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聖パトリック教会1957年伝道開始
2005年3月20日発行 第159号
牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦
私の田舎は京都でした。父方が伏見区深草、母方は下鴨神社のそばで、新幹線の京都駅
を挟んで南と北にありました。小学生の頃、夏休みになると必ず母親と兄と3人で出か
けました。私の中でまず問題になったのは、ひかり号に毎年乗るたびに兄と喧嘩になっ
ていた、3人がけの椅子の窓際にいかにして座るかということでした。兄にはなかなか
勝つことができず、しかたなく真中の席に甘んじていたことを覚えています。その後知
恵がつくと指定券なるもので座席が決まっていることに感付き、座席で争う前に窓際の
券を母親から手に入れることを考えました。そのお陰で今でもA席が3人がけの窓際で
海の見える側であることを記憶しています。
父方の田舎に泊まった経験で今でも覚えていることがあります。それは日常住んでいた
東京の家からは考えもつかなかった眼の裏に焼きついている衝撃の光景でした。それ
は、家の中に土間があったことです。家の中で土間に降りて下駄に履き替え土の上で料
理をしたり運んだりする様子にはただただ呆然とする思いでした。また建物は、縁側な
どを歩く習慣がなかった私には、畳部屋があり障子があり縁側がありガラス戸があり雨
戸があって外があるという構造にも驚きました。また部屋の中に吊られた蚊帳の中で寝
たのは初めての経験でした。蚊帳などというものとは全く縁のない生活をしていた私に
とっては、いちいち寝たり起きたりするたびに蚊帳を吊ったり片付けたり、また素早く
中に出入りしたりと非常に不思議な文化に触れた思いでした。そして最も印象に残って
いることはビョウヘルミンを生まれて初めて食べたことです。お爺さんが美味しいもの
をあげようと大事そうにもって来たビンから白い粒を2・3個くれました。それを口に
して咬んで食べると、この世にこんな美味なものがあるのかと思うほどの初体験でし
た。以来、父方の田舎では良い子にしていればこれが食べられることを学習しました。
母方の田舎でも忘れることのできないことが幾つかあります。その第一は、格子戸を開
けて敷地の中に入ると真正面に建物の玄関があるのですが、そこからは決して中に入ら
ずに、その脇にあるもう一つの玄関から家の出入りをすることでした。一つの家に二つ
の玄関があることすら驚きでしたが、正面玄関を何故使わなかったのか今でも不思議に
思うことです。二つ目は二階があったことです。我が家は平屋建てでしたので、子供心
にお爺さんの家の二階に登る階段には興味深々であり、また二階という未体験ゾーンに
入る怖ろしさとで複雑な思いを抱きました。またその二階の窓からは大文字焼きが見え
たことも忘れられません。最も印象に残っていることは、私が行くと必ずお婆さんがキ
リンレモンとプラッシーを用意してくれていたことです。生まれて初めて飲んだ、シュ
ワシュワとしてほのかに甘いキリンレモンと僅かに果肉が入っているプラッシーは、私
にとっては忘れられない田舎の味でした。
その他にも田舎の思い出や祖父母の思い出は数々あります。今思えば、夏休みに家族で
父母の田舎に帰れたことは恵まれていたことだと思います。祖父母の家は孫の私にとっ
ては第二の家庭のような感覚で、親元で暮らすのとは異なる日本のいにしえの文化や親
とは違う愛情に触れることができるようなところでした。それ故にそこで体験した驚き
や発見、また祖父母への思いは、実感として今でも忘れることができない大切な宝物に
なっています。また、私にはおじおばが8人とそれなりの数のいとかがいますが、夏休
みの時期は、祖父母の家で、それらの人々にも会える機会となっていました。40歳を
過ぎた今でも「ひこちゃん」と呼ばれるような関係は、それら親族と、幼児洗礼を受け
た出身教会の人たちとの間だけです。これらの人々は自らの力では選ぶことのできない
神様から与えられた意義ある、そして礼をつくすべき大切な方々なのだと思います。
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