パトリックニュース最新号(Patrick News)

聖パトリック教会1957年伝道開始
2019年2月17日発行 第311号

バルティマイの叫び
牧師 司祭 バルナバ 菅原裕治

 

イエス様が仕えることを弟子たちに教えののち、一行は、エルサレムへ向かう道を進み、エリコの町に到着します。エリコの町は、エルサレムの東北東約20キロ、死海の北約10キロにある町です。旧約のヨシュア記にも登場しますが、その歴史は古く、イエス様の時代の数千年前から人が住んでいた町です。現在はパレスチナのヨルダン川西岸部分に属しています。


このエリコ滞在中の物語は語られません。物語は、「イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき」とすぐにそこを立ち去るところから始まるからです。イエス様たちが町を離れようとしたとき、「ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた」のですが、「ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、『ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください』と言い始めた」のでした(10:46-47)。


バルティマイの言葉の中にある「わたしを憐れんでください」は、原語のギリシア語をそのままカタカタで表記すると、「エレエーソン メ」となります。この音の響きからわかりますように、「キリエ エレイソン」という言葉のもとです。この語句に、「主よ」(キュリエ)という呼びかけが加わり、そのままラテン語に翻字し、典礼の言葉として取り入れられた文言が「キリエ エレイソン」です。わたしたちが、毎主日の聖餐式で唱えるこの言葉は、このバルティマイの叫びに起源があるといえるのです。


さて、そのバルティマイの叫びですが、周囲の人々にその叫びが好意的に受け入れられたわけではありませんでした。「多くの人々が叱りつけて黙らせようとした」からです。ここにある「叱る」という言葉は、言葉自体は特別な意味はありませんが、物語の中では、イエス様が悪霊や汚れた霊に対して「叱る」際におもに用いられています(1:25、3:12、8:30、9:25)。そして「多くの人々」は、誰とは特定できませんが、その場にいる多くの人々です。つまり、イエス様とバルティマイ以外の登場人物の多くとなります。その中には、もちろん、弟子たちも含まれるでしょうし、イエス様に従ってきた人々や、エリコの町の人々も含まれるでしょう。それらの人々は、イエス様が悪霊を叱るかのように、イエス様に叫び声を上げるバルティマイを叱ったのでした。その目的は、「黙らせようと」とあります通りです。その場にいる多くの人々は、イエス様が悪霊たちを黙らせたように、バルティマイを黙らせようとしたのでした。


多くの人々が、なぜバルティマイを黙らせようとしたのか、物語は何も告げません。それは想像するしかありません。もうイエス様たちがエリコの町を出ていこうとしていたからか、イエス様にとってエルサレムに向かうことが最優先だからか、それとも道端から叫び声を上げるなど失礼と思ったからか、いろいろと想像できます。ただ一つ言えることは、それまでイエス様が、いろいろな病の人や、悪霊に取りつかれた人を癒してきたと知っていたのにもかかわらず、バルティマイの叫びを妨げようとしていたということです。弟子たちだけではなく、この「多くの人々」もイエス様の活動を理解していなかったと言えるのです。


周囲の人々が、そうであるにもかかわらず、「彼はますます、『ダビデの子よ、わたしを憐れんでください』と叫び続けた」とある通り、バルティマイはあきらめませんでした。


なぜ、彼がそうまでして叫び続けるのか、こちらも想像するしかありませんが、もし彼がイエス様の様々な活動のうわさを聞いていたとするならば、今、近くを通り過ぎるイエス様に、今、声をかけなければ、もう二度と会うチャンスはないだろうということです。目が不自由であり、物乞いをするほど経済的に困窮しており、そしてイエス様のところに、中風の男の物語のように、彼を連れて行ってくる友人も(たぶん)いない彼にとって、今叫ばなければ、イエス様に出会うことは二度とない。だからこそ彼は大声で必死に叫ぶのですが、周囲はそれを妨げようとしていた、バルティマイの物語は、そんな状況から始まったのでした。