Patrick News20171119

聖パトリック教会1957年伝道開始
2017年11月19日発行 第298号

ヨルダン川の向こう側
牧師 司祭 バルナバ 菅原裕治

 

カファルナウムの家での様々な教えののち、イエス様は再び移動します。「イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた」(10:1a)とありますが、「ユダヤ地方」はカファルナウムのあるガリラヤの南隣です。ユダヤ人の中心地域と言える場所ですが、イエス様が活動していた時代、ユダヤはローマ帝国の直轄地(ユダヤ属州)になっていました。


ヘロデ大王の死後、ユダヤ王国はローマ帝国の政策のもと、三人の息子たちに分割されます。王国の中心地域ともいえるユダヤ、そしてエドムとサマリアを支配したのはヘロデ・アルケラオスでした。しかし彼は失策して起源6年にローマ帝国によって追放されます。そのためその地域はローマ帝国の直轄地となったのでした。ローマ帝国が定めた州都は、エルサレムではなく、海沿いの港町であるカイサリアでした。この町は、ユダヤ王国のヘロデ大王が紀元前25年に建設したのですが、カイサリアという名称は、アウグステゥス・カエサル(オクタヴィアヌス)にちなんだ名前です。小国ユダヤが大帝国ローマとその皇帝に配慮して名付けた名前です。カイサリアはほかにもありますので、区別するための名前は、カイサリア・マリティマ(海辺のカイサリア)です。このカイサリアは、イエス様の時代、まだ若い都市でしたが、貿易に便利な港町として栄え、ユダヤ人の他ギリシア人など多民族が混在する都市であったようです。

ただし、ユダヤ地域そのものは、ユダヤ人たちにとって、自分たちのあるべき国の中心でした。そして、神殿のあるエルサレムは、ユダヤ人たちにとっては首都でした。ローマ帝国が州都を、新しいカイサリアに置いたのは、経済交通の便利さだけではなく、余計な衝突が起きないように配慮した面もあるのだと思います。

次の「ヨルダン川の向こう側」という表記は、ユダヤ地方から見て向こう側つまりペレア(現在のヨルダン王国の一部)なのだろうと推測されますが、検証すると面白いことが分かります。

イエス様の時代、ガリラヤとペレアは、ヘロデ大王のもう一人の息子、ヘロデ・アンティパスが支配していました。ただしガリラヤとペレアは分断された地域でつながっていません。南西にはユダヤ地方(サマリアを含む)が広がり、南西にデカポリス地方が広がります。ガリラヤ地方の都市カファルナウムからペレア地方に向かうには、デカポリス地方を通るか、ユダヤ地方を取らなければなりません。

デカポリス地方は、ヘロデ大王の時代から、ユダヤ王国の領地ではなく、ローマ帝国のシリア属州の一部です。隣ですが異邦人の土地です。そのためかイエス様が活動された場所ではありません。7章31節に「デカポリス地方を通り抜け」とある程度の地方です。それらから理解すれば、イエス様は、カファルナウムからまっすぐ南下したのではなく、少し南西に迂回しながらユダヤ地方を通り、そこからヨルダン川を渡って、東隣にあるペレア(現在のヨルダン)に向かったのだと思われます。

そうだとすると、イエス様は、異邦人の地域を避けて、かつてのユダヤの中心地域であるユダヤ地方を通り、活動していたガリラヤと同じヘロデ・アンティパスの支配するユダヤ人の王国内に向かったことになります。「ヨルダン川の向こう側」とは、イエス様が今まで通り活動できる場所とも言えるのです。そう考えますと、続く言葉も理解しやすくなります。「群衆がまた集まって来たので、イエスは再びいつものように教えておられた」(10:1b)とあるからです。それは、ガリラヤ湖畔で、イエス様と集まる群衆とのいつもの通りの風景ともいえる描写であるからです。

ただし、通り過ぎてきたユダヤ地方は、イエス様に敵意を持つファリサイ派やヘロデ派の人々の本拠地、地中海を支配しているローマ帝国の領地です。イエス様は「互いに平和に過ごしなさ」と命じましたが、今イエス様が群衆とともにいる場所から見た、「ヨルダン川の向こう側」は、イエス様を殺すことを通して、自分たちに都合の良い平和を維持しようとする人々がいる場所です。それ故その意味では「ヨルダン川の向こう側」は、対立と緊張関係を意味する表記に他ならないです。

今日もし「ヨルダン川の向こう側」と表記するとおそらく「ヨルダン川西岸」を意味すると思います。そこは複雑な歴史と政治的問題を含んだ現在も緊張関係のある地域です。図らずも、現代でも「ヨルダン川の向こう側」は、対立と緊張関係を意味する表記に他ならないです。しかし、だからこそ、私たちは今日でも「互いに平和に過ごしなさい」というイエス様の言葉を重く受け止めたいと思います。それは、「ヨルダン川の向こう側」という表記から、混乱や戦いではなく、世界全体、地球全体に広がる平和が発生する可能性があるからです。そして、そのような平和が実現可能であることを、イエス様が十字架の死と復活を通して、今も示してくださっているからです。