パトリックニュース151号

聖パトリック教会1957年伝道開始
                        2004年6月20日発行 第151号

こんにちは、初めまして (その3)

                        牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦
 
今回は前々回、前回からは大部時間が飛んで、父親の死を経験したことを通して私自身

をご紹介したいと思います。

父親が逝去したのは2000年9月30日の夕方でした。1998年1月父親が狛江にある慈恵医

大第3病院に入院したとの知らせを受け、その日の内に見舞いに行ったところ先に着い

ていた母親が「大変なことになっちゃったよ、お父さんあと短くて6ヶ月永くて1年だ

って」と癌の末期であることを病院の廊下で聞かされました。 

日頃父親とは年に一回正月位にしか会っていませんでした。何故ならば実際に父親と会

ってはいなくとも、この世のどこかにいて当然という、空気のような感覚を持っていた

からでした。ですから当時の私には父親という存在にあえて関心や意識を寄せる必要も

なく、わざわざ時間を割いて会いに行く必要性も感じず、会おうと思えばいつでも会え

ると思い、私にとって父親は意識下の当然の存在でした。そのような私に母親が語った

話は、空気があるということを改めて思い出させる言葉であり、その空気が無くなるか

もしれないという畏れを感じさせる一言でした。また、それまで父親は入院をしたこと

も大病をしたこともなく元気に日本中を仕事で飛び回っていたので、私にとってこの出

来事は不意の一打を浴びたような予想もつかない突然の何が何だか分からない話でし

た。そしてまた実際に病室で会っても、とても癌に冒された余命6ヶ月の父親には見え

ず、いつもと変わらない元気な姿だったので、余計に本当のことなのかと疑わしく思え

ました。

そのような私を現実に立たしめたのは、それから数日後、医師に家族が呼ばれた際に、

父親の体の中を輪切りにして撮った写真と食道から胃にかけて中を映し出した動画を見

たときでした。医師は肝臓にできた米粒のような点を差し、胃の入口が腫瘍でふさがれ

物が通り辛くなっている画像を見せ、これが癌ですと示しました。その後、医師は手術

の可能性がありまたそれを勧めること、転移については現時点でははっきりしないこ

と、告知については家族の判断に委ねること等を私たちに伝えました。私はこの時はっ

きりと父親が癌であるという疑いようのない客観的で確かな事実を受け止めることがで

きました。そして始めて、母親と兄の3人でこれからどうしようかという話へと至るこ

とができました。

家族の間での最初の課題は、癌であることを父親に告げるか否かでした。私は基本的に

告知すべきであることを話しました。しかし、病者に対して事実を何でも包み隠さず話

すことが適切なのではなく、告知はあくまでも状況が整っている上での話であり、その

状況は「父親は絶対に治る」と家族が最後まで信じて疑わないということであり、それ

を家族が確認し合えるかどうかであり、告知したことにより最も痛手を負う父親に対し

周りの人たちが最後まで支えていくつもりがないのであれば、その告知は壮健者の全く

独りよがりの意味のない行為である、ということを話しました。結果は、医師の部屋に

家族が皆揃った中で、写真や画像を示しながら医師が癌を父親に告げました。

(つづく)
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