パトリックニュース153号


聖パトリック教会1957年伝道開始
2004年9月26日発行 第153号

こんにちは、初めまして(その5)

牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦

 父親は98年の3月に退院し、その後逝去するまでの1年半の間に、2度の入退院を繰

り返しました。初めは癌が治りまた仕事に復帰するという意欲を持ち合わせていました

が、なかなか肉体的に思うようにならない中で、次第に生きる意欲を失い、あるがまま

を受け入れていかざるを得ないとあきらめたような状態になっていきました。それは、

おとなしくなっていく、というか丸くなっていくという感じでした。亡くなる数週間ほ

ど前、どのようないきさつかは忘れましたが、私は父親の頭を櫛でとかして身だしなみ

を整えました。椅子に座る父親は息子に髪の毛をさわられても払いのけることもいやな

素振りを見せることもなく、なされるがままの状態でした。生まれて初めて父親の髪を

とかしたことは私にとって戸惑い躊躇する出来事であり、またその際に威厳も誇りも無

くしてしまった父親の姿を見ることは父親の弱さを認めざるを得ない辛い経験でした。

父親が意識をなくし息を引き取るまでは2〜3日でした。夕方のことでしたが、その瞬

間に私と母親は居合わせることができませんでした。その後、病室内では看護師により

処置が行われ、病室に家族が揃って呼ばれた時には、ベッドの上に腰巻姿のガリガリに

やせた裸の父親が寝ていました。そしてその体を家族皆でアルコールのついた布で拭き

ました。私はこれほどまでに痩せてしまったのかと本当にびっくりし、また家族が清拭

をしたことに驚きました。信徒が病院で亡くなった直後に立ち会う機会を何度か持って

いますが、清拭を家族が行った場面に出くわしたことはありませんでした。清拭を特に

要求した訳ではないので、病院の方針だったのか、あるいは個室で亡くなったからなの

か、その辺りの理由は分かりませんが、しかし清拭出来たことは感謝です。それは、父

親の動かない体に見て触れることで、死を現実のものとして受け入れていく過程の第一

歩を踏むことができたからです。肉親の死に直面し、病院であればその後霊安室に運ば

れ、教会かまたは自宅に戻り、納棺の祈りをし、通夜の礼拝を行い、葬送式を営み、火

葬前の祈りをし、遺骨を収骨し、遺骨安置の祈りを行い、後日埋骨の礼拝をするのは、

慣習といえば慣習、当たり前といえば当たり前です。しかし特に家族がこれら一連のプ

ロセスを踏み、その中で祈り礼拝することは、肉親の死が、夢や幻でも嘘や偽りでもな

い現実の出来事であるということを認め、受け入れて、悲しく辛く断ち切れない思いを

持ちながらも、きちっと別れていく上で欠かせない時の流れです。その意味で清拭を家

族でできたことは、父親の死に直面した私たちにとって大切なスタートであっと思いま

す。

葬儀は収容人数の関係で、芝公園の聖アンデレ教会をお借りして行いました。父親と家

族の友人知人関係者が大勢参列に来て頂けたことは何よりもうれしいことでした。特に

私の関係では、同僚の聖職者が来てくださったことには心強さを覚えました。直接父親

と会ったことのない同僚たちが葬儀の場面にいて一緒に祈ってくれるということは、改

めて自分には仲間がいるという確信やその仲間は自分を支えてくれるという安心感に改

めて気付かせてもらえた嬉しい経験でした。弔電を頂いたり、祈りの内に覚えていて頂

けるということも感謝ですが、葬儀の場に一緒にいる、という唯それだけのことが、何

よりの慰めと励ましになると思いました。

遺骨は親類縁者数人が既に埋葬されている小平の東京教区墓地に収めました。ここは、

東京教区が消滅しない限り存続し続け、かつ毎年11月には教区主教初め教役者や信徒

が集まり必ず逝去者のための祈りが捧げられ、日々墓前にはお花が耐えない、安心確実

でしかも廉価な墓地で、聖公会の信徒であればどなたでも入ることができます。

(つづく)

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