英国の女性司祭たち

(2002年の大斎節講話の要旨)

 

エリザベス菊池泰子

 

1. 女性司祭按手に関する英国国教会の現状

英国では女性司祭の叙任が認められた1994年に約1,500人の女性が司祭に按手され、その後毎年、約100人から200人の女性司祭が誕生しています。英国では司祭がどの教会で働くかは、その司祭と教会が両者の合意で決めます。女性司祭の就任については、まず教会として女性司祭を受け入れるかどうかを決めますが、これは教会委員会の中の多数決で決めることになっていて、(1)全く反対、(2)平等に受け入れる、で決をとります。

 

英国国教会の規模は日本とは比べものにならない程大きく、したがって女性の司祭按手に反対を唱える人の数も多く、女性司祭に反対の教区、教会への配慮は慎重に様々なやり方で対応しています。

 

まず、反対の教区での女性司祭按手式は他教区から賛成の主教が出向いて行われます。また、主教が賛成の教区内にある、反対を唱える教会へは、Flying Bishop(フライングビショップ)という反対の立場をとる主教がその教会の面倒を見るシステムがあるそうです。そして、本来の教区ではなく、カンタベリーかヨークの大主教の管轄下に入ることになります。これは、反対の立場をとる教会も英国国教会の一員として、組織からはみださないようにという配慮なのでしょう。

 

2.女性司祭との出会い

私は最初の2年をロンドンで、そして後半の3年間はウィンブルドンの隣町パトニーに引っ越し、パリッシュチャーチでオルガニストも務めました。この教会を手伝っていたフィリスを始めとして、あちこちで女性の司祭に出会う機会に恵まれ、直接お話を伺ったり、簡単なアンケート調査をしましたが、その中から三人の女性司祭を選んでお話したいと思います。日本と英国では、歴史的、文化的背景がかなり違い、簡単に比較したりすることはできませんが、彼女たちの働きや生き方から、私たちも強め励まされて、よい学びができればと思います。

 

(ヴェージャの場合)

英国では、信徒は聖職をファーストネームで呼んでいますので、ここでもすべてファーストネームを使うことにします。

 

16年間、バーソロミュー病院のチャプレンを務めたヴェージャは南アフリカ生まれ、二十代半ばにアフリカからイギリスに渡りました。

 

彼女は生涯、信仰者として神に全てを捧げる道を選び独身を通し、どちらかというと修道女のような形から司祭職に導かれたケースと考えられます。本格的に神学を学ぶ前に、助産婦、看護婦の仕事も務め、病院で患者やその家族の心のケアに関心を持ち、四十代になってから神学を学び、1994年60歳を過ぎて司祭按手を受けました。当時、ロンドン教区は主教が女性司祭按手に反対の立場だったため、サザック教区主教がロンドン教区に出向いて按手式が行われたそうです。因みに、彼女は社会学の学位を取るために、六十台になって大学で学んでいます。四、五十代以降に大学を目指す人は男女を問わず、イギリスには多いようです。

 

彼女の按手の動機は、一緒に働いていた司祭が一人で大変そうだったので、一日お休みの日曜日を作ってあげたかったから、だそうです。「人によっては、司祭になるには特別な「召命」が必要というけれど、私は状況をみて、自分が司祭になったらいいのかな?と思っただけ」とにっこり笑った笑顔が自然体で、私は何となくほっとさせられたのを思い出します。

 

幸い、彼女は女性司祭ゆえの困難はあまりなかったそうですが、病床聖餐に行って「女性からは受けられない」と拒絶された経験もあったそうです。一方、末期ガンの夫を持ち、どう対処していいのかわからないと悲嘆にくれる婦人のもとに真夜中に駆けつけ、神様の愛や救いについて話し共に祈った結果、婦人の心を落ち着かせることができ、今まで女性司祭に反対だったこの婦人は考え方がすっかり変わった、という貴重な体験も持っていました。

 

(スーの場合)

サリー州の教会の副牧師スーは53歳、ウィークデイは国税庁で働くキャリアウーマン。離婚も経験しています。1998年に司祭按手を受けてからは、仕事はパートタイムにして続け、週末は無給の副牧師として教会に勤務します。

 

彼女の話によると、司祭按手までの道のりはかなり厳しいようです。自分の教会の主任牧師の推薦を受け、さらに各教区にいる志願者専門のインタビュアからの厳しい人物試験を通ってから、聖職としてのトレーニングコースを受けます。コースは仕事をしながらでも勉強できるようで、こういう環境であれば、社会人としての生活を続けながら、勉強できるわけですから、門戸は広く開けられていると思いました。厳しい訓練の過程を通して、聖職としての資質が磨かれ、実際の牧会に出た時はそれなりの自信と覚悟は備わるようです。性別に関係なく、このような関門を乗り越えてくれば、世にいう女性というハンディキャップも薄れてしまうのではないかと思いました。経済的にはしっかりした基盤があるので、副牧師としての仕事は無給です。二つの仕事をこなすのですから、前よりずっと忙しくなったと言っていましたが、厳しい面接を経て選ばれて聖職になったわけですから、その喜びに支えられて、どんな忙しさもストレスには感じないようでした。

 

(フィリスの場合)

私がオーガニストをしていた教会へ聖餐式の手伝いに来てくれたフィリスは72歳、退職司祭ですが、あちこちの教会の代理牧師として、ほとんどフルタイムで働いていました。彼女も独身で、聖職になる前は公立中学の教師、そして校長までも務めました。60歳で校長職を辞めてから聖職の道に進み、1994年、65歳で司祭になりました。彼女もずっと無給の牧師です。

 

彼女は穏やかなやさしいお母さんといったタイプで、サブリスを着ている姿は日本の割烹着を着たお母さんを思い出させました。細く柔らかいしかし芯のある話し方、自然体でふんわりと人を包みこむような司式に新鮮さがありました。悲しいことに、彼女は三十年も通った自分の教会から司祭按手を機に追い出されたのです。その教会の主任牧師夫妻が女性司祭を認めなかったからです。これは本当に厳しくつらいことだったと思います。いつまでも悲しい思い出としてフィリスの心にあるようでした。

 

3.二十一世紀の教会と女性司祭

以上三人の女性司祭から受けた印象は、共に自分の道をしっかり自覚している、ということでした。短いインタビューの中から彼女たちの人生が見えてきました。その人生とイエスの道がよじり合った縄のようになって、より強く、太くなっていることが実感できました。

 

また、イギリスの女性の自立心は一般的に日本人の考える自立心よりずっと成熟していると実感しました。生涯神に仕える道を選んで、看護婦からその道を歩き始めたヴェージャ、キャリアウーマンで社会的に認められているスー、校長職まで務め教育界に貢献したフィリスなど、殆どの女性司祭は聖職の道に入る前に充分な社会経験を積んで、しかもその仕事でも成功する実力の持ち主でした。様々な状況での人間関係にもまれて、より深く他者を受け入れ、関わり合っていく力を実際に体得して身につけているということです。また精神的な強さも必要な環境に生きていますから、そういった面でも鍛えられているなと思いました。女性司祭への嫌がらせは、イギリスでももちろんあります。やり方は日本より激しいのではないかと思います。ある司祭は着ているキャソックを切り裂かれたとか、フィリスのように教会を追い出されてしまうこともあるのです。しかし彼女たちは按手される日を待ちながら様々な経験を通して自分を磨き、身についたしなやかな強さがそんな困難も吹き飛ばしてしまうようでした。喜びをもってイエスに従い、勇敢にその道を進んでいる彼女に導かれていく人々が確実にいるという事実は、二十一世紀の教会の進む方向を具体的に示していると私は実感することができました。

 

私の体験を通して、初めにお話した英国国教会としてのきめ細かな対応と、それから自立している女性たちが育っていること、この両方が、少しづつしかし着実にイギリスの教会を変えていっている、ということを皆様に少しでも知っていただければ嬉しく思います。

(文責 「聖苑」編集委員)

 

 

 

更新日2002年12月28日