パトリックニュース149号

                       聖パトリック教会1957年伝道開始
                        2004年4月25日発行 第149号

こんにちは、初めまして

                        牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦

皆さまとお近づきになるために、まずは私の生育暦をご紹介したいと思います。

1962年(昭和37年)1月29日(月)午後1時28分狛江にある慈恵医大第3病

院で私は産声をあげたそうです。体重は3.500グラム、身長51p、胸囲35p、

頭周34.5pでした(母子手帳による)。その後加藤俊彦(かとうとしひこ)と名付

けられ、調布市深大寺にある家に連れて行かれ、両親と兄と暮らすことになりました。
 
父親は農林省を辞め設計コンサルタントの会社を設立した関係で海外(パキスタン、カ

ンボジア、ヴェトナム等)への出張が多く、私は数年に1回しか父親と一緒に家庭で過

ごす時がなく、ほぼ母子家庭の中で育ちました。父親が帰国する時には、久しぶりに会

える嬉しさよりも、夕方電車で羽田空港に家族で向かいに行く際にモノレールに乗れる

こと、そしてタクシーで帰宅の際には高速道路から暗闇の中に東京タワーを見られるこ

とが楽しみでした。幼少時代に父親と暮らす経験が少なかったことは、私が今でも年上

の男性と普段どのように接したら良いのか苦慮するところに現れているのだと思いま

す。

幼少時はマリアの園幼稚園、晃華学園小学校と、地元のミッションスクールに通いまし

た。小学生になり学校まで15分の道程を一生懸命歩き通う中で、人は1qを15分で

歩けることを始めて知りました。オルガンを習い始めたのもこの頃でしたが、オルガン

を弾くなど女の子がするものという思いが当時の私の中にあり、周りの女の子に女々し

いと思われるのがとてもいやでした。それなので、中学への受験勉強と共にオルガンは

辞めてしまいましたが、今になってみればそのお陰で何とか聖歌の音符を読むことが出

来ることをありがたく思っています。

兄とは大学までの学歴が全く同じなので、小学校でも兄を通して私という存在が予め先

生に理解され易かったという面ではありがたかった部分もありました。しかし同時に兄

と比べて見られること、特に学力の面で、私は確かに兄に比べて頭は良くなかったので

すが、比較されたことはとても不満でした。また、5歳違うと体力的にも格段の差があ

り、兄にしょっちゅう殴られ蹴られ踏みつけられて悔し涙に暮れ、変えようのない現実

をしかたなく受け入れざるを得ませんでした。もしかするとこの経験が後に神様やみ心

を受容していく姿勢に役だち、また現実をネチネチ交渉していくことのない淡泊さにつ

ながったのかもしれません。

兄は度々家庭で母親にしかられ、そのような時は3人だけの家庭の中のただならない雰

囲気を私は肌で感じていました。そこで私は、兄を反面教師としてどのようにしたら母

親にしかられないで済むか、そのためにはどのような行状を取ったら得かを模索し、ま

た私のためにこのような気まずさを抱えない家庭になるために、自然と"いい子"を演じ

るようになっていました。そこで培った姿勢は、今も他者の顔色や様子を伺うことに敏

感であろうとしたり、波風立てずに物事を処したり、平均的な人間関係を作っていくよ

うなバランス感覚になっているのだと思います。

(つづく)

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