パトリックニュース161号

聖パトリック教会1957年伝道開始
2005年5月15日発行 第161号

これからもよろしく(その2)

牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦

昨年の牧師任命式の説教でもお話しましたが、今回は何故私が聖職者になろうと思った

のかについて記します。

高校時代にカトリック高校生連盟という組織に属し、そこでボランティア活動をしてい

ました。その活動は毎週日曜日七生福祉園という障害者施設に通いながら子どもたちと

一日一緒に遊ぶというものでした。この施設は京王線の高幡不動という駅から徒歩で

30分位山道を登った人里離れたところにあり、小学部から青年部までが一緒に生活し

ていました。園の中には園生が生活する寮や学校があり、子どもたちは園の中だけで暮

らしていました。それでも、子どもたちには月一回町まで歩いて買い物に行ける日曜日

があり、それが唯一園外に出ることが出来る機会でした。私がボランティアに行ってい

たある日曜日、子どもたちと一緒にその外出につき合いました。当時はピンクレディー

の歌がはやり、そのレコードを買いに行けることを子どもたちは楽しみにしていまし

た。しかし当時、園生が園の外に出ること、そして途中の団地の中を列を組んで街中に

出て行くことを、周辺の住民は余り快くは思っていないとのことでした。私はその話し

を聞いて純粋に変だなと思いました。また、何故山を切り開いて出来たような場所に世

の中から隠されるようにして施設が建てられているのかも不思議に感じました。

 大学生の頃には、真生会館というローマ・カトリック教会の施設が主催する体験キャ

ンプに2回参加しました。一回目のキャンプでは千葉県三里塚に行き、そこで成田空港

建設のために立ち退きを強いられながらも反対して居残っている農民の人たちに出会

い、昔からこの土地で農家を営んできた方々の話を聞きました。その話を聞き、先祖

代々から農業を営み続けてきた農民の人たちの、そこの土への愛着や、家族がその土地

に流してきた汗に対する思いが伝わりました。また建設に反対する農家を巡るためフェ

ンスで囲われた三里塚の敷地内を移動する度に、機動隊の人たちが後を追いかけてきま

した。私はこの状況に恐ろしさを抱くと共に、やはり何かが変だと感じました。

2回目のキャンプでは在日朝鮮人韓国人の人たちが住んでいる都内のある地域に行きま

した。そこの建物は長屋で何世帯かが一緒に生活していました。そこに入った瞬間、床

がボコボコで歩くと沈んでしまうのに驚きました。それはトイレが汲み取り式でも水洗

でもなく地面に流しっぱなしの状態になっているからでした。近隣にはどう見ても下水

道設備が整っている住宅やビルがあるにもかかわらず、この一帯だけは敷かれてはいま

せんでした。これも、私に不思議さを覚えさせる体験でした。

ボランティア活動にしても体験キャンプにしても、必ずそこでの体験に基づいて感じた

り考えたりしたことを一緒に行った仲間や神父さんと共に振り返りをする時間がありま

した。その振り返りを通して、選んで障害者や在日朝鮮人韓国人に生まれてきた訳では

ない人たちが、また親が生活をかけてきた農業や土地を自分も大切にし引き継いで働い

ているだけの三里塚の人たちが、何故周辺住民から快く思われなかったり、他の人とは

異なった生活環境の中に置かれたり、立ち退きを強要されたりしなければならないの

か、問題はその人たちの周りにいる人たちにあるということに気づきました。

私が聖職者を目指した動機は、このような体験で出会った人たちやその人たちを通して

教えられたことと今後の自分との関係を、繋げていくのか切っていくのかという葛藤の

中から生まれてきました。つまり、それらの人たちを通して与えられたことを良い思い

出として割り切り、全く関係のない仕事を選んで生きていって良いのだろうか、という

疑問によるものでした。そして大学4年の就職活動期に、その疑問に答えを出すことと

なりました。<つづく>

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