パトリックニュース最新号(Patrick News)

聖パトリック教会1957年伝道開始
2019年5月19日発行 第315号

エルサレム入場準備
牧師 司祭 バルナバ 菅原裕治

 

マルコによる福音書も11章に入りますと、いよいよイエス様と弟子たち一行のエルサレム入場の場面です。「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき」あります通り、エリコを出たイエス様たちは、東からエルサレムへ入ります。


ベタニアは、エルサレムの城壁あたりから東約3キロのところにある村です。ヨハネ福音書によれば、「ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった」とあります。1スタディオンは、約185メートルですから、2775メートルとなります。ベトファゲは、さらにエルサレムの街に近く、ゲツセマネからオリーブ山を挟んで東側約1キロ弱のところです。


ベタニアは、先のヨハネ福音書によれば、マルタ、マリア、ラザロたちが住んでいた場所で、イエス様がそのラザロをよみがえらせた場所です。マルコ福音書ではその記述はありませんが、ここに宿泊し、エルサレムに出入りしていました。マルコ福音書では、イエス様が弟子たちと共に重い皮膚病のシモンの家で食事をしたときに、香油を持った女性が入ってきた物語の舞台となった場所として重要です。


このベトファゲとベタニアですが、両方とも旧約聖書には登場しません。ベトファゲという村の名前は、おそらく、「(熟していない)イチジクの木(ファグ)の家(ベト)」からきているのだと思います。ベタニアという村の名前はよくわかりません。「ベト(家)」はベトファゲと同じですが、「アナニア」の方が不明確なのです。「アナニア」という言葉について推測から、「苦悩の家」か「貧しい家」かもしれないとも考えられていますが、もうしそうだとしますと、マルコ福音書にある、重い皮膚病を患っていたシモンが住んでいたという記述と呼応します。しかし正確なところはわかりません。エルサレムに向かって3キロぐらいのところにある村ですから、エルサレムに巡礼に来た人々が何らかの準備を場所であったのかもしれません。


さて、イエス様は、「オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき」、二人の弟子を使いに出そうとして、「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい」と言われます。このとき「向こうの村へ行きなさい」は、原文を直訳すれば、「あなたがたに向こう側にある村へ行きなさい」となります。そして「向こう」とうい言葉は、「反対側、向こう側」という意味と、「目の前の、正面の」という二つの意味があります。小さいことですが、エルサレムに向かって、手前からベタニア、ベトファゲとありますので、子ろばを借りた村は、向こう側ならば「ベトファゲ」、目の前ならば「ベタニア」となります。子ろばにのってオリーブ山を越えるのは大変かもしれませんので、よりエルサレムに近いベトファゲが有力かもしれません。またイエス様が乗ったであろう「子ろば」ですが、この言葉自体の第一の意味は、「子馬」です。それゆえいくつかの英訳聖書では、「子馬(a colt)」と訳されています。日本語では、聖書ギリシア語辞書の段階ですでにこの言葉は「子ろば」となっているのですが、両方とも間違いではありません。この言葉の第二の意味として、いろいろな「若い動物」を意味するからです。そして、明らかにゼカリア書9章9節と関連していると思われ、この言葉自体がその際の「子ろば」の訳語として用いられているからです。いずれにしても、イエス様が選ばれたのは、勇猛な動物ではなく、小さい動物でした。もちろん、そこには深い意味があっての事でした。