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聖パトリック教会1957年伝道開始
2006年5月21日発行 第172号
牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦
1989年の夏、私はアメリカ東海岸のニューヨーク、ボルチモア、ワシントンDCに行
きました。当時、東京教区はアメリカ聖公会メリーランド教区と姉妹関係を結んでいた
ので、私が勤務していた目白聖公会もボルチモアの「良き羊飼教会」と関係を持ち、互
いに人的交流を図っていました。そして、その一環として目白の教会に属する青年たち
が送られることとなり、私はチャプレンとしてその一員に選ばれ、4人の若人と2人の
引率者と共に出向くことになりました。
アメリカへの旅と約12時間に渡る長時間のフライトは生まれて始めてのことでした。
12時間という時間を隔てて、まったく日本語の通じないところ、また目にするものが
すべて英語で書かれているところ、また顔も体格も髪の毛の色も違う人たちがいるとこ
ろ、いわばそれまでの日常とはかけ離れたところに来たことを実感し、それ故に慣れな
いところに身を置くことになった怖さを感じました。しかし同時に、実際に地に足をつ
けてみて"本当にアメリカという所があった"という純粋な感動を覚えました。そして
11日間に渡る滞在で様々なことを経験し、アメリカに来ることが出来たことへの喜び
を感じるようになりました。
そもそも旅の主目的は「良き羊飼教会」の方々との交流だった訳ですが、その前にニュ
ーヨークのマンハッタンでの観光をしました。そこでは、観光船に乗りリバティ島に渡
り自由の女神像の冠のところまで上りました。船の乗り場では、頼んでもいない大道芸
を行い観光客に支払いを迫る人がいました。また市内の移動のために地下鉄に乗ると車
内でギターを弾いてお金を稼ぐ人たちにも出会いました。そして、今はなき世界貿易セ
ンタービルや世界的な金融機関が集まるウォール街やティファニーで有名な五番街など
を巡り、話には聞いていたり、映像で見ていたりしたものが、"確かにあった""これがか
の有名な○○か!"と感嘆することばかりでした。五番街では巨大な雑貨屋に入り、お
土産用にとwashable(水で洗い落ちる)と書かれたクレヨンやハテナ(?) の形をした
ケーキの上にさすローソクを買いました。何しろ、それらはまだ日本では目にすること
が出来なかった品であり、またアメリカのユーモアのセンスを感じる物であったからで
した。また、ニューヨークの大聖堂であるセント・ジョン・ザ・ディヴァインでは、そ
の建物の巨大さに、"これがまさに大聖堂というものか"と驚嘆し、堂内の荘厳さに、"こ
れがまさにステンドグラスか"と目を見張り、聖堂中にある幾つもの小礼拝堂に"一つの
教会の中に何でこんなにたくさん礼拝堂があるのか"と不思議に思わされました。ま
た、マンハッタンのオフィスビルにはさまれたところには、古式ゆかしい外観の聖バル
トロマイ教会があり、礼拝堂正面入口へと上る階段には、社会の第一線で働いているワ
イシャツ姿のサラリーマンがどっかと座り、そこでハンバーガーを片手に昼ごはんを食
べていました。入口から中に入ると、礼拝堂の内扉までのエントランス部分に、教会が
しつらえたホームレスの人たちのためのベッドが数個並べて置いてありました。この光
景にはアメリカの現実を目の当たりにした感があり、また教会の社会における働きを垣
間見ました。またアメリカのトイレは、中で用を足している人が分かるように作られて
いるのか、個室の扉が短いのにも驚き、更にびっくりしたことには、聖公会のジェネラ
ル神学校を訪ねた際、そこのトイレにはユニセックスという考えから男女の別がありま
せんでした。また在学している神学生は圧倒的に女性が多く、また同性愛者もいると学
校関係者から聞いたことにも、目から鱗が落ちる思いでした。
3泊4日のマンハッタンでの経験は、観光とはいえ、アメリカの文化や習慣や思想を肌
で触れることができ、日本との違いを感じさせられ、また17年を過ぎてた今でも、当
時感じたことを覚えているほどに、非常に貴重で印象深い経験でした。
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