チャプレン ヨナ 成成鍾司祭
「 天使と悪魔 」
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自分の命を救いたいと思う者は、
それを失うが、
わたしのため、
また福音のために命を失う者は、
それを救うのである。
(マルコ8:35)
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<福音書> マルコによる福音書 8章27~38節
イエスは、弟子たちと
フィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。
その途中、弟子たちに、
「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」
と言われた。
弟子たちは言った。
「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。
ほかに、『エリヤだ』と言う人も、
『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
そこでイエスがお尋ねになった。
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
ペトロが答えた。
「あなたは、メシアです。」
するとイエスは、
御自分のことをだれにも話さないようにと
弟子たちを戒められた。
それからイエスは、
人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、
三日の後に復活することになっている、
と弟子たちに教え始められた。
しかも、そのことをはっきりとお話しになった。
すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、
いさめ始めた。
イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、
ペトロを叱って言われた。
「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、
人間のことを思っている。」
それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「
わたしの後に従いたい者は、
自分を捨て、
自分の十字架を背負って、
わたしに従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は、
それを失うが、わたしのため、
また福音のために命を失う者は、
それを救うのである。
人は、たとえ全世界を手に入れても、
自分の命を失ったら、
何の得があろうか。
自分の命を買い戻すのに、
どんな代価を支払えようか。
神に背いたこの罪深い時代に、
わたしとわたしの言葉を恥じる者は、
人の子もまた、
父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、
その者を恥じる。」
<メッセージ>
『コンスタンティン(Constantine)』というアメリカのファンタジー映画があります。キアヌ・リーブス(Keanu Charles Reeves)が演じた悪魔祓い師コンスタンティンが、天使と悪魔の抗争に巻き込まれながら最終的には自己犠牲を通して人類を救う物語です。映画は、天国と地獄が人間界と並行する次元で混存し、人間は天国と地獄の中間に生きているという設定です。天使と悪魔は人間界に入ってくることはできませんが、代わりに「ハーフ・ブリード(half-breed)」と呼ばれる中立的な存在を送り込み、間接的に人間社会に干渉します。ハーフ・ブリードは人間の姿をして社会に入り込んで暮らしていますが、実は天使と人間・悪魔と人間の混血的な存在として、それぞれ天使側と悪魔側に立って働きます。また映画にはハーフ・ブリードたちのオアシスのような場所が舞台のひとつとして描かれています。それは天国と地獄の中立的な立場のパパ・ミッドナイトという人が経営するバーの「ミッドナイト」です。天国と地獄からそれぞれ送られているハーフ・ブリードたちは、そのバーに集って自由奔放なひと時を過ごします。
映画は実世界を象徴するものでもありますので、これは映画だけの話ではありません。時々、私たちが生きているこの世界にも天国と地獄が混じりこんでいるような気がすることもあるし、自分がハーフ・ブリードのように、天使と悪魔のどちらか、または両方との混血的な存在のように感じる時もあります。まさに自分こそがバー「ミッドナイト」の経営者であって、自分の心の中に天使と悪魔が共存しているという不条理を痛感することもあるわけです。だからと言ってそのような自分に失望する必要はありません。それが人間という存在のリアルな姿であって、隠しようがない属性であるからです。私たちは天使にも悪魔にもなります。天使のように神様の代理人になることも、悪魔のように神様の敵対者になることもあるわけです。だからこそ天使のようだとうぬぼれることも、悪魔のようだと挫折することもないのです。時折、内面に眠っている悪魔が顔を出すことで自分のことを責めたり後悔したりすることもありますが、自分に悪魔の側面あることは決してマイナス要素だけではありません。
キリストの弟子であるペトロからそのことを学ぶことができます。今日の福音書ではペトロがキリストから「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人のことを思っている。」(33節)と酷く叱られる場面が記されています。サタンとは悪魔の頭に当たる存在として、言葉自体が敵対者という意味です。キリスト教においてサタンや悪魔とは、人を神様から引き離す力のシンボルとして理解されています。つまり形のあるなしに関わらず、神様との関係を邪魔するあらゆることを意味するのです。そのような悪魔の顔が、自分の思いを是としキリストのお言葉を非として、キリストが歩もうとする救いの道を妨げる行動を取ったペトロを通して現れたのです。
ところが、ペトロは後にキリストの一番弟子となって宣教の最先端に立つようになります。おそらくペトロにとって内在していた悪魔の気質は、高慢になることや出しゃばることなく、絶えずキリストに従うという原点に立ち返るように刺激を与える要素になったと思います。そういった意味で私たちには、自分の中に潜んでいる悪魔の気質とどのように付き合うかが課題であり、天使の気質をどのように活かすかが使命として与えられていると考えられます。サタンと言われたペトロが、後にキリスト教の土台を整えた偉大な聖人になったように、私たちは誰もが天使の役割を果たしながら生きることができます。自分の中にある天使と悪魔について考えながら、自己存在と日々の生き様にについて省察してみる一日でありますように、神様の導きと慰めがありますようにお祈りいたします。