パトリックニュース164号

聖パトリック教会1957年伝道開始
2005年9月18日発行 第164号

これからもよろしく(その5)

牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦

1984年3月、何とか卒業単位ギリギリで大学を卒業し、4月から3年間の聖公会神学院での生

活が始まりました。同級生は、現在の秋葉晴彦司祭(北関東教区)、上原信幸司祭(神戸教

区)、大町信也司祭(北海道教区)、竹内一也司祭(横浜教区)、箭野直路司祭(中部教区)の

5人、2年生は6人、3年生は7人の計19人と、全国から集まってくるにしては少ない人数の学寮

ではありながらも、神学院としては個室に空き部屋がないほどの盛況ぶりでした。昨今の学生

数の現状を考えれば、当時は明らかに、にぎわいがありました。

神学院生活は7時半の朝の礼拝(当時は文語祈祷書と試用版口語式文との併用)に始まり、8

時朝食、9時から授業、午後0時半昼食、5時半夕の礼拝、6時過ぎ夕食、そしてお風呂が週3

回(含掃除)と寮内掃除が週1回という、まるで修道院のような規則正しい生活が組まれていま

した。入学当初はこの生活スタイルを忠実に守ることができましたが、次第にそれもできなくな

っていきました。それは何よりも勉強と語らいに費やす時間が増えてきたことによるものでし

た。それまでの経験では大学受験の際に最も勉強をしたという実感を持っていましたが、神学

院での学びはその比ではありませんでした。各学科の準備に費やす時間は日をまたぐこともし

ばしばでした。何しろ「覚える」ことを主に大学時代まで教育を受けてきた私にとって、「神学を

する」すなわち「考えて自分の意見を構築する」ということは始めての経験であり、そのような意

味でまさに苦難の日々を送り、またそれ故に非常に時間を費やさざるを得ませんでした。この

ような勉強への姿勢は、ある授業の際にある学生が発表した内容に対して「それは辞典に書

かれていることでしょう。あなたの考えはどうなのか」と教授が問うた姿や、「聖公会神学院が

大卒を入学条件にしているのは、勉学をするという姿勢が大学時代に養われていることを前

提にしていからだ」という言葉に表わされている通りです。

その日の勉強の区切りがつくと、学生たちは思い思いに部屋を訪ね合い、神学について、信

仰について、召命観について、教会についてなどなど、つきることのない語らいや喧嘩ごしの

言い合いが、あちらこちらの個室で行われていました。神学生、すなわち各教区の聖職候補生

が、聖職になるためにキリスト教神学を教室の授業において勉強しているだけではなく、あえて

全寮制の中で学んでいることは、ここにこそ意味があります。すなわちそれは、神学生がこの

時を共有し合うことによって、頭だけ、あるいは知識だけではなく、実存的なぶつかり合いの中

で互いの神学や考えを批判し合い、また表現し合いながらお互いに信仰を養うことが出来るか

らです。この語り合いは深夜の2時3時までも続くことがありました。すると当然、朝の礼拝や朝

食の時間までも寝ていることになります。授業でその日始めて顔を合わせた神学生は、「出ま

した?」「出てない」、あるいは「出た?」「出た」「すげー」という、あうんの会話の中で、お互い

に朝の礼拝の出欠を確認し合いました。ひどい時には、朝の礼拝の出席者が当番で当たって

いる司式者と日課朗読者と校長の3人だけという時もありました。

このように神学院での修道院型の生活スタイルを守ることができなくなった中で、私が3年間崩

さなかったことは昼と夜の食事作りの手伝いでした。当時は、校長も頭が上がらない程の、神

学院の主のような昔からのことを知る一人のまかないの方が、神学生の食事を一手に引き受

けて作っていました。私は勉強の手を止めてでも、食事時間の数十分前に厨房に入り、「あれ

やって、これやって」の指図通り、十数人分の野菜を切ったり、魚を焼いたり、盛り付けをした

りしていました。自身何故続けたのかは分かりませんが、食事の手伝いをすること自体、結構

楽しいことでした。
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