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聖パトリック教会1957年伝道開始
2004年7月18日発行 第152号
牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦
今回も前号からの続きで、父親の死を通して、また家族との交わりの中で、私自身をご
紹介致します。
医師は父親への癌の告知と共に手術による臓器摘出を勧め、父親はその場で「よろしく
お願いします」と厳かに頼みました。その場の父親の深い思いは推し量れませんでした
が、手術によって必ず治ると考えていたことははっきりと分かりました。
2月初めに手術となり、内容は食道の下の部分から胃までを全摘、肝臓の半分を取ると
いうものでした。当日は9時に病室を出て10時から手術ということで、私は朝8時の礼拝
をして車で出掛けました。教会の信徒には手術の時間を言わなかったので、話していた
ら「礼拝休みでいいよ」と言ってくださることは分かっていました。しかし、言わない
ことが私らしさと誇りつつ、抜け道を通りながら9時過ぎに着きました。会えないなと
諦めつつエレベーターを出たら、知った顔の人がストレッチャーに横たわりエレベータ
ーを待っていました。私は「行ってらっしゃい」と声をかけて家族が待つ病室に行きま
した。手術の経過によっては生きている父親と会えなくなるかもしれないという危惧を
持っていたのでとても安心しました。ベッドが無くなった病室はとても広く、元気な人
間3人がパイプ椅子に座っている病室はとても格好のつかない部屋に見えました。早速
家族で何をするか協議し余り遠くへは行けないので近くのデニーズに車で朝ご飯を食べ
にいくことになりました。その後病室にもどり特に父親の情報が入っていないことを確
認し、昼ご飯は何を食べるかの協議に入り近所にお寿司を食べに出掛けました。
午後5時頃ようやく家族が呼び出されました。手術室の入口で待っていたところ、医師
が成功したことを伝え、摘出した臓器を見せてくれました。それを見た瞬間、家族の間
で「胃袋とはよく言ったものね」「スーパーで売っているレバーと同じだね」との会話
が交わされました。胃はまさに透き通るほどの極めて薄い生地で出来た袋であり、肝臓
はまさに焼き肉屋で出てくるレバ刺そのものでした。父親の臓器を生で見た衝撃や癌が
どこにあったのかという関心よりも、家族一同その形状に感動しました。その後、父親
は集中治療室に運ばれており、わずかな時間だけ合うことが出来ました。集中治療室に
入れるという経験は牧師でもなかなか出来ないことなので私は興味津々でした。中に入
ると父親は人口呼吸器をつけ、まだ意識は戻ってはいませんでしたが、とりあえず生き
ていることを確認できたのでホットしました。父親の大手術というのに、家族が神妙に
なるのでもなく、また特に平静を装っている訳でもなく、自然にお気楽に過ごせたの
は、もしかしたら信仰のなせる業なのかもしれません。
翌日家族で集中治療室にいる父親と会うことができました。父親は私の顔を見た瞬間涙
声で「何でこんなことになっちゃったんだ」と言いました。私はビックリし、泣きそう
になりました。それは父親が涙した場面や泣き言を言ったことを、それまでの人生で一
回も見たことも聞いたこともなかったからでした。父親は母親によく文句を言っていた
り、会社の部下を電話越しに怒鳴りつけていたりと、私にとってはとても強いというイ
メージでした。私の父親像が見事に崩壊したこの経験は私にとって非常に衝撃的な出来
事であり、同時にそのようなイメージを抱いていた私自身が崩されたことは私にとって
涙が出そうになるほど悲しい出来事した。
人生において涙が出てくる場面は沢山あると思います。しかし何故泣いているのか、何
に対して泣いているのかを解き明かしていくことは余りしないと思います。聖路加国際
病院での臨床牧会訓練では、自分や他人の涙の理由を見極めることを訓練の一つとして
行っていたことを今思い出します。
(つづく)
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