教区の皆様へ

主教 アンデレ 大畑 喜道

  11日に発生した東日本大震災において、地震並びに津波によって今なお万単位の方の安否が確認できず、何十万人と言う方が避難生活を余儀なくされていることを思い、心が痛みます。逝去された方々、またご家族に謹んで哀悼の意を表します。多くの親戚や友人、信徒が未だ安否の確認もできずに心配されている方々も多いと思います。東京教区の諸教会の被害は軽微なものであったようですが、東北のみならず、東京でも帰宅できずに教会に来られた方、精神的に痛手を負った方々のために、各教会信徒、教役者が大きな働きをされていることを聞いています。
  震災直後からカンタベリー大主教はじめ世界各地の兄弟姉妹からお見舞いのメールを頂きました。祈りによって支えられている仲間がいることを実感し感謝せずにはいられません。現段階で直接このことを、被災されている方々にお伝えできないのは非常に残念です。一週間が経過し東北教区の加藤主教はじめ、信徒、教役者が仙台市内の信徒を訪問され祈られているということを聞きました。ご自身も被災されながら、一緒に祈るために訪問されていることに祈りの応援をせずにはいられません。東京では計画停電などが行われています。しかし一方では都内では静かな買占めパニックが起こっていたりしています。自分だけのことしか考えずに奔走する人々を恥ずかしく思います。神の力を嘲笑うかのような悪の力が私たちに挑戦しているのです。祈りの力、信仰の力を信じ進んでまいりましょう。まだ復興計画というものは分からないような状態ですので、具体的な支援方法などについては分からない状態です。植松首座主教からも各教会にお願いが届いていますが、今、私たちのできることは祈りの連帯の力を示すことです。被災された方々のために私たちもその働きの支えとなるように心を一つにして祈って参りたいと思います。

和 而 不 同

主教 アンデレ 大畑 喜道

 主教按手のおりに、ある方から掛け軸を頂きました。そこに書かれていた一語が、和而不同です。漢籍の素養がない自分が自分なりに考えてみました。同じでないにも拘らず和を楽しんでいる。同じで無いけれども和やかでいる。
  私たちは同質の存在でなければ和を保てないと考えがちです。そして同質であろうと、相手を自分に合わせたり、自分を相手に合わせたりします。しかしここには無理が生じてきます。ありのままの相手や自分を受け入れるのではなく、無理やりにある枠組みに合わせていく。そのようにして和を保つようなものが教会ではなく、ありのままのあなたを受け入れ合う。尊重しあうことに教会の本来の姿があるように思います。しかしこれがなかなかできません。主教按手のお茶会の時の挨拶で、落語で「百年目」の中の、赤栴檀と難莚草の話をしました。醜いからといって難莚草を抜いてしまったら赤栴檀が枯れてしまう。自分の価値判断で、これは不必要だと決め付けるところに問題が出てきます。教会は全ての人が安心してありのままで受け入れられるように、和を保つことができるような場でなければ。一瞬醜いと思えるようなものであったとしても、すべてが調和よくまとまったものは耀きをもってきます。あなたも、あなたも、あなたもみんなで作り上げていく。それが教会の本当の姿です。イスラエルの人々がエジプトから脱出し、荒れ野での放浪の旅を終えて約束の地に入るときに、神は祭壇を築けと命じます。その時に、石に鉄を当ててはならないと命じます。掘り出したままの石で築けと命じるのです。掘り出したままの石は形も不ぞろい、三角や四角や丸や、積み上げるには大変な苦労が生じるのだろうと思います。しかしあえてそうしろと神は命じられた。教会の姿はあなたを受け入れる、わたしが受け入れられるという、そこには築き上げるための苦労がありますが、あえてその大変さを引き受けていくことが重要なことなのだと感じています。その確認をできるのが聖餐の交わりです。聖餐の交わりで強められ、私たちは全ての人が和而不同で築き上げられていくのだと思います。

就任ご挨拶

主教 アンデレ 大畑 喜道

 皆様に祈って頂き、東京教区の主教に着座しました。本当に有難うございました。まったく難有りの存在で、責任の重さに押しつぶされてしまいそうになりそうです。しかし自分らしく祈りを大切に生きたいと願っています。先輩の主教が「自分がやるのではない、聖霊が導いてくださる。安心しなさい。信仰深くあり、身を委ねなさい」と励ましてくださいました。また黙想の中で、司祭に叙階される時に、同じ方ではありませんが「神が求めたもうものは砕けた魂だ」と忠告してくださったことを思い出しました。謙虚に神を仰ぎ見て聖霊のみ力、み助けを求め、自分の力に頼るのではない、教会全体の祈り、聖霊の導きの重要性を実感しています。
 
 いつの時代も同じで、現代だけが混沌の中にあるのではないとは思いますが、混沌の中に神は必ず秩序を与えてくださる。神は慈しみ深い方であり、その約束を違えることは決してないことを聖書は証ししています。自分の醜さや弱さを知りながら、難事は多く有りといえども、無難に難を避けて通るのではなく、慈愛の神への深き信頼を持って神の召しだしに応えていきたいと思っています。共に主よりのみ力を、神のみ言葉から、聖餐から頂き、感謝と賛美をもって進んで参りましょう。