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聖パトリック教会1957年伝道開始
2008年3月16日発行 第192号
牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦
2月の末に、信徒の方が逝去され、そのお通夜の礼拝で話した勧話を簡単にご紹介いたします。
「私は○さんの81年の生涯の内、わずか20分の1の間しかお付き合いをする機会がありませんでした。しか
しその4年間は○さんがこの世での生涯を終えようとするとても貴い時間でした。今日はその最期の二週間の
様子をお伝えしたいと思います。2月某日、○さんのご様子が余り思わしくないとの連絡をいただき、病院に
伺いました。一人部屋で医療器具をつけられ寝ている中、酸素マスクを煩わしそうにされていました。数日
後、○さんは四人部屋に移られていました。丁度回診に来られたお医者さんから、呼吸が安定してきたことを
伺い、少し安心しました。そのとき○さんは『どうじてこうなったんだ。やりたいことがまだたくさんあるの
に』とおっしゃり、事態を受け入れ難く思われていたように感じました。枕元でお祈りすると、手でゆっくり
十字をきって応えてくださいました。翌々日伺うと、○さんは投薬にやってきた看護師さんを右手で招くよう
な手振りをし、私を指して十字をきりました。何をしているのか看護師さんには分からなかったようなので、
『私が教会の牧師であることを○さんは伝えようとしているんです』と伝えました。数日後、また伺い、耳元
で『教会の皆さんが○さんを覚えてお祈りしていますからね』と叫ぶと、『言葉にならないけどね、ありがと
う。皆さまによろしく』と絞り出すように一言語ってくださいました。翌々日に伺い、また同じことを叫びま
した。すると、「ありがとう、元気にしていますとお伝えください」とたった一言応答してくださいました。
とても元気とはお見受けできない様子にもかかわらず、気丈な方だと思いました。翌日、○さんは何か言葉を
発したのですが聞き取ることができませんでした。その翌日に容態がまったく変わり、呼びかけても返事はな
く、手を握っても握り返すこともなく、単調な呼吸を繰り返すようになり、召される時が近づいたのではと感
じました。
私が病床で祈った言葉は『神様が○さんとともにいてくださいますように』という祈りであり、呼びかけた言
葉は『教会の皆で○さんの名前を覚えてお祈りしています』という言葉でした。何故そのように祈り言葉をか
けていたかというと、病気になるということは孤独を最も感じる時だからです。病気になるのも手術を受ける
のも一人です。周りにお見舞いの方がたくさん見えてもベッドで寝ているのは自分一人だけです。そして神様
の所に行くのもたった一人で行かなければなりません。最近、教会に通う子どもが風邪をひき、なかなか治ら
ない中、自分はこのまま治らないんじゃないか、どうなってしまうのか分からないとバーバに不安を漏らした
そうです。人にとって最も辛いのは誰からも声も関心もかけてもらえない一人ぼっちという状態です。だから
寂しく、不安で、恐怖を感じます。私が病床に再三行った理由は、○さんは一人ぼっちではない、神様はどの
ような時でも一緒にいてくださる、そして多くの人たちは○さんを忘れてはいないということを伝えるためで
した。そのことに○さんは応えてくださったのだと思います。○さんが病床で私に語ってくださった言葉は、
『神様が一緒にいることも、皆さんが一緒にいてくれることもわかっている。一緒にいてくれてありがとう。
そのことで自分は元気にしていることができる』という意味であり、それを『皆さんに伝えてください』と私
は申し付かったのだと思います。今、○さんは神様の許へと行かれ、お姿も見えなくなってしまおうとしてい
ます。今までのようなお付き合いはできなくなってしまう訳ですが、しかし、○さんがいなくなってしまうの
ではありません。この世で生きておられた時同様に、私たちが○さんを覚え続ける限り○さんは生き続けてい
ます。私たちが○さんを一人ぼっちにしてしまった時に、初めて○さんは亡くなったことになるのだと思いま
す。」
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