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聖パトリック教会1957年伝道開始
2006年4月16日発行 第171号
牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦
今回より私の海外旅行の経験をお話します。
聖公会神学院の1年次のとき、東京教区とソウル教区の企画で第1次韓・日聖公会青年
協議会が夏にソウルで行われました。それは、日韓の青年たちが共に集まり、教会の宣
教や神学について話し合い、また共に知り合い学び合う機会でした。私はこの協議会に
参加しました。これが生まれて初めての海外旅行でした。韓国の青年たちは非常に熱
く、雄弁で、社会の事を深く考えているという印象でした。協議会を終え、日帝支配下
において伊藤博文を暗殺し抗日闘争をしたクリスチャンである安重根(アンジュングン)記
念館や、日帝支配からの独立を宣言した三・一(サムイル)独立運動発祥の地であるパゴダ公
園、また朝鮮との軍事境界線である板門店(パンモンジョン)など、韓半島における日本の
爪あとが残る地に行きました。また、バスで移動中に検問所を通った際、銃を持った兵
士がバスに乗り込んできました。あるいは市内では車がクラクションを響かせながら行
きかっていました。そして大聖堂は生まれて初めて見た巨大な建物と会衆席で、礼拝の
時に使用されていたセンサー<香炉>も日本では見たことがないほどの大きさで、一面煙
が立ち込めていました。また、青年協議会では韓国の学生たちとマッコリという地酒を
飲み、共に打ち解けあいもしました。あるいは、韓国の青年は目上の人の前では決して
煙草を吸わないという礼儀を持っていること、また片膝を立てて床に座ることが正式な
座り方であることも知りました。
私の二回目の海外旅行は、聖公会神学院3年次に行われた冬の特別学期のプログラムと
して、神学生及びスタッフで同じ韓国を訪れたことでした。釜山(プサン)から入り、蔚
山(ウルサン)に向かいました。そこは、かつて大韓聖公会と東京教区との共同プロジェク
トにより教会が建てられ、東京の聖職者何人かが数年交代で派遣された地でした。そし
て当時のクリスチャンの方々と出会うひと時を持ちました。次に向かったのは大田(テ
ジョン)でした。そこでは畑に作られていた青唐辛子を農家の方と一緒に摘みました。そ
の場で食べてみろと言われ、内一つが当たりで、口の中が火事になったことを覚えてい
ます。その畑の体験では、かつて日帝支配下の際には、同じように畑仕事をしていたと
き、いきなりやって来た日本軍に強制的に連行され、日本の地へと連れて行かれた状況
が想像できました。また凍てつくような外気の中、オンドルの効いた宿舎に泊まり、そ
の素晴らしい文化をも体験できました。あるいは日本では床屋のシンボルである回転灯
が韓国ではまったく違う象徴であることも太田で教わりました。次は光州(クァンジュ)へ
と足を運びました。そこは、学生や市民が民主化を目指して軍と衝突した光州事件のあ
った地でした。当時民主化を目指し、その場で軍と戦っていた学生が、広い道路のこち
ら側とあちら側で民衆と軍隊が対峙していた様子や抵抗した状況を、生々しく語ってく
ださいました。次に私たちは水原(スウォン)に行きました。そこは静かな村里といった感
じのところでしたが、その昔、日本軍が村人を当地にあったキリスト教の教会に閉じ込
め、銃を乱射し虐殺したところでした。そして最後にソウルに到着しました。そこで
は、主教様が招いて下さった夕食に一同が与り、青葉で肉を包み唐辛子味噌を添えて食
べる焼肉の、何とも健康的で美味しい食べ方を初めて学びました。
これらの海外旅行を通して、つくづく日本以外の国を通して、また異文化を通して日本
が見えてくることを知りました。特に歴史的な意味で日本と関係が深い韓国からは、さ
まざまな、日本の中にいては見えない日本の姿を垣間見ることができました。そして何
よりも当地の人びとと交わり、話し合うことで、日本の姿に気づかされました。そし
て、何よりも韓国と日本との狭間に立たされた在日韓国朝鮮人の人たちのことを、日韓
の人たちは忘れてはならないことも知らされました。
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