、
  貧しい人に良い知らせを
    伝えさせるために。
  打ち砕かれた心を包み
  捕らわれた人には自由を、
  つながれている人には解放を
    告知させるために。
      主が恵みをお与えになる年……
 こういう宣言をされました。

 今年は、「主の恵みの年(ヨベルの年)」として、現代の世界の「貧しい人」、「打ち砕かれた心」、「捕らわれた人」、「つながれた人」に解放を告げる年とされるため、世界中で解放を告げる運動が広まっています。今世界中で広まっている「ジュビリー二〇〇〇」の運動は、すでに一九九四年にローマ教皇が提唱し、さらに一九九八年のランべス会議でも全世界の聖公会が積極的に関わる申合せをいたしました。この運動の第一の目標は、世界に四〇ヶ國ほどある「重債務最貧國(HIPCs)」の人々が負う債務の苦しみからの解放です。この運動は、今や世界の政治指導者を動かすほどになりました。一九九八年のバーミンガム、また昨年のケルンのG七サミットでも議題になりました。今年の七月の沖縄の(G八)サミットに注目したいと思います。七月には沖縄で「ジュビリー二〇〇〇」の國際会議が開かれ、日本聖公会主教会ではこれに参加する沖縄教区に積極的に協力することを決定致しました。来る五月二三日から開かれる日本聖公会総会でその取り組みのための議案が提出されるはずです。

 またこの他にも、キリスト降誕二〇〇〇年の記念として、さまざまな行事が行われますが、ことに一一月に開かれる東京大聖書展には前回の臨時教区会でプロジェクト・チーム設立を決議したように積極的に参画したいと思っております。
 二〇世紀は戦争と紛争が繰り返された世紀でした。相手に効果的に被害を与える技術も著しく発達して、犠牲者が、ことに無実の弱者の犠牲が激増しました。また貧富の格差が拡大しております。二一世紀を神の平和と正義の実現に希望を与える世紀になるため、教会は大きな宣教課題を課せられています。


二 教会の機構の改革について

 現在、激変する社会の中で、日本聖公会が管区としての自己理解をあらためて明確化した上で、宣教と奉仕の使命に奉仕するために、管区の機構が再検討されています。五月の総会で、管区機構の改革案が提出されるはずです。また、教会と各個教区のレベルでも、従来の機構の改革が求められています。宣教と奉仕の働きが、教区で担うべき領域と各個教会で担う領域をさらに明確化する必要があると思います。宣教の方針と企画は現在は教区レベルに重点が置かれていましたが、前回の臨時教区会で申し上げましたように、プロジェクトなども教会または教会グループからの発案で企画されることが望ましいと思います。教区はむしろ、各個教会や教会グループのプロジェクトの遂行の支援に奉仕することが望ましいと思います。二一世紀には、さらに各個教会を主体とした宣教活動が充実されることを期待致します。教会の牧師の任命も従来は事実上教区主教が一方的に派遣していましたが、各個教会がそれぞれ独自に適当と思われる司祭を牧師候補として人選して独自に交渉し、主教の了解を得て任命するという招聘制度の可能性も、いずれは検討しなければならない時期が来ると考えております。各個教会の自発性と主体性、つまり教会の自立を強化することです。

 もちろん各個教会自立の強化の動きに反対の意見もあることも承知しております。つまり、教区を一つの教会ように理解し、各教会は教区のもとにおき、各個教会(パリッシュ)としてよりも、むしろ伝道所あるいはチャペルのようにみなす組織であります。問題は、教区と各個教会の性格と役割が不明確なことであります。教区主導の制度を強化するか、各個教会主体の方向を取るか、さらに検討して明確化することが必要です。

 現時点では、教区レベルでは、常置委員会と宣教委員会を中心とした制度をさらに充実させていくつもりですが、教区の宣教目標である「もっとも小さい者への出会いと奉仕」は、今後も堅持することを希望しております。これはいつ、どこにおいてもわたしたちが従わなければならない主イエスの福音の教えであるからです。そのために、教区の制度も、より効果的にこの宣教目標が執行出来るように、財政を含めてその制度を検討しなけれなばならいと思います。二〇世紀から二一世紀に移る今の時期は、近代から近代が終わった時代と言われるように、従来以上に時代に応じた変革が必要の時であるようです。しかし、教会はどのような時にも、変えるべきものと、変えてはならないものとを識別する必要があります。

 さらに、最近起こってきた問題は、私たちが宣教の使命に取り組む時、宗教法人としての管区や教区のありかたに留意しなければならないということです。一九九五年のオウム真理教の反社会的事件を契機として、宗教法人法が改定されました。「宗教は恐ろしいもの」という世論の支持で、宗教に対する行政の管理、監督、調査が強化され、信教の自由に触れるような国家の介入が起こっています。特に税務調査の動きにその事態が具体的に現われています。宗教法人法の改定の外にも、従来余り気にしなかった宗教活動に関わりをもつ法案(たとえば消費者契約法、情報公開法)が提出され、このような法を理解した上で牧会、伝道を行わなければならないような事態であります。日本の現在の政治の動向と宣教のあり方をあらためて検討しなければならないようです。


三 教役者の人事

 二一世紀の始まりから東京教区も教導職の定年退職による異動が行われます。ことしの七月一五日には来年四月に就任する新しい教区主教選出のために臨時教区会を招集します。さまざまな任務の引継ぎのため、特に来年の四月の教役者人事には、新しい被選主教と協議して行いたいと願っています。従って、個人的には、選出を聖公会総会に委ねる事態が起こらないことを切望しております。東京教区の新しい教導職のために、皆さん一人一人、またいろいろなグループでの慎重で積極的な準備と祈りを期待致します。

 すでに公表されましたように、四月一日付で教役者人事の異動が行われます。詳しくは常置委員会報告に記載がありますので省きますが、特に今年は三人の司祭が定年を迎え退任されます。聖パウロ教会の佐藤信康司祭と米村路三司祭、立教大学の塚田理司祭です。長年の聖職としてのご奉仕に感謝いたします。教区の全教会に司祭を牧師として派遣出来ず、聖職候補生が牧師館に定住したり、管理体制の教会もあります。定年退職された司祭に、主日聖餐式その他司祭の職務の奉仕を随時お願いすることになると思いますが、お元気な限り積極的にお手伝いをお願いする次第です。また、今年四月からは、神学院の課程を修了した鈴木裕二聖職候補生に、教会勤務の聖職候補生として、八王子復活教会勤務を命じました。新しく教役者の仲間に加わるわけです。

 新しい一〇〇〇年期を始める東京教区の上に、また本教区会の上に主の励ましの霊が豊かに注がれる様に祈りつつ、私の挨拶を終わりたいと思いす。御清聴有難うございました。

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