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聖パトリック教会1957年伝道開始
2007年5月20日発行 第183号
牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦
1993年7月頃、私が31歳のとき、主教様から立教女学院の一室に呼ばれ、そこで清瀬聖母教会への異動
が命じられ、その席で「君は修道士になりたいのか?」と初めて個人的なことを問われました。そのとき、私
は結婚しようと思っている人がいることを初めて他人に明かしました。それから2年後の1995年6月に結婚
をしました。知り合って4年ほどの月日が流れた末のことでした。場所は立教女学院聖マーガレット礼拝堂、
司式は主教様、説教が速水先生、立会人は佐々木先生夫妻でした。
「結婚しようとする教役者は、所属する教区の教区主教に、その旨を申し出なければならない。」という法
憲法規に則り、95年の冬頃に教区事務所の主教室を二人で訪ねました。そこから聖婚式に向けての準備が始
まりました。いつ、どこでするか、司式や説教また立会人やオルガニストは誰に頼むか、パーティーは、式文は、
案内状は、衣装は、指輪は、移送手段はなどなど、すべて二人で行ったということもあり、挙式への準備が結
婚生活という創造の出来事への始まりになっていたとはいえ、何しろ非常に大変であったことを思い出しま
す。
挙式への過程を辿る中ではもうダメかと思わされるときもありました。往々にして結婚を決めた後、式を迎
えるまでの間にお互いにこの人と結婚して良いのかどうかの不安にさいなまれるときがあると言われています
が、まさにそのことが起こりました。私の牧師という独特の仕事のことが多分に影響されていたのですが、自
ら教会やコンサートホールのオルガニストとして生きていこうとしていた彼女は、自分の使命に照らして結婚
することが神様の意思であるのかどうかを不安に思い、加えて牧師の伴侶になることも払拭しきれない問題に
なっていました。それ以前にこれらの件については話し合ったつもりでも、やはり彼女の中には迷いが残って
いました。そして、4月頃彼女が西武線や東上線に家を探し始めていたことを知り、ドヒャーという思いにか
られました。もう主教にも報告したし、説教者も立会人も頼んだし「今更ドーセーと言うのだ」との思いでし
た。そして怒りや困惑を抑えつつ意を決した私は、ここでキッパリ別れるか、それとも結婚するかの白か黒か
を迫り、同時に彼女の思いを受け止めるべく、聞くことを心がけ、再度慎重な話し合いを持ちました。
私たちの結婚準備は佐々木先生が行ってくださいましたが、その際、牧師として一番ないがしろになるのが
家族への牧会であり、家族の話に耳を傾けるのをおろそかにすることだということを話してくださいました。
その忠告を覚えていてかどうかは忘れましたが、とにかく彼女の思いを聞きました。そして、彼女の生きてい
こうとする道を私は必ず守るということ約束をして、結婚へと至ることができました。以後、この約束を守る
ことは、教会の現実と約束との間に挟まれた中、優柔不断な私としてはなかなか難しいことであり、それゆえ
に今まで何度もぶつかりあい気まずくなったこと、また彼女が自分の思いをうまく伝えることができずに信徒
の前で泣いたこともありました。それでも何とか守り続けてきていると思っています。そして、私の思いで
は、この約束を守ることは、当時女性の司祭職への道を開こうとしていた風潮の中で、自らの賛意を言葉だけ
ではなく実生活を通して身をもって証することであり、また志を抱いていた方々を陰ながら支えることになる
と信じていました。あるいは、当時女性の司祭職への道を開くことに賛意を唱える多くの教役者や正義、平
和、人権を声高に唱える人たちがいました。しかし、私の目から見れば、自分の人生を歩もうと一所懸命生き
ようとしている人たちが担わされている痛みを、本当に我が身に背負って賛意や人権を唱えているのかどうか
に疑問がありました。彼女との約束を守ることは、このような人たちへの抵抗でもありました。
ともかく、このように挙式当日に向けて当事者が不安になる出来事を経験した私は、祈祷書に定められてい
る教会での2回の結婚予告を、挙式直前の2主日に行うようになりました。
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