パトリックニュース165号

聖パトリック教会1957年伝道開始
2005年10月16日発行 第165号

これからもよろしく(その6)

牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦

聖公会神学院での生活には学業、礼拝、寮生活という3つの柱がありますが、その他に1年に1

度実習という現場でのプログラムが組まれています。私は1年次に榛名新生会で高齢者を通し

て、2年次に聖路加国際病院で病者を通して、3年次に栗生楽泉園でハンセン病者を通して、

牧会者になるための訓練をそれぞれ3週間経験しました。中でも特に聖路加国際病院での臨

床牧会訓練は、すべての神学生が単位として取得しなければならない必修科目でした。この実

習は聖公会神学院から2・3人、そして他教派からも受講生が集まる教派を超えたプログラムで

した。訓練の柱は病床を訪ねることと、その病室で交わされた病者との会話を逐語会話記録と

して書き上げること、そしてその記録をもとにスーパーヴァイザー(指導者)を交えてグループで

ディスカッションをすることでした。

実習生はそれぞれの科に割り振られるので、その科に属する病気であることを予想する以

外、特に病者の情報を予め知りません。そして無作為に病室をノックし、そこで病名も知らない

まったく見ず知らずの方と出会うことになります。従って、まずは当然自己紹介と訪問の理由を

話すところから始めなければなりません。しかし、その時点で訪問を断られることもしばしばで

した。運良く受け入れられたとしても、「座っていいですか」から始まり、尋ねても良さそうなこと

やまずそうなことに頭を回しながら様子を伺いつつ、それからの会話を何とか展開していくこと

になります。それ故に一つの訪問に労する神経は結構大変なものであったことを記憶していま

す。その後、夜になってその日の訪問における逐語会話記録を作成します。同じ日のこととは

言え、結構会話の内容を忘れ、それでも薄々の記憶に頼りながら何とか書き上げます。そして

翌日その会話記録をもとにディスカッションが行われます。

この話し合いは、会話記録をもとにした自己洞察と他者理解に主眼が置かれ、臨床牧会訓練

の中心をなす部分でした。そこで気付かされたことは、まず逐語的に書いていくと適当につじつ

まを合わせて書いた部分が、他人にはすぐばれてしまうということです。そしてその不整合を指

摘されながらも何とかかんとか言い逃れをしながら、なかなかその非を認めようとしないという

ことです。この点は牧会者としての誠実性を問うところなのだと思います。

次に記録を辿れば自ずと浮かび上がってくることですが、自分が会話の主導権を取って話を

進めていく姿です。例えば「いかがですか?」「ちょっと具合が悪いです」「どこが悪いですか?」

「お腹の辺りが」「胃ですか腸ですか?」「・・・」「いつごろから入院されているのですか?」「一週

間ほど前から」「初めての入院ですか?」「二回目です」などのように、自分の関心事で相手と

の会話を進め、会話が途切れることを恐れ、沈黙を生まないように話を転がしてしまうというこ

とです。牧会者はむしろ相手の思いを引き出すように会話を進め、出てくるまで沈黙の中でで

も待つこと、すなわち聞くことの大切さを学ばされます。

最後に、会話記録に沿って気持ちということが尋ねられます。「この会話をした時、この沈黙の

時あなたはどのような気持ちだったか」、あるいは「この時相手はどのような気持ちだったと思

うか」という問いが投げかけられます。気持ちとは嬉しい、悲しい、寂しい、辛いといった心で感

じるものですが、改めて「気持ちは」と尋ねられても、ハタと考えあぐね、それを探すのに苦労

し、自分が結構感じる心を忘れ、頭で生活していることに気付かされます。逐語会話記録を振

り返ると、確かに自分や相手の気持ちを感じて話している時の会話は、後になっても明らかに

鮮明に記憶に残っていることが分かります。会話の裏に潜む気持ちを感じて話を聞くことが、

牧会者には求められているということです。
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