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聖パトリック教会1957年伝道開始
2005年1月16日発行 第157号
牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦
あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。
我が家の年末年始の日課をご紹介します。まず大晦日に必ず行うことが、三が日用の酢
の物系のお惣菜であるぶり大根となますの製作です。その際、ぶり大根に使う大根をお
ろすことと、なますに使う大根と京人参の千切りが私の担当です。この作業は、これら
のお惣菜を我が家と両方の実家とで分けるので結構な量になり大変です。お雑煮の用意
をするのも大晦日です。鶏ガラとこぶとかつおでだしを取るのは少々手間のかかる作業
です。お餅は市販の丸持ちを買ってきます。妻曰く、昔は板状にのしたお餅を包丁で"
増やした"そうです。この時縁起が悪いのでお餅を"切る"とは言わないこと、また年末
におせち料理を作るのは大晦日までに切るものはすべて切り、正月三が日に包丁を使わ
ないようにするためだそうです。夜ご飯は年越しそばを食べ、紅白歌合戦を見ながら
NHKホールのパイプオルガンがいつ出てくるか、誰が弾いているのかを探し当て、深
夜はジルベスターコンサートを見て、年が明けたと同時に新年の挨拶を交し合います。
明けて正月の日課は、元旦に主イエス命名日の礼拝に出かけ、その後私の実家にお年始
に行き母親と兄の家族と共に昼ご飯を食べ、その後妻の実家(荻窪)に赴き年始のご挨
拶と縁起物の水仙の和菓子を食べて帰路につきます。2日の朝ご飯はお雑煮です。醤油
で味付けられた汁に、鶏肉、ホーレンソウ、椎茸、なると、三つ葉にゆずを乗せて焼き
焦げのついた丸持ちを入れて食べます。夜は、寿の箸入れの裏側に宝船を描き「なかき
よの とおの ねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」と書いて、
それを枕の下に入れて初夢に備え床につきます。正月三が日には縁起物の鶴の和菓子と
福茶を戴くことも慣わしです。
その後は、実際の日にち通りとはいきませんが、7日には七草粥を食べます。七草をま
な板に揃え7つの台所用具を両手に持ち、「七草 なずな 尊き日本 唐土の鳥は 日
本の土地へ 渡らぬ先に すととんとんとん」と歌いながらたたくことは妻から教わり
ました。曰く、昔は6日の夜に七草を床の間の上に置きおじぎをして3回歌いながらた
たき、そして7日の朝にお粥にして食べたのだそうです。
妻の育った環境では、その後11日には鏡開きをし、朝、床の間のお餅を金槌でたたい
て"増やし"水餅にして、15日には小正月で、朝、あずき粥を食べ、松飾りをしまうの
だそうです。おとそ、田作り、数の子、黒豆はこの日まで必ず残されていたそうです。
年末年始の日本の習慣は、地域によって異なり、また伝承する過程で変化していくとは
思いますが、それぞれの家庭で伝わっていくものです。大切に尊ぶ人がいれば伝わる
し、変えようとする人がいれば変わるし、忘れ去る人がいれば自然に消えて亡くなって
いきます。妻は生まれたときから祖父母とともに育ってきたので、自然に祖父母からの
伝承をごく当たり前のこととして受け入れてきたのだと思います。そのような日本の文
化の継承の中で育って来なかった私としては、それらのものをとても新鮮なものとして
感じ、忘れ去ってはいけないもののように思いました。文化や習慣やしきたりの背後に
はけがれを払ったり縁起を担いだりと、宗教心が含まれていると思います。祖父母から
親へ、親から子へ、子から孫へと伝えられた日本の風習を大切にすることは、それに裏
打ちされた宗教心に基づく思想や信心に寄り頼み、帰依して生きていくという意味では
なく、そのような文化や習慣やしきたりを大事にして生きてきた人を大切にするという
意味で、意義があることなのではないかと思います。大切だと信じることを大事な人に
伝えることは人として当然のことであり、伝えられたものを持っているということは、
自分は大切に育てられたという証そのものです。
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