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聖パトリック教会1957年伝道開始
2004年11月21日発行 第155号
牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦
私が高校生時代に勤しんでいたボランティアグループはカトリック高校生連盟が主催す
る金曜会と呼ばれていました。その活動拠点は四ツ谷にあるローマカトリックのイグナ
チオ教会(昔の建物)の脇にあった平屋の建物でした。そこに暁星を初めとして、聖
心、双葉、光塩、晃華などから総勢15人位の高校生が毎週金曜日の午後5時頃集まっ
てきました。そして大学生の指導者と共に、このグループを支えていた、「やりたいこ
とを、やりたい人が、やりたいように、やる」「体験学習」「社会変革」「互いに愛し
合いなさい」という言葉のもとに、前の日曜日に通った知的障害者施設の七尾福祉園で
の体験を振り返り、そこで感じ、考えたことを皆で色々と話し合っていました。高校生
の私にとって、これらの言葉はとても魅力的でした。当時の学校では大学受験に向けて
「覚える」「暗記する」「味わわなくても飲み込む」という教師から生徒への一方通行
の詰め込み教育を受けていたので、「感じる」「考える」「話し合う」「主体的に行
う」「愛する」という人間味を持った協同的なこの活動に、自然と、また感覚的に引か
れていくようになりました。また、時を同じくして熱を入れていたバスケットボールの
クラブ活動も、仲間が一緒に練習し、汗を流し、怒ったり励ましあったり注文し合った
りしながら一つの目標に向けて歩んでいくことを通して、学校での机上の勉強からは決
して与えられることのない大切な何かが得られ、楽しさを覚えていました。
しかし、高校3年になり受験勉強が迫ってくると、クラブ活動も引退し、またイグナチ
オでの活動も一時お休みすることになりました。学校のクラス編成では最も安易な私立
文系に進み、授業も午前中で終わる時もありました。そのような日は、代ゼミが始まる
まで友人たちとサテンに入って食事とインベーダーゲームをし、代々木の雀荘で時間を
つぶしました。秋口に入ると上智や慶応の推薦が既に決まってしまった友達が出てきま
した。私は中学3年と高校1年の時に少々横道に外れてしまった関係で成績が極端に落
ち品行が乱れてしまったので推薦を狙うどころの立場ではありませんでした。受験科目
は英語、国語、世界史の3科目で、私は世界史では誰にも負けない自信がありました。
志望校は神宮球場に野球の応援に行きたかったので東京6大学の中から偏差値に見合う
法政、明治、立教を選びました。その結果は法政と立教に受かり、明治は落ちました。
当時野球が強かったのは法政だったので、どちらの大学に進むか悩みましたが、親類縁
者が多く卒業していたので立教大学の経済学部経営学科に決めました。私が大学を受け
ようと思った理由は、決して学問を学ぶため、あるいはこのような仕事をしたいからと
いうことではなく、大学生活を社会人として働く前の自由な時間が得られる場、どの
ような仕事をして働いていくかを自由に模索する時として考えていました。ですから、
大学の名前も学部の名称も何でもよく、どこでも良いから大学に行きたかった、大学で
過ごせる4年間という自由な時間が欲しかった、ただそれだけが理由でした。
さて、立教大学に入って何よりも驚いたことは、私自身決して真面目で優秀な高校生と
は言えなかったとはいえ、付属から上がってきた学生と受験生との学力の違いと雰囲気
の異質さを知った時でした。すべての付属生に妥当するとは言えないまでも、この納得
のいかない現実を見たとき、私はとても悲しくまた憤りを覚えました。立教を志して日
夜勉強に励んできた現役や浪人の受験生、またその子どもを支えてきた家族がいる中
で、合格ラインに達しなかった多くの人たちのことを考えると、この現実は、社会の理
不尽さや不公平さを強く感じさせられました。
同時に、受験勉強が苦しく、不安で、また大変であったとはいえ、推薦ではなく受験し
て本当に良かったと思えるようにもなりました。
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